有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは、丁寧な暮らしを日々の暮らしの中で、意識されているでしょうか?
私は使い切る暮らし、今あるものを使い切るという暮らしも、丁寧な暮らしを営む一環であると考えております。
そこで、丁寧な暮らしを否が応でも実践する、あるいは心がけたり意識する場所として、台所をあげております。
台所で料理をする時、私も意識しておりますが、なるべく生ゴミを増やさず、食材を使い切る暮らしを心がけております。
しかし、どうしても食べられない部分があったりと、料理をする人にとって生ゴミは切っても切れないものでありましょう。
そこで、食材を使い切る暮らしの実践として、生ゴミリサイクルという方法をお伝えし、あなたの丁寧な暮らしを支える智慧を仏教的に学ぶ事を試みてみます。
丁寧な暮らしを台所で実践する:食材を使い切る料理の工夫
人間にとって、食べる事は生きる事と言っても良いくらいに大切な営みです。ご家族と共に暮らしていらっしゃる場合、台所に立って食材を前に、調理・料理をされていることかと存じます。
私も日暮らしの中で、出来るだけ台所に立って自炊する生活を営んでおり、料理や台所における工夫も伝授してもらっており、大変有り難いもので御座います。
ただ、台所で水仕事や料理をする際、丁寧な暮らしや、食材を使い切る暮らしを考えたり意識されているでしょうか?
台所は、立つ頻度が高い場所でありますから、丁寧な暮らしの営みの修行道場とする事で、毎日のように修行をする事が出来る、ということになるのです。
毎日踏ん張って、ご家族の食事をご用意されているならば、なおのこと修行する頻度が自然と高まるわけですから、なかなかのアイディアだと思うのですが、如何でしょうか。
ただぼーっと、それこそテレビを見ながら余所見をしながら料理をするよりも捗りますし、後の話にも繋がってくる仏教的・禅的な智慧であると、私は味わっております。
そもそも、テレビを付けて余所見しながら料理をする、台所仕事をする事は、丁寧な暮らしとはかけ離れた炊事の在り方です。
今夜か、明日の朝から、「台所は丁寧な暮らしと使い切る暮らしを実践する修行道場とする」と、意識して観ては如何でしょうか、と提案致します。
禅語にも「歩歩是道場(ほほこれどうじょう)」という言葉が御座います。
この禅語は「修行道場は特定の場所だけではかく、一歩一歩、所作一つ一つ、日常の事柄全てが修行であり道場である」という意味や解釈で解説される言葉です。
「行住坐臥全てが修行」という、修行を大切にする仏教宗派らしい言葉であると、私は味わいを頂いております。
それに、曹洞宗の御宗祖様である道元禅師も、料理も修業という事を「典座教訓」にて記されている程です。
修行僧になったつもりで、台所を丁寧な暮らしを実践する道場にすると言うのは、善き智慧だと私が思うのは、このような教えにもよるものであります。
丁寧な暮らしを実践するなら食材を使い切る智慧を絞るべし
それでは、台所で丁寧な暮らしを実践し、身につけるにはどうすれば良いのか。あれこれと言っても、消化不良になる可能性が御座いますから、ここでは私も実践し、日々考えている事の一つをお伝え致します。
私が、日々何とかやりくりしようと、ない知恵を絞ってせっせと試みている事が、
:食材を使い切って、生ゴミとしない工夫
です。
私は、以前は結構雑に野菜の皮を切ったりしていた時期がありますが、現在は出来るだけ野菜の皮も食べるようにしております。
例えば、大根や人参の皮はもちろんの事、大根は葉っぱまで卵と混ぜてフライパンで炒めて食べると言う事は、以前にこのお堂(ブログ)でもお伝えしました。
また、野菜の切り方も大切で、例えば皆さんは、茄子はどのようにして「へた」の部分、あのカサの部分を落とされているでしょうか。
私は、鉛筆削りの容量で、なるべく実の部分を落とさないようにして、「へた」を取っています。
棘の部分やあまりにも硬い部分は、口の中を着る恐れがありますから、それらは泣く泣く生ゴミとさせて頂きます。
その他にも、これは実家の家族が実践している事ですが、ネギや豆苗は、プランターや豆腐の容器などを上手いこと再利用して、育てていたりします。
このようにして、いかに食材を無駄なく使い切るか、その事を毎日考えながら実践しております。
それでも、なかなか上手く行かないことばかりですがね。
このように、何とか食材を使い切る工夫をする事は、丁寧な暮らしの実践でもあるのです。
食材の有り難さに感謝申し上げて、最後まで使い切る、皮まで食べきるという事は、丁寧に考えて、丁寧に食材を扱わないと出来ません。
ゆえに、食材を使い切る事で生ゴミを出さない工夫は、丁寧な暮らしの実践であると言えるのです。
そして、食材に感謝して、それを形にするという「食材を最後まで使い切る工夫」は、禅僧の食・料理に対する在り方でもあります。
これは、曹洞宗の禅僧である枡野俊明さんの本「禅と食」にも書かれておりましたが、禅寺や禅の食事において、「生ゴミ」や「野菜くず」という発想はありません。
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この教えと智慧は、禅宗の教えとして「ふーん」と聞くだけではなく、是非とも日暮らしの中で、丁寧な暮らしの実践において頂きたいものであります。

丁寧な暮らしに力を貸してくれる生ゴミ処理機で生ゴミリサイクル
こうして、食に対する有り難い工夫の智慧を、禅僧や禅の教えから学べるのですから、出来るだけ実践していきたいもので御座います。それでも、どうしても一般家庭において、時空間的制限もあるでしょうし、他の用事もあるでしょうから、完全に生ゴミを出さないというのは、なかなか難しいものであります。
それに、人体にはどうしても悪影響があって、生ゴミとして捨てなければならない部分もありますからね。
一般家庭の台所事情において、私も痛感しておりますが、生ゴミゼロの日暮らしというのは、なかなかに難しいもので御座います。
しかし最近は、その生ゴミをリサイクル出来る電化製品が開発されており、生ゴミをリサイクすることが出来る「生ごみ処理機」が出回っております。
私も最近になって知りまして、更に生ゴミリサイクルが可能な「生ゴミ処理機」なる家電製品には、購入の際に助成金・補助金が出る制度もある、との事です。
生ゴミを出さない工夫をする、食材を使い切る暮らしの実践は大前提であり、それこそが丁寧な暮らしの実践であります。
しかし、それでもどうしても出てしまう生ゴミは、リサイクル出来る装置と智慧をお借りするのも、賢い方法であると私は頂いております。
ちなみに、実は私も一つ目にとまった生ごみ処理機が御座いまして、「お、これは善いかも。」と思いました。
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家庭菜園をされている方にとっては、非常に有り難い代物で御座いますね、生ごみ処理機というのは。
ただし、生ゴミが肥料となる素材にリサイクルされることはされるのですが、肥料販売は法律上出来ません。
うちは、家庭菜園という程の物ではありませんが、ネギや豆苗やシソの葉など、育てればまた伸びてくる野菜を育てております。
それらの栽培用に使えるから、これは重宝するし、生ゴミがゴミではなくリサイクルして使えて大変有り難いものであると直観したものです。
まだ購入に到っておりませんけれども、京都市は補助金・助成金制度が最大35000円まであるそうですから、目を付けております。
私は、このお堂(ブログ)でも、買わない生活やミニマリスト・シンプルライフを提唱してはおりますが、それらエコな暮らしの一環としては、これは智慧の買い物のように思い、検討中で御座います。
購入して使うご縁が御座いましたら、別途報告致します。

食材を使い切る事を実践した上で、生ゴミをリサイクルする事は禅的丁寧な暮らしの智慧
今回は、台所から丁寧な暮らしを実践する、そのための一つの入り口として、食材を使い切る暮らしをお伝え致しました。食材を使い切る事で、毎日の生ゴミが減りますし、上で紹介させて頂いた生ごみ処理機がありましたら、生ゴミがリサイクルされて、家庭菜園も捗ります。
そして、今回お話しさせて頂きました「食材を使い切る」「生ゴミをなるべく出さない」「生ゴミをリサイクルする」という全ての事は、禅的に丁寧な暮らしを実践する事でもあるのです。
家庭用生ごみ処理機がありましたら、家庭菜園用の肥料になり得ますし、それはもう「生ゴミ」というゴミではなく、「食のリサイクル」という頂き方も出来るのですから。
そもそも禅の食における概念に、上で紹介しました通り「生ゴミ」や「野菜屑」という考え方は御座いません。
ゆえに、話をわかりやすくするために、便宜上「生ゴミ」という言葉を使わせて頂いておりますが、本来は「生ゴミ」というのは、不適切かも知れない、そのようなジレンマを私は感じております。
一見、生ゴミになるような物であっても、肥料にして畑に還し、それでまた自分達が食べる食材を育てる、という輪廻の営みが、今も続く智慧であります。
丁寧な暮らしを営もうと思うていらっしゃったり、生ゴミが多くて困っているという人は、今回の話が、あなたにとっての肥料となりましたら、嬉しく思います。
尚、今回の話と関連した事柄は、こちらにご用意して御座います。
参照:「片付けるコツ|キッチン・台所と料理編」
参照2:「丁寧な暮らしとは何かを禅の智慧に学ぶ」
参照3:「生ごみ処理機の補助金・助成金と共に知っておきたい「もったいない精神」
あなたの台所が、丁寧な暮らしを支える力を付ける修行道場になられますことを、応援させて頂く次第であります。
合掌