律儀とは現代人がないがしろにしている概念|ゆえに意味を改めて学ぶべし

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは、律儀とはどのような意味があり、どのように使われている言葉でしょうか?
ƒvƒŠƒ“ƒg 「あの人は律儀な人だ。」と言うと、律儀だと言われている人に対して、実直で真面目な印象を持つのではないかとお見受け致します。



律儀とは、現代社会での使われ方も意味も、良い意味で使われる傾向を感じております。

律儀の度が過ぎれば、真面目すぎるとか、お堅いというイメージ・印象で捉えられる事もありそうですが。



実は律儀とは、読み方や発音によっては、仏教用語として使っていたり、仏教用語としての意味で捉える場合も御座います。

今回は、現代社会でこそ改めて学びたい、律儀とは何か、その意味を学びなおそうと思います。

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律儀とは何か、まずは現代語・日常語の意味をおさらい

律儀とは何か、仏教用語としての意味を学ぶ前に、まずは現代語、現在日常語としての意味と使い方から、おさらいいたしましょう。



律儀とは、現代の国語辞典的な意味としては、
:義理堅く実直な人
です。



正直な人であったり、几帳面な人は、「律儀な人、律儀者」という言われ方をしますし、律儀とは良い意味で使われるという語感が御座います。

「あの人は律儀な人だ」という場合には、几帳面であったり正直者である、という印象を持つ人も多いのではないかとお見受け致します。
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律儀とは何か、仏教用語としての読み方と意味を学ぶ

次に、律儀の仏教語・仏教用語としての読み方と意味についてです。



律儀とは、仏教用語として読む場合「りつぎ」と読みます。



仏教用語としての意味ですが、「戒律」という言葉を知っている人ならば、何となく察しがつくのではないかと思われます。

有り難い事に、その仏教用語としての意味が、語源辞典にも掲載されております。

私が使わせて頂いている語源辞典には、「律儀(りつぎ)」とは掲載されておりませんが、「律儀者(りちぎもの)」という項目にて、仏教用語としての意味を掲載して下さっていました。



語源辞典には、「律儀者:仏教語・仏教用語、戒律を守り威儀をととのえて、一切の悪行をしないこと、転じて実直で義理堅い人、正直な人」とあります。

仏教用語としての意味を掲載して頂いておったとは、なんとも有り難い話です。



もう少し詳しく、律儀とは何かを仏教用語として解説しますと、元を辿るとサンスクリット語の「サンバラ」の意訳です。

「サンバラ」とは、
:抑制する、防止する
などを意味する言葉です。

身を制する、調えるという事を言いあらわし、悪行をなしたり悪に陥る事を未然に防ぐ戒を律する、という意味です。

善行の事を指し示す言葉でもあり、仏教用語としての「律儀(りつぎ)」も、現代においても良い意味だと捉えられる意味の言葉であると、私は味わい、頂いております。
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現代は律儀がないがしろにされていないか

律儀とは、仏教用語としても、さすらい転じて日常語として使われるようになった意味も、よき意味であるという感覚が御座います。

律儀者という人物像、律儀な人というのは、目指してもよさそうな、そんな印象さえあります。



しかし、現代社会においては、律儀であることや、律儀な人であるということはないがしろにされていないか、そのような事を思う時があるのです。



現代社会において、効率化のために時間短縮をしたり、手間を省くことが推奨される傾向に御座います。

特にインターネットビジネスやらなんちゃらビジネスやらは、最小の手間で最大の稼ぎを、なんて事を謳い文句にして集客している我利我利亡者も目立ちます。



確かに、経済的な話をすれば、それはそれで一つの指標でありますし、一概に悪いとは言えません。

しかし、それゆえに必要な手順をすっ飛ばしたり、丁寧さが薄れていくのではないか、そのような懸念・危惧も一方であるのです。

そして、速さを求めるあまりに、物事が雑になって言ってしまう、そのような怖さもあると、私は観ております。



律儀とは「儀を律する」という解釈も出来ます。

「儀」とは、「調えられた人の姿、調えられた様相」の事であり、調えられた自己であるように律する事だという味わいがあります。

「律儀」に事を為していくことによって、自己が調えられていき、そこから実直な人であったり、正直な人、几帳面な人になっていくことに繋がる、私はそのような味わいと頂き方をしております。

現代社会において、速さを求めて仕事が雑になったり、儀を律していない姿、つまり調えられていない姿を晒すことが多くなってきていないか、その事を改めて考えたいものです。



スピードの時代とか、効率化の時代と言われている現代社会において、もしかしたら律儀とは、少々お堅くて融通が利かないイメージ・印象があるやもしれません。

しかし、効率偏重になってしまって、物事が雑になってしまわないために、律儀と言う言葉の意味と概念を、改めて考えたい、そのように思う現代社会の様相であります。
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人にこそ律儀であるべきなのに

律儀とは、現代的な意味として「義理堅い」というのがあり、律儀な人・律儀者と言えば「義理堅い人」という意味で捉える人も多いのではないでしょうか。

しかし、現代社会においては、この「義理堅い」という感性そのものが薄れているような、そんな気配もあります。

仏教が説く教義において「無縁」と言う事はありえないと私は頂いておるのですが、現代社会で「無縁社会」という言葉を使って特集が組まれる事があることを考えると、そのような考えが頭をよぎります。



社会で生きていく、生活をしていく上で、物事に対して律儀で有る事、手順を守ったり実直である事は、お堅いかも知れませんが堅実で大切な事であると、私は思うております。

特に、律儀が内包する意味の「義理堅い」という概念は、人に対して律儀であるという事ですから、凄く大切であると私は味わっております。



ところが、現代社会において、人に対して律儀な人というのは、どれくらいいらっしゃるでしょう。



これは私が自身に対する戒め、自戒の念も込めて申し上げております。

不義理を働かないようにしていても、ついつい人との付き合いで律儀さを失ってしまうことがあり、反省する毎日で御座います。



人に対して不義理を働き、律儀という言葉も概念も知らないと思われる典型的な例が、インターネットビジネスやら自己啓発系ビジネスでよくみられます。

なんちゃらネットビジネスや自己啓発系ビジネスにおいては、そもそもとして人では無くてお金しか見えていないのだから、人に対して律儀になれるはずもありません。

お金だけ取って、後は知らんとか、お金を払って下さったお客様に責任を負わせるなんてことは、日常茶飯事の世界です。

まさに不義理の典型例でありましょう。



自己啓発セミナーなどの講師や詐欺師による不義理は、私も実際に体験して目の当たりにしました。

参照:「自己啓発のセミナー危険な実態|大阪での体験談」

参照2:「自己啓発セミナーの断り方の実例」



我々は、そのような我利我利亡者が為す不義理を目の当たりにしたら、反面教師として活かし、義理を大切にする律儀な人でありたい、そのように頂くようにしたいものであります。

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律儀な人になるために、律儀とは何かの意味を改めて学び、丁寧な暮らし・丁寧に生きる事

律儀な人になるためには、どうすればよいのか。



まずは、上でお伝えしてきた意味を学び、律儀とは何か、それをご自身の血肉となる程までに落とし込む事です。



その上で、抽象的な言い方になりますが、
:丁寧な暮らしをする、丁寧に生きる事
が、律儀な人になるための一つの道である、私はそのように考えております。



律儀とは、堅実で実直な事であり、仏教用語としての意味も、戒を律するということは堅実さと丁寧さが求められることであると頂いております。

自分が「これを戒めとして、その戒めを元に自己を律していく」と決めて、それを丁寧かつ実直に為し続けていくことにより、律儀な人になるのではないかと思うのです。



例えば、食事の時に必ず合掌して「頂きます」を毎日丁寧に行い、食事を終えたら合掌して「ご馳走様」を丁寧に行う、というだけでも、律儀な人になるための修行となり得ます。

そして、この食事の最初と最後の手順をしっかりと律していくことは、まさに「儀・調えられた姿」を丁寧に習慣化していく姿ではないでしょうか。



まずは身近な事から、出来る事から着実に、丁寧に為していく、そこに律儀な人の姿がある、私はそのような味わいを頂いております。



合掌

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