七夕で願い事を短冊に書く作法

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは、七夕祭りの催しの際、五色の短冊に願い事を書いたことは御座いますか?
453505 各地の七夕祭りや、学校や地域が行う七夕祭りの行事では、一般参加で笹に願い事を書いた短冊を結ぶ催しもあるものです。



私は、神頼みや御仏にお願い事というものをしたことが無く、学校の七夕祭りの時は、何を書くか困ったものです。

ただ、私はこういう伝統行事は好きなこともあり、「有難う御座います」など、感謝の言葉を書いて笹に結び付ける形で参加する事はあります。



今回は、このような七夕に願い事を短冊に書くという事について、その由来と仏教的な考え方や作法についてお伝え致します。

作法と言っても小難しい事ではなく、心構えや考え方、という捉え方をして頂ければ幸いです。

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短冊に願い事を書く事に関わる七夕の由来

以前、七夕の由来について、諸説在るとお伝え致しました。

参照:「七夕の由来と様々な風習の意味と仏教」

今回お伝えする七夕の由来は、願い事を短冊に書くという事に繋がる七夕伝説と言いますか、由来です。

今回お伝えする七夕伝説や由来は、中国の話です。



あなたは、乞巧奠(きこうでん・きっこうでん)という言葉をご存じでしょうか?



乞巧奠(きこうでん・きっこうでん)とは、中国のある女性が、7月7日に7つの糸に針を通すという風習の話です。

見事な古代のスリーセブンです。

古代中国では、手芸の上達を願う宮中行事として伝わっており、日本では奈良時代に伝えられています。

手芸の上達を願うという由来や意味は「乞巧」という文字からも連想出来ますね。

「巧みを乞う」ということ、つまり手芸が巧くなる事を乞う、願うということです。



日本では、江戸時代に庶民の間にも広まっており、現在は五色の短冊に願い事を書くという風習に、由来の伝達が観て取れます。

でも、現在は七夕で短冊に書かれるお願い事それ自体は、この「乞巧奠」に由来していないことが多い気がします。

「あのゲームソフトが手に入りますように。」「恋が成就しますように。」とか、そんな感じではないでしょうか。

もちろん「世界平和願い奉る」という高尚な感じがするお願い事もありますが、それも「乞巧奠」とは離れています。

これはこれでダメではありませんが、本来的な七夕と短冊飾りを楽しみたいならば、それなりの作法や心構えなり考え方を知っておきたいところですね。



そこで、「乞巧奠」に由来する、お願い事の作法や心構えを3つお伝えしていきます。
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七夕に願い事を短冊に書く作法と心構え1:願い事は一つだけ

七夕祭りなどで願い事を短冊に書く時の作法と心構え一つ目は、
:短冊に書く願い事は一つだけ
です。



短冊のスペースを考えると、願い事は一つ書くのがやっとだと思います。

でも、一般的な七夕祭りだと、欲張って両面にそれぞれ違う願い事を書いて、何枚もの短冊に願い事を書いて笹につるすという事も出来てしまいます。



これは仏教の視点から観ても「貪欲(とんよく)」の煩悩が前面に出ている姿であり、欲張りすぎです。



願い事をしたくなるのは理解出来ますが、願いまくって欲まみれな姿を晒すのは、考え物です。

それに、折角、七夕という風流な風習に、奥ゆかしさが無い無粋な願い事の仕方にも思えます。



「短冊に書く願い事は一つだけ」ということを、七夕を楽しむ作法として覚えておきましょう。
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七夕に願い事を短冊に書く作法と心構え2:願い事の種類は芸事に関する事柄

七夕祭りなどで願い事を短冊に書く時の作法と心構え二つ目は、
:短冊に書く願い事の種類は芸事に関する事柄
です。



あなたもこれまで、七夕祭りで短冊に願い事を書くとき、実は全然このことを意識せずに、無造作に願い事を書いてきませんでしたか?

これは私もつい最近、禅僧の話からの情報で初めて知りました。



本来は、七夕で短冊に書く願い事の内容は芸事の上達に関する事を書くものです。



例えば、今ピアノを習っていらっしゃるなら、「ピアノの技が上達しますように」と、このような形の願い事が、本来的な七夕での願い事の姿です。

現代では、物欲を満たしたり、恋愛成就などの願い事が書かれることがありますが、それは本来の七夕に行う願い事の風習とは離れた行為なのです。

だからといって罰則があるわけではありませんし、「書くな!」なんて強制は出来ませんが、本来は芸事に関する願い事をするものだと、風習を覚えておくと良いでしょう。



ちなみに、大人も楽しむ場合、芸事の上達に関する願い事を少し拡大解釈しつつ、なるべく具体的に書くことがポイントです。

仕事の技術向上や学問の上達も、ある種の芸事と拡大解釈出来ます。

具体例を示すと「仕事で必要な会計学をきちんと理解して人々の役に立つ程に上達しますように」という感じの願い事もありです。



また、学問や書に関する芸事のお願い事を短冊に書く場合は、7月6日の夜に硯(すずり)や机を洗い清めるという風習もあります。

硯をお持ちでなかったり、机を洗うのが難しい人は、机の上を濡れた台拭きで拭き清めたり、机の周りを整理整頓するだけでも良いでしょう。

この時、要らない物が机の上にある場合、思い切って断捨離し、すっきりする機会とするのも良いですね。
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七夕に願い事を短冊に書く作法と心構え3:願い事から自分を知る

七夕祭りなどで願い事を短冊に書く時の作法と心構え三つ目は、
:短冊に願い事を書く事で、その願いから現在の自分を知る
です。



この3つ目の話が、仏教的な七夕の過ごし方であり、仏教の「己を知るべし」という事に繋がります。



七夕で、短冊に願い事を書いて、笹につるした後は「はい、おしまい、どうか成就しますように。」で終わってしまいがちです。

それを、
「何故、自分はこの願い事を書いたのだろう?」
「どうして今、この願い事の成就を願っているのだろうか?」
と、自己観察に繋げるのです。

これはまさに仏教の智慧の実践です。



よくある自己啓発本や自己啓発セミナーでは、自分の欲望なり願いを紙に書くということを教えています。

最近でしたら、マインドマップやらブレインダンプの際に紙に願望を100個書く、などの手法が紹介されております。

そうする事で、自分の本当の願いや達成したい目標がわかり、目標設定が出来るというのです。



この自己啓発本を実践せずとも、七夕で短冊に書いた、たった一つの願い事を掘り下げて行く事は「己を知る」に直結していきます。

そう思えば、七夕は自分自身の願い事を短冊に書くことで、成就したい事柄を言語化・具体化し、そこから自己観察・内観する日となり、仏教の実践に凄く良い機会ですね。



七夕祭りに参加して、短冊に願い事を書いたら、
「何故、自分はこの願い事を短冊に書いたのか?」
と、自分の心の声に耳を傾けて、本当に自分が欲している物事や、どうありたいのか、どうなりたいのかを掘り下げてみては如何でしょうか?

そうすれば、ただ願い事をしただけではなく、その願いを成就するための具体的な過ごし方や生き方、対策も見つける事が出来るようになります。



また、願い事をして、ただ待つのではなく、その願いに向けて実践していく、という修行を始める良いきっかけにもなります。

二つ目の作法と心構えでお伝えしたように、願い事は本来は芸事に関する事ですし、拡大解釈して学問や仕事の技術も含んでも良いでしょう。

ゆえに、短冊に願い事を言語化・具体化し、そこから自己を見つめ直す事で「願い事をするという他力」をきっかけに「自力の側はどうするべきか」も見えるというものです。

(この場合の他力は、阿弥陀如来の本願他力ではなく、織姫と彦星になりそうですが。)
これが、七夕を大人も楽しむ作法や心構えであり、自己進化と自己深化に繋がる機会となります。

七夕は子供が楽しんで短冊に願い事を書くというイメージがありますが、このような話を聞くと、大人も楽しめそうであり、また学べる事があると思いますが、如何でしょうか。



合掌

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