徹底の意味|徹底することは難しい

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは「徹底」という言葉の意味を、どのように理解して使われているでしょうか。
289582 「徹底的に掃除をする」「仕事を完遂するために徹底する」など、良い意味として理解されて、使われているのではないかとお見受け致します。



「徹底」も、仏教由来の言葉・仏教用語で御座います。

徹底という言葉の意味や使い方も、少々さすらいは致しましたが、それでも大きくずれ込んだりする事はなかったようです。



今回は「徹底」という言葉の意味を、仏教用語としても観ていき、改めて学び直した上で、更に仏教的な頂き方をしようと思います。

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徹底・「徹底する」の意味:現代編

徹底という言葉の意味を、仏教用語として学ぶ前に、まずは現代的な意味からおさらい致します。

徹底の、現代使われている意味は、
:中途半端ではなく、どこまでも押し通す、隅々まで行き届く
です。

要するに「中途半端にせずに、一貫している」という意味です。



徹底という言葉は、現在は「徹底」と単独で使われる事も多く、また「徹底的に」という副詞的な使われ方もします。

本来、徹底という言葉は「徹底する」という動詞として使われていた言葉ですが、言葉の使い方はさすらったり流転する事もしばしば御座います。

それゆえに、現在は違和感なく「徹底的に」あるいは「徹底」と使われる事になってきたのでありましょう。

この辺り、今の国語教育では、徹底という言葉をどのように伝えているのか、興味深いところであります。



ちなみに、「徹底」や「徹底する」という言葉の意味を、改めて学び直している途中、類語はどんなものがあるのか気になって調べて観ました。

どうやら「一貫する」という意味から「一貫する、完璧にする、徹する、万遍なく」などがあります。



私は、「万遍」と聞くと、京都の地名「百万遍」と、それにまつわるお念仏の話を思い出すのですがね。

「万遍なく」とは、徹底が持つ意味の「隅々まで行き届く」という意味が御座います。

なにゆえ、万遍がそのような意味を持つまでにさすらったのかも、興味深いものです。
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徹底・「徹底する」の意味:仏教用語編

徹底の意味について、今度は仏教用語として学んでみることと致しましょう。

仏教用語としての「徹底」「徹底する」の意味は、
:底に徹する、底に徹して渡る
です。



この意味は、出典・由来を紐解くと見えてきます。



「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」という御経さんの中に、「三獣渡河(さんじゅうとが)」という例え話が御座います。

ここでは、三の獣、つまり動物が登場しまして、登場する動物は「兎・馬・象」です。

この動物たちが、川を渡るときの渡り方が、生き方のたとえとして用いられているのです。



内容は「兎は水上を泳ぐ、馬は首を出して脚で水中を泳ぐ、象はしっかりと河の底に足をついて渡る」というものです。

このことから、後の話にも繋がりますが、象なら足が底につくくらいの深さの河であることが読み取れます。

この三つの渡り方から、どの渡り方が最も安定しているか、地に足を付けてしっかりとしているか、という事を伝えています。



現実的な突っ込みを入れると、馬だって首を伸ばせば、河の底に足が付くから「徹底する歩き方」も出来そうな気が致します。

ただこれは、象を神聖視してきたヒンドゥー教の土台があっての仏教という見方をすると、文化的な味わいを感じる事が出来ると思うのですが、如何でしょうか。



突っ込みはさておき、仏教においては、「禅定」「三昧」という言葉があるように、「徹底」あるいは「徹底する」という事は、仏教、特に禅仏教においては大切にしている言葉であり意味・概念であります。

「三昧」は、何かに無我の状態で何事かに徹する事ですから、まさに「徹底」の体現と言えましょう。

そのような徹底した状態、三昧の状態にあるという事は、中途半端な集中力ではありませんから、それが現代的な意味を持つようになるまでにさすらったのも頷けます。



底に徹して、しっかりと足を踏みしめて歩く事は、底にきちんと足が付いているか、その事に集中しているという頂き方をすれば、現代の意味と仏教用語としての意味につながりを感じます。

徹底は、現代的な意味と仏教用語としての意味から「徹底する」事のバランスを学ぶべし

私はこの仏教由来の話を知ったとき、まさに「地に足を付ける」という事を味わいました。



集中しているときや、何かに没頭しているときの状態は、まさに「無我夢中」であったり「三昧の状態」といわれる状態になります。

確かに、これはこれで集中した状態ですから、物事が捗ることもあります。



しかし、注意しなければならないのは、それが「三昧」や「禅定」であるか、ただ高揚感によって錯覚している状態であり、自己中心的に振る舞っているだけなのか、その違いです。



これは、現実的に徹底する状態であるか、地に足が付いておらずに現実逃避している状態であるのか、という言い方をすればわかりやすいかと思います。

物事を徹底していると言う事は、地に足を付けて、己を省みる冷静さも持ち合わせた状態で、かつ為すべき事を為している状態の事を言うのであると、私は頂いております。



具体的な話をすれば、チームで仕事をするときに、特に発揮されるべき「徹底する」という業でありましょう。

自己中心的で、周囲を省みずに、がむしゃらに突っ走っているのは、徹底していると言うよりも、単なる暴走です。

一方で、己の足が地に着いているか、「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」を忘れずに、物事を徹底する事は、望ましい事は言わずもがなでありましょう。



物事を成すときは、「徹底する」という事について、現代的な意味と共に、仏教用語としての「徹底」ないし「徹底する」を実践する。

このように戒めることで、バランスの良い「徹底」に到達するのではないか、私はそのような頂き方をしております。
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徹底の由来からちょっとした小話をば

堅苦しい話をしてきましたから、ここで少し小話を一つ。



「大般涅槃経」「三獣渡河」にて、川野渡り方が三つありましたが、川の渡り方と申しますと、三途の川の渡り方を思い出します。



三途の川の渡り方というと、六文銭が脱衣婆に渡すものであったり、渡し船の船賃であったりと、色々な話が御座います。

2016年の大河ドラマは「真田丸」と言いまして、真田家の家紋である六文銭がオープニングでも観られる事から、その意味も広がっていることかと存じます。



話を三途の川に戻しますと、その三途の川を渡るときに、浄土宗のお寺である誓願寺にて、和尚さんから三種類の渡り方を教えて頂きました。



罪が軽い人は、川の上を歩くように、また舟に乗ってすいーっと、簡単に三途の川を渡れます。

中くらいの罪の人は、腰辺りから胸の辺りまで水につかった状態で、三途の川を渡ります。

悪人や罪深き人は、顔が出るか出ないか、かなりぎりぎりのところまで水につかった状態で、三途の川を渡ります。



このように、三途の川の渡り方にも、三種類御座います。

この三途の川の渡り方と、「三獣渡河」で観る川河の渡り方を見比べてみると、なんとも興味深いものです。

三獣渡河では、地に足を付けて、しっかりと歩む象の姿が「徹底」として尊ばれるのに対して、三途の川を渡るときは、罪悪深重の人は、あっぷあっぷしながら、かろうじて渡っています。

単純比較は出来ませんが、この辺りの方便を見比べてみるのも、なかなか味がありそうな気が致します。
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徹底するという意味は理解出来ても、徹底する事は難しい

徹底という言葉や、徹底する事の意味について、現代的な意味と仏教用語としての意味を、同時に学んできました。

現在は、「なんとかゲームの徹底攻略本」や「徹底抗戦」など、そのような使われ方も致します。

旅の本でしたら「旅の徹底ガイド」「旅先の美味しいもの徹底紹介」と、このようなキャッチフレーズなりキャッチコピーもありそうなものです。



しかし、思うにこれらの事柄は、徹底という割りには、結構直ぐに底が尽きそうな気が致します。

徹底する事柄が、あまりにも限定されすぎている所以でありましょう。

仏教的な頂き方や味わい方をするならば、徹底する場合、では底はどこにあるのか、もしも底がなかったら、という事にも目を向けることです。



そもそもとして、物事を徹底すると言う事は、集中的に取り組む事でもあり、その集中する事が結構難しいものです。

本当に三昧の境地に到ったり、禅定を体験する事は、日常的に出来る事でありましょうか。

スポーツの選手は、そのような境地に入ったときを、「ゾーンに入った」とおっしゃいます。

陸上競技で活躍された、為末大選手も、幾つかの著書にて、ゾーンに入った経験を記して下さっていました。

私が読ませて頂いた本は、以下の二冊です。

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こちらは、恐山菩提寺のお坊さん、南直哉さんとの対談です。

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ここで注目したいのは、「ゾーンに入った」という言い回しです。



ゾーンであったり、禅定に到るのは、到ろうと思って、ゾーンに入ろうと恣意的に画策して入れると言う事ではない、という解釈をさせて頂いております。

徹底し徹底して、底がなくとも為すべき事に徹した先に、三昧・禅定に到る事、それが「ゾーンに入った状態」であると、私は頂いているのです。

「よーし、ちょっとこれからゾーンに入るか」と言って、気軽に気安く入れる境地ではないと、考えているのが現時点での私です。

徹底しているつもりであって、集中しているつもりであっても、果たしてそれは本当に徹底しているかどうか、その事を一度考えて観る必要がありそうです。



そう思うと、徹底するという事は、意味はロゴス(言語・論理)として理解出来ても、真に到るには難しい、私にはそのように思えるのです。

「徹底」「徹底する」という言葉を改めて学んでみると、おいそれと使う事が憚られるような、そんな気が致します。



合掌

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