由来の意味を英語|辞書には載っていない教養

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

このお堂(ブログ)では、仏教用語・仏教由来の言葉や、その意味についてたびたびお伝えしております。
142916 言葉の由来や意味を辿って行くと、仏教に行き着いたり、由来や意味を深掘りする過程で、教養が身についたり深い味わいを感じた人もいらっしゃるかと存じ上げます。



そもそも、私も由来由来と言うておりますが、では、「由来の意味」を、きちんと説明出来ますでしょうか。

お子さんに「由来って言う言葉の意味って何?」と聞かれたら、果たして答えられるかどうか、問われてから「そういえば」と気づく事も多々あるものです。



今回は、何気なく使っている「由来」という言葉の由来と意味を、英語からも観る事で、仏教的な味わいも同時に味わいたいと思います。

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由来の意味を英語で学ぶ前におさらいしておくこと

由来という言葉の意味は、恐らく「歴史」などの言葉と概念のように、「由来は由来だろう」という、わざわざ因数分解したり改まって説明しなくても、認識されているかと存じます。

この辺り、言語学の話をすると、「シニフィアンとシニフィエがくっついて、シーニュとなる」と言うのですが、ここではその事は省略致します。



由来の意味は、概念としてすでに説明不要なレベルにまできちんと理解している人が、この文章を読んで下さっているだろうと、私は想像しておりますが、あなたは如何でしょうか。

でも、改まって言うからこそ、当たり前を問う事が大切であり、当たり前を問う事を教えて下さるのが、仏教の有り難さと尊さでも御座います。



「由来」という言葉の意味は、国語辞典的な解答は、
:物事の歴史、元々、元来、起源、由緒
です。



「由来する」というように、動詞として使われる場合は、元々・元来や起源から辿ってきた歴史や経緯、さすらいという動的な事柄も見えてきます。

現在の10代から20代くらいの若い世代は、もう使わなくなったかも知れませんが、「~のいわれ」の「いわれ」は、由来と置き換えることが出来る言い回しです。



そして、由来の語源、言うなれば「由来の由来」や言葉の成り立ちですが、これは語源辞典を紐解いても、載っておりませんでした。

語源について、これは学術的な根拠がない、私の勝手な想像ですが、こんな事を考えております。



由来の「由」は、「自由」や「由緒」などに使われている言葉で、仏教的な頂き方をすると、「いわれ、物事が生じた理由、そこから出てくる」という意味です。

「由来」の「来」は、そのまま「来る」という意味です。

つまり、「いわれ、物事が生じて、そこから来ること」ということで、この言葉自体がすでに動的な響きと文脈を有していると、私は頂いております。

「起源や物事の発生源から来る物事、来た事柄」という意味の頂き方をすると、語源も何となく見えてくるよな、そんな気が致します。



ちなみに、仏教が説く「自由(じゆう)」は、禅語としても紹介されておりまして、「フリーダム」という意味ではなく、「自らに由する」という意味や解釈がなされます。

「自らの拠(よりどころ)を自らとする」「自己の責任を自己に問う克己心」を思わせて頂ける仏教用語であり、禅語であります。

「私は自由だ」と、自己啓発セミナーで叫ばせる我利我利亡者な講師がおりますが、あれは恐らくフリーダムという意味で、自己に由していない無責任な叫びであろうと冷ややかに観ております。
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由来の意味を英語から紐解く1:history

由来の意味を、今度は英語から紐解いて行くことと致しましょう。

日本語、母国語の意味を頂く時に、他言語からアプローチ・接近していくという方法は、比較宗教学的なアプローチに思えて、なんだか知的好奇心をかき立てられます。

この知的好奇心や探究心も、ややもすれば刺激であり、煩悩扱いされそうですが。



由来の英語を調べてみると、二つ見つかりました。



一つは、
:history
です。

これは、「歴史」とも訳される言葉です。



「由来」が、なぜ「歴史」という意味を持つ「history」という英語で表現出来るのか。

これは、例えば言葉の由来、意味の由来を学んだり調べて行くと言う事は、必然的にその言葉の歴史を辿ることになるからであろうと、私は考えております。

物事の由来なり起源を辿ると、その物事の歴史を辿ることでもありますゆえに。



この事を踏まえると、例えば「Aの由来はBです。」と言う場合、英語では「The history of the A is B.」と表現出来ます。

「由来」は、歴史という意味、歴史を辿るという意味なり文脈がある言葉である、英語からアプローチした事で、私はこのような味わいを頂いております。
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由来の意味を英語から紐解く2:

「由来」という意味を持つ英語は、「history」以外に、もう一つ御座います。



それは、
:origin
という英語、英単語です。



「origin(オリジン)」というと、もしかしたらアクションRPGがお好きな人ならば、「イースオリジン」を思い出されるやもしれません。

「origin」とは、「original(オリジナル)」という言葉をご存じならば、何となく言葉の意味も把握出来るかと存じます。



「origin」の意味は、「生まれ、起源、源、原因、素姓(すじょう)」の事です。

「日本語の起源、日本の起源の言葉」は、「a word of Japanese origin.」という英語表現を使う事が出来ます。



教養を深める、という趣旨の事を、表題で申し上げておりますから、「original」という英語についても、申し上げておきましょうか。

「original」というと、現代社会では「独創性」だとか、個性的である、という意味で使われております。

その他にも、「origin」と同じく「起源の、根源の、最初の、原型」という意味も御座います。



話を「由来」の意味を英語から観る事に戻しまして。



由来の英語表現が「origin」というのは、由来そのものに「起源」という意味がある事と、言葉や物事の歴史を辿ると、必然的に「起源:origin」に辿り着くからであろうと、私は読み解いております。
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普段何気なく使っている言葉について、言葉そのものや意味の由来を辿る事は教養を積む事に繋がる

由来由来と、我々は普段何気なく、「これこれの由来はこうだ」と、使っております。

由来の他にも、意味を何となく把握しているというレベルの言葉は、特に意識する事なく使っている、という事に気づかされます。



私は、自分が使わせて頂いている言葉について、「この言葉は、この使い方でよかったかな。」と、自信がなくて不安になる事が、しばしば御座います。

昔は、こういうことを思うたびに「不勉強だなあ」と、内省して落ち込んでいたものです。

今でも、落ち込むことはあるのですがね。



ただ、仏教と学んでからは、このような物事や言葉に対する不安というものは、調えて味わう事で、仏教的な在り方にも繋がると、頂くようになったものです。



普段、何気なく「この意味が正しい」と思い込んで使っている言葉について、改めて由来だとか意味を辿る、ということは、なかなかしないのではないかと存じます。

私も、よく辞書を引いたり語源を調べるなど、使う言葉の由来や意味を改めて学ぶようにはしておりますが、全ての言葉をいちいち調べているわけではありません。

あなたも、いちいち自分がこれから発する言葉を、辞書を引いて確かめると言う事は、何らかの環境が整っていないと、なかなかされないのではないかと存じます。

ビジネスパーソン、仕事をしている人ならば、慎重に資料を作成するときなど、それくらいしか言葉の由来や意味を気にする機会も無いのではなかろうか、と想像致します。



ちなみに私は、仏教者として仏教の言葉に関心が高く、またライター業に近い事をしているために、日本語と英語の語源辞典を使わせて頂く環境に恵まれておりますが、四六時中というわけでは御座いません。

あなたが言語学者であったり、国語の先生であったりライター業に携わっている場合は、辞書を引いたり言葉の由来にアプローチする頻度は高いでしょうが、それでも四六時中とはいかないかと存じます。



私はそのような由来にアプローチする事になる環境や場面、そして「あれ、この言葉の意味ってこれであっていたっけ?」という不安を大切にしたい、そのように思うております。



言葉に慎重にならざるを得ない環境や場面であったり、言葉の意味に不安を感じる事は、その言葉の由来に接近する貴重な機会です。

言葉の意味をあまり知らず、言葉を使うことに自信が無い人は、それだけ言葉の由来やさすらい、歴史を学ぶ機会が多い事である、私はそのような味わいを頂いております。



何気なく使っている言葉に対して不安を感じている人は、実は「言葉の由来に到達する御縁を頂いている」のである。

そのような認識をして頂くと、気持ちも善い方向に向かうのではなかろうか、そのように思います。



それに、言葉についてきちんと不安に思えるという心と意識をお持ちである人の方が、言葉に敏感で言語的感性が磨かれていくような、そんな気が致します。
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由来という言葉から、物事の意味を改めて問う事の大切さを学ぶ

物事の意味を知る、言葉の意味を由来から学ぶ、というアプローチは、そもそもとして「この物事、言葉の由来はなんぞや?」という問いを発する事が、きっかけとなります。



私は、由来という言葉からは、「その由来・起源に辿り着く教養の旅」という意味と共に、「物事を問う大切さ」も、学ばせて頂いております。

そして、これは仏教的な物事へのアプローチでもあるのです。



これは、真宗大谷派の僧侶から学んだ事ですが、我々は日暮らしの中で、「問いを立てる、当たり前を問う」という事は、なかなかしないものです。

確かに、いちいち問いを立てて生きる事は、スピード重視の社会と言われている現代社会においては、取り残される事にもなりましょう。

速さが重視される故に、問う前に活動する、「質問する前に行動しろ」という自己啓発の文言が跋扈しているのも、このような速さが問われる現代社会においては、頷ける部分も御座います。

私は、それ一辺倒では危なっかしいとは思いますが、その一方で「考える前に行動する」「根拠を求めない」という事は一理あるという場面もあるだろう、とも頂いております。



でも、スピード偏重社会ゆえに「改めて物事を問う」「言葉の意味を問い直して由来に接近する」と言う事が疎かにされすぎていないか、そのような事も危惧しております。



当たり前を問う、と言う仏教的であったり、哲学的な物事へのアプローチは、物事の本質や芯・核となる部分を見定める事にも繋がります。

そしてそれは、教養を深める、教養を積む事にも直結致します。

教養を積みたいという人は、この「由来を辿る」「物事や言葉の意味を改めて問い、その由来や歴史に接近する」という事を、考えて見ては如何でしょうか。

そのためのきっかけが、「問う、問いを立てる」という事であろうと、私は頂いております。

更にそのきっかけとして、このお堂(ブログ)でたびたびお伝えしております、仏教用語から始めるというのも、一つの方法です。

参照:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|6回目」

参照2:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|仕事編」

参照3:「仏教用語と仏教的な言葉まとめ|人間関係編」





あなたが教養を積まれたり、物事の本質に迫る考え方や在り方を育まれる一助となれましたら、嬉しゅう御座います。



合掌

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