思考停止と考えすぎる状態の中道

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは「思考停止」と言う言葉を聞くと、どのような事を連想されるでしょうか?
442011 人間は思考する生き物という言われ方もして、思考をする事は大切な事だと教わって育ってきた人もいるでしょう。

そういう人にとっては、思考停止という言葉や概念は、悪と見なすこともあるやもしれません。

実際に、よく考えないで行動して、失敗をやらかすという経験をする事がありますから、思考の大切さは否定出来ませんね。



でも、逆に思考してばかりで、考えすぎる状態も時には弊害になることだってあります。

「思考停止状態」と「考えすぎる性格や考えすぎる状態」と、どのように付き合っていけば良いのか、そのヒントが仏教の智慧にあります。

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思考停止による現代的な悪を説いたハンナ・アーレントさん

くしくも、「世界一受けたい授業」にて、アドルフ・アイヒマンという人物について特集が組まれています。

恐らく、何故アドルフ・アイヒマンが番組で紹介されるようなことをするに至ったのか、その事を解説されてくれるでしょうから、詳しい事はそちらに譲るとします。



解説では、恐らく「イェルサレムのアイヒマン」や、映画「ハンナ・アーレント」も出てくるだろうと推測しております。

ちなみに私は映画館で映画「ハンナ・アーレント」を視聴致しまして、上手くまとめられていたなあ、と感じたものです。


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アドルフ・アイヒマンとハンナ・アーレントさんを語る上でのキーワードとなるのが
:悪の凡庸さ・悪の陳腐さ
です。

ここでいう「陳腐」というのは「つまらない」という意味では無く「ありきたり」という意味です。



ハンナ・アーレントさんは「アイヒマン裁判」と呼ばれる裁判を傍聴し、そこで見出した事を「イェルサレムのアイヒマン」という本に記されています。

アイヒマン裁判を傍聴する前、ハンナ・アーレントさんも「アイヒマンはどんな極悪人なのか」と思っていたそうです。

が、裁判を傍聴すると、極悪人である部分は見られず、アドルフ・アイヒマンについて「典型的なお役人」という人物像しか見当たりません。

そうしてハンナ・アーレントさんという哲学者は、アドルフ・アイヒマンについて
「思考停止状態だった」「思考不能に陥っていた」
と解析し、誰しもアイヒマンになり得るという事を発表するに至ります。

世間の意識や見解とは全く違っていた事もあったからでしょう、「悪の凡庸さ」「思考停止状態の危険さ」を発表した当初は、非難も多かったそうです。



これは極端な例かもしれませんが、ここで言いたいことは、
:誰しも環境や条件や時節(タイミング)によって、思考停止状態に陥る
:同調圧力などの作用で思考停止状態に陥り、多田命令に従うだけになる
という現象に陥る事は、誰しもあるということです。

アドルフ・アイヒマンとハンナ・アーレントさんを学んだ人ならば、思考停止は悪いことだという印象を持たれている人も多いのではないかと思います。



思考停止してしまって、アイヒマンのように「ただ命令に従うだけ」「周りに流される」事は、自分で物事を考えたり判断するストレスから解放されますから、楽な生き方という見方も出来ます。

思考停止状態は「脳に汗を掻かない状態」で、考える労力を使わなくなりますから、楽であると言えば楽です。

「人間は楽に流れる」という事は昔から言われており、仏教でもそのような怠け心を戒める教えが多々あります。

自分が楽をしたいがための思考停止というのは、確かによろしくない印象があるのは頷けます。



ちなみに、この「思考停止状態」を意図的に創り出して、我々から財産を搾取する手法は、現代社会では多々見受けられますね。

怪しい宗教的自己啓発セミナーとか、なんちゃらビジネス講座やコンサルティング・コンサルタントの類いが、よく使っております。

こういう輩に大切な財産と人生を奪われない智慧として、思考停止状態に陥らないことは、確かに必要です。
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思考停止状態も危険だが「考えすぎること」にも注意すべき

アドルフ・アイヒマンとハンナ・アーレントさんの話は、「思考停止」の極端な例だとは思います。

ですが、私たちもアイヒマンにならないように気をつける意識は持っておいた方が良いでしょう。



ただ、思考停止状態の危険性はあるとしても、逆に「考えすぎること」も、注意が必要です。



あなたは「君って物事を考えすぎる性格だよね」なんて言われた事って、ありませんか?

「私って、考えすぎる性格だ・・・。」
「この考えすぎるのは性格ではなく、最早病気じゃないだろうか?」
と、考えすぎる自分を克服したいと思う人もいらっしゃるでしょう。

その解決策を探して、このお堂(ブログ)にお越し頂いたということも在ると思います。

そうした「考えすぎる性格や在り方」で悩む人の解決策を提示している自己啓発本が、本屋にずらりと並んでいることからも、需要が窺えます。



最近ですと、決断を施すために「考えすぎると行動に移りにくくなる、考える前にまず行動」というフレーズもたびたび目にしますね。

特に、自己啓発に嵌まっている人や、なんちゃらビジネスのマインドセット論者がよく使っているフレーズです。

私の個別的意見として、後先考えずにまず行動というのは、どうかと思う立ち位置におりますがね。

「考えるよりまず手が出る」なんてのは、暴力を肯定することになりかねませんし。



それに、考え無しの決断や行動は、詐欺師に金銭を渡してしまいかねませんから、「考える前にまず行動」という言葉も、あまり鵜呑みにはしない方が得策です。



ただ、「考えすぎる」という事が、足かせになったり弊害となる場面が有る事も、また確かです。



何かをする際に考えすぎる状態に陥っているときに考えていることは、おおかた「失敗したときの不安」「起こるかどうか不確かな事柄」についてではないでしょうか。

これは、まだ来ていない未来に囚われている状態であり、仏教が説く「今を一所懸命に生きる」という事と離れている在り方であり生き方です。



思考停止状態も行きすぎると悪を為す危険がありますが、考えすぎる状態も、また身動きが取れない状態を引き起こすことになります。
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思考停止と考えすぎることのどちらにも偏らない仏教の智慧「中道」

思考する事は大切ですが、考えすぎると苦しみになります。

かといって、思考停止状態のままで良いかというと、これまた弊害があります。

どちらか一方に偏るのは、よろしくありません。



では、どうするか。

ここで、仏教の智慧「中道(ちゅうどう)」という考え方が活きてきます。



人間は、なんでも一日中思考している生き物で、一日に6万回だとか、10万回ほど思考しているという研究データがあるそうです。

数字をどうやって出したのか気になるところですが、言われてみれば確かに「何かにつけて何か考えているなあ」と、気がつくものです。



例えば、お茶を飲んでいても何か食べている時も、お茶の味を楽しむ事なく、目の前の事と全く違う事を考えていませんか?

何度かお伝えしている
:喫茶喫飯(きっさきっぱん)
に、なりきれていない状態の方が圧倒的に多いでしょう。

寝ようと横になっても「明日の段取りは・・・」と、睡眠状態に入るその瞬間まで、考え事をしているという人も多いのではありませんかね。

かくいう私もそうなのですが。



そこで「思考停止」と「考すぎる状態」の中道を行く方法として、
:意図的に思考停止状態を作る時間を設ける
:思索にふける時間を設ける
という智慧を紹介致します。



私の場合でしたら、朝と夜の勤行で「只管、御経や偈文、お念仏を称えさせて頂く」という事をやっております。

また、勤行の後には坐禅を組んで、全く考え事・思考をしない時間を設けております。

やってみれば分かるのですが、坐禅中も次から次へと、色々な思考が頭を巡ってきます。

禅寺で修行中ならば、毎秒警策で叩かれまくっている状態でしょう。

ただ、坐禅を日常に組み込んでいるからこそ、
「思考状態を意図的に維持するのは難しい」
と気がついたのですがね。



現在、ご自分が「考えすぎる性格を何とかしたい」「この考えすぎる癖は病気なんじゃないだろうか?」とお悩みの方にとっては、ヒントとなるのではないでしょうか。

:1日の中で5分でも10分でも、意図的に思考停止時間を設ける
という、仏教の智慧から拝借した活動をためしてみると、思考のバランスが取れて、良い方向に向かうやもしれませんよ。



そして「最近は考え無しに行動する事が多く思考停止気味なんじゃないかな?」と思うならば、
:短時間でも、濃縮した思考・思索時間を設ける
という事を、生活の中に取り入れてみては如何でしょうか。



両方を実践する事で、「思考停止」と「考えすぎる状態」のどちらにも偏らない「思考の中道」に行けるのではないか、そんな事を思い、私も日々仏道を歩む次第であります。



合掌

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