あみだくじ作成アプリや必勝法を探しているあなたへ贈る問い

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

前回は、あみだくじの由来と歴史、そして英語ではどう表現するか、ということを学んでおります。
237072 あみだくじにまつわる、トリビア的な小話も最後にお伝えしておりますから、楽しんで頂けましたら嬉しゅう御座います。

あみだくじと言えば、現在はあみだくじを作成してくれるアプリケーション、言うなれば「あみだくじ作成アプリ」なんてのもあるそうです。

また、あみだくじを使う用途ゆえにでありましょう、あみだくじ必勝法を探す人もいらっしゃるようです。

じゃんけん必勝法とか、あの辺りと同じ感覚感性であろうかと存じます。



私は、あみだくじ必勝法など、この辺りの事を考えると、申し上げたい事と言いますか、一家言御座います。

恐らくそれは、あみだくじの作成アプリと必勝法を探して、このお堂(ブログ)に来られた方にとっては、冷や水を浴びせられる話にはなりましょう。

最も、その問いや揺さぶりが仏教的であり、宗教の醍醐味であり意義であろうかと、先に言い訳させて頂いておきます、みっともない言い訳やもしれませぬが。



今回は、その辺りの話について、前回とは違って少しお堅い話をしてみたいと思います。

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あみだくじの作成アプリや必勝法を探す前に:阿弥陀如来と南無について

あみだくじについて、前回の話で、由来と歴史と英語という側面から学びました。

今回は、あみだくじ作成アプリや、必勝法を探している人へ贈らせて頂く話をする前に、阿弥陀如来にまつわるを前提知識として、お伝えしておきます。



まず、阿弥陀如来と言うと、浄土仏教ではご本尊としている宗派があり、その宗派が口に唱えるのが、「南無阿弥陀仏」と、そこまでは仏教徒でなくても、ご存じの人も多いかと思われます。

私も毎日、朝と夜の勤行時は必ず称えさせて頂きますし、歩きながらも「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と、称えさせて頂くときもあります。



この「南無阿弥陀仏」の「南無」は、日本の浄土仏教においては、「お任せします」と訳されます。

「南無」は、サンスクリット語「ナモ」の音写であり、浄土宗のお坊さんからは、当て字だと教えて頂きました。

この「ナモ」は尊敬であったり敬意を表す言葉であり、日本では「お任せします」という訳が一般的ですが、そこには敬意や尊敬の念も込められています。

また、「帰依します」という意味もあります。



そして、「南無阿弥陀仏」は、「ナマス・アミターバ(無量光):ナマス・アミターユス(無量寿)」を表す言葉であり、意味は「無量光、無量寿の阿弥陀仏に帰依致します」です。

基本的には、「阿弥陀如来に、阿弥陀様に帰依致します、お任せ致します」と、覚えておかれるとよろしいかと存じます。

真宗・浄土真宗の御開山聖人であられる親鸞聖人は、これを更に受動性を感じる「我に任せよ」という読み替えをされています。



本当はもっと掘り下げて行って伝えたいのですが、あまり詳しく掘り下げすぎますと、収拾が付かなくなりますから、このくらいにしておきます。

もし機会が御座いましたら、一度お坊さんにきちんと教わって頂くのが、よろしいかと存じます。



とにもかくにも、あみだくじの由来であります「阿弥陀如来、阿弥陀仏」は、日本の浄土仏教においては、「あみださまにお任せします」という話まで繋がって行きます。

ゆえに私は、浄土宗の檀家で、浄土仏教者という自覚があるという理由もありますが、基本的にあみだくじは「阿弥陀如来にお任せ致します」という頂き方をしております。

お任せしておるわけですから、自分が有利になるあみだくじの作り方や作成アプリも使いませんし、必勝法も探したりは致しません。

そして、この事が、あみだくじに対する物言いに繋がっていきます。
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あみだくじに必勝法はあるのか?

あみだくじの作成アプリで、自分に有利になる作り方の研究や、必勝法についてもの申す前に、先に「あみだくじの必勝法」について、お伝えしておきます。

お断りさせて頂きますが、あみだくじの必勝法について話す、と申しましても、必勝法そのものをお伝えするわけではありませんから、期待されて来られた方には、申し訳御座いません。



あみだくじの必勝法について、「普通にやる事が前提の必勝法(必ず勝つ方法)は、ない」というのが、私の見解です。



私も、ほんまに必勝法があるんかいな、と思って色々と調べましたが、どうやら統計学的には、勝率を図る手立てはあるようです。

しかし、完全に結果を読み切って「必勝法」と言える勝ち方はなさそうです。



数学的であったり統計学的に観ると、確かにあみだくじで当たる確率は、均等ではないというデータが御座います。

この辺り、ご丁寧に数式を使って表されるレベルにまで、掘り下げられております。

このお堂(ブログ)は、数学道場ではありませんからそこまでは致しませんが、この人間の探究心には、感服致しますし、尊さも感じるところに御座います。



ただ、確率が均等ではないと言っても、だからといってそれが必勝法というのは、言い過ぎでありましょう。

それに、状況や線の本数は一定ではありませんし条件は様々に変化する事も考えられましょうし、それこそ「諸行無常(しょぎょうむじょう)」です。



そもそもとして、ある統計学の本に、あみだくじの必勝法なるものが書かれているそうですが、その必勝法を、そのあみだくじで全員が使ったら、どうなるのでしょうかね。



確率を上げる程度の事は出来ても、完全に読み切れる事は出来ないのではないか、と言うのが、私も色々と調査してみた現段階における見解であります。

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あみだくじ必勝法や、思い通りの作り方や作成アプリを探すのは、最早あみだくじの体を成していない

ここからの話は、浄土仏教者であり、阿弥陀信仰を学んでいるものとしての、偏見と言われても致し方ない話です。

一仏教者のたわいのない話と取られても致し方ない事は承知しておりますから、叩き読みて頂いて結構です。

ちなみに、「叩き読む」というのは、2016年に他界されたジャーナリスト、むのたけじさんの御言葉を拝借しております。

私はこの言葉を「叩きながら読む」と同時に「自分と相容れなかったり、叩きたくなるような事だと感じた事から、自己を問う」という、自己を問うきっかけという頂き方をしております。



言い訳はこれくらいにいて。



私は、南無阿弥陀仏の仏教者でもあるという事から、あみだくじに参加する事があっても、「お任せする」という態度です。

それゆえに、自分で作成するアプリや、必ず自分が勝つという作り方もしませんし、必勝法を頼る事も御座いません。



そもそもとして、あみだくじを使う目的は、何かを決めるときに、公平性を保ちつつ、尚且つ後腐れがない物事の決め方を実行する、という定義があろうかと存じます。

そのような定義であるならば、あみだくじを自分が有利になる作り方をしたり、作成アプリを使うにしても自分都合で作為的に仕込んだりとするのは、その時点で最早公平性が保たれておりません。

必勝法にしても、お任せという概念があるならば、必ず勝つ方法という意味での必勝法を駆使して臨むのは、全然お任せしていないという事になります。



私は別に、必勝法を探求する事それ自体は、否定しておりません。

むしろ、探究心のある人にとっては、自然発生的に行き着く問いではありましょう。

「あみだくじは本当に公平であるのか、数学的に、統計学的に必勝法があるのではないか」と問い、三昧(ざんまい)の境地に到る事は、それはそれで禅的でありますし、尊い探究心で御座います。

そうして、実験的に「ちょっと必勝法を試したいから、付き合ってくれないか」と、検証のためのあみだくじであるならば、私もデータを取るための協力は致しましょう。

まあ、話の流れからすれば、必勝法を実験すると言い出した人が、一番勝ちそうな気が致しますがね。



ただ、公平で行うべきであるあみだくじで、自分都合で賢しらに、「我利・私利私欲」のために必勝法を使ってやろうというのは、いかがなものか、そのように思うのです。

必勝法を使ってでも当たりを引いてやろう、という時点で任せきれていない、というのが、浄土仏教者の視点を頂いております私の見方です、色眼鏡とも言える事ではありましょうが。



本当に公平性を保ったあみだくじをすることを目指すならば、その回のあみだくじに参加しない人に、別室であみだくじを作って貰うのです。

その際、はしご形のあみだくじならば、横線の付け足しもその後は一際せずに、当たり外れの結果部分も完全に隠して行うべきでありましょう。

もしくは、阿弥陀如来の後光型のあみだくじを、参加しない人に別室で作成して頂き、結果の部分は隠して、参加者は無造作に、それこそ何も考えずに瞬時に選ぶ。



折角、阿弥陀如来が由来のくじをするのですから、阿弥陀如来にお任せする「南無阿弥陀籤」で、受け身になるくらいが丁度良い塩梅ではないか、私はそのようにあみだくじを味わい、頂いておることに御座います。

余計なお世話では、ありましょうがね。



賢しらに、あみだくじの有利な作成アプリだとか、必勝法を探し回ってる人は、一度この話をきっかけとして、あみだくじについてのそもそも論を問うてみては如何でしょうか。
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あみだくじの作成アプリや必勝法を頼ったり探す前に、そもそもの解決策を皆で考えるという発想

あみだくじのそもそも論という言葉を出しましたから、ついでというわけではありませんが、その事にも少し触れてみることに致します。



あみだくじは、そもそもとして、公平に物事を決める、何かの分担する時の公平な決め方、という意味が含まれていると、私は考えております。

例えば、誰がどこの掃除をするか、という事を決める際に、学校でした事があるという人も、いらっしゃるかもしれません。

また、誰もしたがらない発表を誰かがしなければならない場合や、その順番を決める際にも、用いられる事でありましょう。



そこで問いたいのは、「そもそもとして、あみだくじで決めようとしているその事柄は、本当にあみだくじで決めるべきか」ということです。



例えば、何か負担になる事があって、それが嫌な事である場合、みんなで協力して労力を出し合う、という方法だって御座います。

給食でパンが一つ余った場合も、皆で分け合うとか、知恵を絞れば色々と知恵も出て来る事でありましょう。



あみだくじをする前に、そもそもとして、それはあみだくじで決めるべき事なのか、そのような問いを出来るようになることが、仏教的な智慧であろうかと、私は考えております。

そして、もしもあみだくじをする事になったら、もうそこからは、必勝法だとか有利になる作成サプリなどは、全て脇に置いておくべきです。

後は真摯に、「阿弥陀様にお任せ致します」の在り方で、どのような結果も引き受けさせて頂く、というのが、浄土仏教的な智慧と頂き方です。



あみだくじをするならば、必勝法だとか賢しらなことは考えず、頂いた結果は阿弥陀仏の思し召しとして、有り難く淡々と引き受ける。



そのような在り方を、あみだくじをさせて下さった阿弥陀仏も、観て下さっているのではありませんかね。



今回の話は、以前の話と共に学んで頂くと、あみだくじについての考え方が、変わるやもしれません。

参照:「あみだくじの由来と英語とゲームにまつわる雑学と」



雑学や教養として楽しんで頂きながら、問う事を学んで頂ければ、大変嬉しゅう御座います。



合掌

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