上から目線の心理|衒学編

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは、上から目線という言葉を見聞きすると、何を思われるでしょうか?
354850 上から目線というと、「あいつは上から目線で人を見下すから気に入らない」など、穏やかな使われ方はあまりしない印象の言葉です。

上から目線は、目線の一から考えて人を見下す態度に捉えられる言葉ですね。

どうして人は上から目線になってしまうのか、そのような人の心理はどうなのか、知りたがる人もいらっしゃる事でありましょう。

上から目線で人を見下す心理や態度は数在れど、今回はその中で「衒学(げんがく)」という事について、仏教の智慧をお借りしながら紐解いていきます。

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知識をひけらかして上から目線になる心理・衒学

上から目線になってしまう心理の一つとして、私は「衒学(げんがく)」ということがあると考えております。

衒学とは、
:知識や学問を自慢したり、見せびらかすこと
という意味の言葉です。



これは、知識を持っているとか、よく勉強している人だけに当てはまる言葉ではありません。



例えば、誰かと一緒にクイズ番組を観ていたとしましょう。

その時、たまたま自分の知っている答えの問題が、クイズ番組で出題されたとき、あなたはどのような衝動に駆られるでしょうか?

「あ、この問題の答え知ってる!」と思って、ついつい答えを言って、知識をひけらかしたい、なんて衝動にかられませんかね。



クイズ番組ではありませんが、私は似たような状況で、ついついやらかしてしまいそうになります。

クイズ番組でのやりとりは、まあ、可愛らしいものだとは思うのですが、これが職場なり人付き合いの中で、頻繁になされたら、どのように思われるでしょうか?
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衒学により上から目線の心理「名利心」

衒学をやらかしても、中には、「あんまり知識自慢しないでね、上から目線っぽくてうざい。」と言ってくれる人がいれば、反省の機会もあるというものです。

しかし、そのように戒めてくれる人ばかりではありません。



色々な心理学の本等には、自尊心をくすぐったり、自尊心を満たして上げる事で、人間関係が良好になる、と教えていたりしますから、褒めたり称えてくれる人もいらっしゃいます。

「へえ、凄い、物知りだね」なんて褒められた日には、天狗になったりちょっと良い気になってしまうものではないでしょうか。

中には、「先生だね」とか、オーバー(行き過ぎ)なくらい褒め称えてくれる人もいらっしゃるでしょう。



親鸞聖人は、このような事を「正像末法和讃(しょうぞうまっぽうわさん)」という和讃で、次のように仰っています。

「名利に人師をこのむなり」
(名利心や利益が欲しいと言う思いにより、人から先生と呼ばれる事を好んでいるこの私で御座います。)



この御言葉・和讃は、自分事として私も頂いておる次第で御座います。

私の場合は、毎日法然上人の御言葉「智者のふるまいをせずして」という「一枚起請文」の御言葉を頂いておりますが、親鸞聖人の「名利に人師をこのむなり」も、大切にしております。



ほんと、油断しているとふとしたきっかけで、今回の話では衒学をやらかしてしまって、でも周囲が褒めてくれたり先生扱いして下さると、ついつい天狗になってしまうものです。
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衒学が行き過ぎると、上から目線の心理「名利心」により人を見下す輩になる

衒学とは、上でお伝えしました通り、知っている事、知識や学問を自慢してひけらかす行為であります。

出来る事を出来ない人に見せびらかす行為も、同類です。

「ねえねえ、こんなこと知ってるんだよ、聞いて聞いて」という事で留まっていれば、まだ可愛らしいものです。

私としては、あまり可愛げを感じませんがね、それは人それぞれの感性に委ねます。



ただ、これが行き過ぎると、上から目線の心理「名利心」によって、ついには人を見下す態度に出たりしてしまうのです。



このことについて、典型的な例は以下のような話です。

これは、私が実際に経験した話であります。



私の友人に、飛び道具が好きで、飛び道具について詳しい人がいます。

「飛び道具」とは、人を傷つける武具であり、社会問題としてたびたび取り上げられる武具のことです。

その飛び道具について詳しい友人は、色々と話をしてくれるのですが、私はその仕組みなどを全く知らないから、「それはどういうことですか?」と、わからないことを聞く事がたびたびありました。

そのような中で、その友人に、
「そんな事も知らないのか?一般常識だろう。」
と言われたものです。

その後「この動画を観て勉強しなさい。」と、まあ、ご丁寧に飛び道具について学べる動画の情報を授けて下さって、説教して頂いたものであります。



当時の私は「上から目線で見下された、知らない事を馬鹿にされた」という思う事もありました。

今では、それは私の煩悩による色眼鏡だったのだろうと、反省するところであります。



ただ、私が言われた「そんな事も知らないのか?」とか「そんなの、一般常識だ。」という言い方をされると、あなたはどのように思われるでしょうか。

煩悩具足の凡夫であり煩悩まみれな私でなくても、カチン、とくる人もいらっしゃるやも知れません。



よく学び、知識を得る事は、決して悪いとはもうしません。

ただ、そこから衒学と上から目線の心理「名利心」が絡み合うと、ろくな事にはならないことは、体験から把握しております。

最悪の場合は、人間関係がぎくしゃくしかねませんからね。
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衒学の上から目線の心理に効く仏教の智慧「出会わせて頂くご縁」

衒学、知識をひけらかして自慢したり、上から目線の心理となる「名利心」との絡み合いは、自尊心や「自分が可愛い」という人間の精神をくすぐったり揺さぶるものです。

平たく言えば「ええかっこしい」ですが、これは多かれ少なかれ、抱いてしまうのは仕方の無い事であると、一方では思うております。



釈尊・ゴーダマブッダも、「ウダーナ・ヴァルガ」といにおいて、
「人は、自分が一番可愛いと思うものです。」
と、説いて下さっていて、確かになあ、と思う次第であります。

自分が一番可愛いと思わず、「為す事全て他者のため、生き様は終始一貫して他者のために尽くす」というのは、最早菩薩行であり、菩薩様です。

確かに菩薩様みたいな人は、いない事も無いでしょうが、菩薩そのものにはなれません。

目指すのは尊いと思いますがね。



それを踏まえ、自分が可愛いという思いから、「名利心」が芽生え、上から目線の心理と化してしまうがあるのが、我々煩悩具足なる凡夫の身であります。

もちろんこのことは、私への戒めでもあります。



では、衒学をやらかしてしまったり、そこから名利心と絡み合って、上から目線の心理を突っつかれて肥大させてしまわない智慧はあるのでしょうか。



その智慧は、仏教の「ご縁」に学ぶ事が出来ます。



仏教では、「縁(えん・えにし)・縁起」を大切に説いております。

「縁起(えんぎ)」の表題や、色々な所で、「ご縁」の大切さはこのお堂(ブログ)で説いてきました。

参照1:「縁の意味を英語で学ぶ」

参照2:「縁起のいい日と言うけれど」



今回の話においても、この「ご縁・縁起」という教えが凄く妙薬となってくれます。



我々は、何かを知る際に、一所懸命勉強したり、知識を得るために何かと行動致すものです。

ともすると、「その知識を得るために勉強した自分は偉い」と、思うこともあるでしょう。

これが「衒学」の「縁起」となり得ますし、その事から上から目線の心理となってしまいます。



そこで、仏教の智慧「ご縁・縁起」を拝借すると、このような考え方や頂き方が出来ます。



ある「Aという知識」を得るために、確かに一所懸命勉強したという自力のご縁は関わっているでしょう。

でも、その「Aという知識」を得るに到ったのは、あなたの自力による勉強だけでしょうか。

確かに、自力の勉強によるというのも一つの「ご縁」ですし、それは「Aという知識」と出会う大切な要因です。

自力による勉強は大切な一要因ですし、向上心にも繋がる事ですから、大切にすべき事だとは思います。



しかし、「Aという知識」を得るに到ったことには、様々な目に見えない「ご縁」の働きもあるのではないでしょうか。

私はこのように仏教の「ご縁」の智慧から「その事柄に出会わせて頂いていた」という味わいを頂いており、そのように考えております。



本によって「Aという知識」を得たならば、その本を書いて下さった方や編集して下さった方、本の材料をこしらえて下さった方々など、数多のご縁に支えられております。

そう考えると、「Aという知識」にあなたが出会ったのは、数多の労によって「出会わせて頂いたご縁」も、みえてくるのではないか、私はそのように思えるのです。



それを思うと、私は上から目線の心理や名利心に毒されていたり、衒学に陥っている場合ではないと味わいを頂くのですが、あなたは如何様に感じられるでしょうか。



衒学は、人からは上から目線の心理に毒されて、知識自慢をしているように映る事がしばしば御座います。

このことについて、仏教の智慧や、浄土宗の法然上人や真宗・浄土真宗の親鸞聖人も、戒める教えを伝えて下さっています。

名利心を戒めて、上から目線の心理に毒されない親鸞聖人の和讃は、上でお伝え致しましたね。



上から目線の心理に毒され、衒学をやらかしてしまい、人々から白い目で見られないように、ご縁に感謝する事を意識する事で、上から目線の心理に陥らぬように、つとめたいものです。

もちろん、これは私への戒めでも御座います。



合掌

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