座右の銘とは|かっこいい格言で自分を飾りたがる人へ

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

以前に、このお堂(ブログ)にて、座右の銘という言葉の意味や頂き方について、お伝えしております。
514721 座右の銘とは、現代社会においては「自己を一言で表す言葉なり格言」という印象であったり、そのような意味で忍している人も多いかと存じます。

歴史的に有名な人物や著名人、哲学者の格言などが、座右の銘であると言う人もいらっしゃる事でありましょう。



現在は、座右の銘がとなる格言がかぶらないための一覧や、人気の座右の銘ランキングというものも御座います。

座右の銘メーカーなるものもあり、最早バーゲンセールか何かかと言わんばかりの勢いさえ感じる事があるほどです。

スポンサーリンク

座右の銘は探せばいくらでも見つかりそうな時代

座右の銘とは何か、それについては最後に座右の銘の意味を復讐して頂けるように、以前にお伝え致しました話に飛べるように致します。



座右の銘とは、冒頭でお伝え致しました通り、「有名な言葉や格言で自己表現すること」という意味で、理解していらっしゃる方も多いかと存じます。

履歴書や自己紹介に、座右の銘を各欄がある場合も存在するように、座右の銘は一種の自己紹介の道具という認識があっても、不思議ではありません。

このような場合に用いられる座右の銘は、大抵が偉人と言われている人達や、歴史上で有名になった人、あるいは哲学者の格言あるいは格言めいた言葉の数々であります。



例えば、幕末の志士達の格言を、座右の銘としている人も多いかと存じます。

最近でしたら、漫画やアニメーション作品など、フィクションから用いる人も多いことでありましょう。

例えば、攻殻機動隊の草薙素子というキャラクターが発した言葉
「世の中に不満があるなら自分を変えろ。」
を、座右の銘にしている人って、アニメファンの中では存外多いのでは無いかと勝手に想像しております。

漫画やアニメーション作品が好きだからといっても、今の時代に「海賊王に、俺はなる!」を座右の銘にするのは、色々と問題がありそうですがね。

何かの王様になりたいことを表現したのでありましょうが、本当に海賊になったら捕まって罰せられます。



現代社会においては、フィクション作品も充実しており、人の長い歴史が伝えてきた格言や名言、言葉の数々が御座います。

それゆえに、探せば自己表現となりそうな座右の銘も見つかりそうなものであります。

現在は、冒頭でお伝えしました通り、座右の銘ランキングや座右の銘メーカーなんてものもあるくらいです。

私は、座右の銘メーカーというと、哲学者は座右の銘メーカーではないかと、考えておるのですがね。



座右の銘となり得る言葉や格言は、現代社会においては、いくらでも見つかりそうなものであると、感じるところに御座います。
406375

座右の銘はかっこいい言葉や格言で自己表現するための道具であるという風潮

座右の銘とは、現在は自己表現をするための道具という意味があると、たびたびお伝えしております。

そのためか、しばしばかっこいいと人々に感じて貰えるような、そのような座右の銘を自慢げに語る人も、いらっしゃるのではないかと思える現代社会に御座います。



言葉や概念というものは、さすらう事が御座いますから、本来的な意味から遠ざかるさすらいを経る事はやむを得ません。

しかし、それは致し方ないとしても、座右の銘との距離感や意味の頂き方をしっかりと一度は考えておかないと、言うなれば「座右の銘に負けている情けない姿」を晒す事にもなりかねません。

よく言う「名前負け」の座右の銘版です。

もっとも、人様の事を「あなたは名前負けしていますね」というレッテルを貼る事自体、私は如何なものかと思いますが。



かっこいい座右の銘で自分を大きく見せる傾向にある人は、特に注意が必要であると、私は考えております。

あなたの周囲にもいらっしゃいませんか、やたら格好良い格言を持ち出したり、座右の銘を掲げて自慢げに話す人。

自慢げに話す座右の銘や格言の話はするけれど、その言葉とはかけ離れた姿で、座右の銘が伴っていないという人も、注意深く観察すれば、結構いそうな気が致します。



座右の銘とは、本来的には「己の戒めとして持っておく格言や言葉」という意味が御座います。

従って、「私の座右の銘は、これです」と言われたら、私ならば「この人はこれを戒めとして日暮らしをされているのだな。」と、解釈致します。

がちがちに、その格言や言葉に縛られる必要はありませんが、あまりにもかけ離れている場合は、仏教の言うところの「妄語(もうご)」「綺語(きご)」を為す者と認識致します。



座右の銘は、自己表現という概念は、どうしてもくっついてまわる概念であることは、否定致しません。

ただ、座右の銘とは戒めの言葉という意味を頂いておる身と致しましては、どうも現代社会での使われ方は、かっこいい格言で格好付ける道具に成り下がっている気配を感じます。



かっこいい格言や言葉によって、格好付けている人であるかどうかは、言動と行動の一致の度合いを見れば、ある程度は把握出来る事でありましょう。
スポンサーリンク

座右の銘はかっこいい格言で自分を大きく見せる道具とする人の特徴1:衒学と自己顕示欲

座右の銘を、かっこいい格言や言葉によって、自分を大きく見せる道具としている人には、特徴的な事柄がある、と私は思うております。

現在の私は、座右の銘を持たぬ生き方でありますが、かつての私も経験した愚かな姿でも御座います。

当時の私の事であり、そして現在も愚人である私への戒めでもある話です。

私が考える、座右の銘をかっこいい格言で自分を大きく見せようとする道具として用いている人の特徴は、まとめると主に二つあると考えております。



一つ目は、
:衒学と自己顕示欲
です。



これは、「こんな格言を俺は知っているんだぜ」という、知っている格言を座右の銘としていて、それをひけらかす行為に及ぶ人に見られる概念であります。



例えば、聞いてもおらんのに、「俺の座右の銘はこれだ」とか「こういう格言がある」と、知っている言葉をひけらかす輩っておりませんか。

そして、もしかしたら自分もやってしまっている、という自覚を、ここで気づかれた人もいらっしゃるやもしれません。

そういう場合は、なんとも耳の痛い話と言いますか、眼が痛くなる文章でありましょう。



かくいう私も、自分で書いていて「私は格好悪い愚人であるなあ」と、反省させられるわけでありますが。



座右の銘や格言を話したがる心理現象の一つが、この衒学や自己顕示欲であると、私は考えております。

格言を知っている、座右の銘を持っている自分はかっこいい、そのように見せたいという真理です。

仏教においては、これを「勝他(しょうた)」といいまして、浄土宗においては「智者の振る舞い」という言葉で、法然上人が戒めて下さっています。

「勝他」も、法然上人がお弟子さんに説いて下さった言葉であります。



座右の銘を持つ事は結構でありますが、それをひけらかすような事は慎まないと、「あいつはかっこいいとでも思ってるのか」と、冷ややかな目で見られるかもしれませんから、自覚する事が大切です。
092757

座右の銘はかっこいい格言で自分を大きく見せる道具とする人の特徴2:慢の煩悩

座右の銘を、かっこいい格言で自分を大きく見せる道具としている人の特徴の二つ目は、
:慢の煩悩に支配されている
ということです。



これは、一つ目の特徴と繋がっている、リンクしている概念であります。

わかりやすい例が、「座右の銘は持つべきだ、自分は座右の銘を持っている、持っていない奴はばかだ」という思考です。

これは、全くもって他者意識が欠けている思考であり、仏教における「人間(じんかん)」という概念としても、現代社会の意味である「人間(にんげん)」としても、考えるべき事柄です。



また、自分で勝手に座右の銘を持ち、その通りに生きるのは結構ですが、それを人に押しつけるという在り方も、考えものです。

そして、このような「人に押しつける座右の銘」という在り方が、満の煩悩に支配されているという事でもあるのです。



例えば、上でお伝えした攻殻機動隊の草薙素子が作中で発した言葉「世の中に不満があるなら自分を変えろ。」を、座右の銘に設定していると致します。

それ自体には何も問題ありませんし、そのように己を戒めて生きている姿は、見習うことも御座いましょう。



厄介なのが、それを他人に押しつけるという在り方や思考です。



「俺はこうして生きている、だからお前もこうして生きろ」という人と、出会った事があるという人もいらっしゃるのではないでしょうか。

これは、他人の人生の主導権を奪う行為であり、私は戒めるべき事であると頂いております。

そして、更に厄介なのが「この座右の銘を掲げている俺様は偉い」と、勘違いと言いますか、錯覚することです。

その錯覚があるから、他人の主導権を奪うことを、平気で出来るという事も御座いましょう。



その錯覚にやられている姿が、「満の煩悩」に毒されている憐れな凡夫の姿です。



格言を座右の銘として掲げ、それを戒める事は結構なことであります。

しかし、それを他人にまで強要したり、ひけらかす事は、満の煩悩にしてやられていると、私は考えております。

静かに己の戒めとして掲げておく、これくらいが丁度良い塩梅であろうかと思います。

092090

座右の銘とは戒める意味として頂き律する事で、かっこいい人物になれる可能性が開かれる

座右の銘とは、かっこいい格言を用いて、自分を大きく見せる自己表現や、自己顕示欲を満たすための道具では御座いません。

その辺りを勘違いしていると、折角人生に張りのある言葉や格言と出会えても、単に痛々しい人だとか、イタい人で終わってしまいます。



座右の銘とは本来、格言や人生の指針となる言葉によって、戒める事に御座います。

仏教では、己に課す戒めを「戒(かい)」といい、それを律する事を「律(りつ)」と言います。

座右の銘を仏教的に頂くと、「己を戒めて律する指針となる格言」という味わいが御座います。



このような仏教的な味わいを持って頂くのが、座右の銘本来の意味とも合致しておりますし、在り方としても良い方向へ行けるのではないかと存じます。

そして、その座右の銘により己を戒め、律するからこそ、本当にかっこいい生き方を為し、格好付けなくても自然と「あの人、なんだかかっこいい」と言われるに到るのではないでしょうか。



座右の銘は、自己顕示欲を満たす自己表現にあらず、満の煩悩に支配されるためにあらず、このことを戒めておきたいもので御座います。



今回の話では、自己顕示欲や衒学についても触れておりますから、こちらも参照して頂くとよろしいかと存じます。

参照:「自己顕示欲とは」

参照2:「自己顕示欲の意味と抑える方法を仏教から学ぶ」

参照3:「自己顕示欲の強い人の心理と仏教の智慧」



また、「衒学」「勝他」については、こちらで詳しく解説しております。

参照:「上から目線の心理|衒学編」

参照2:「自己顕示欲の強い人の特徴と仏法」



座右の銘とは何か、改めて意味を学び直し、仏教的な味わいと頂き方と共に、良い塩梅となる距離感を掴んで頂く一助となれましたら、大変嬉しく思います。



合掌

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加