有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは、ストレス発散に、ゲームをする事があるでしょうか?
以前に「ストレス発散方法を仏教の智慧に学ぶ」という表題で、ストレス解消やストレス発散について、仏教の智慧を拝借した方法をお伝え致しました。
ゲームは、仏教の智慧とは離れる気がしますが、科学的には適度なゲームプレイはストレス発散に効果があるという科学的な検証もなされています。
しかし、特にファミコン世代と呼ばれる世代でしたら「ゲームがイライラする原因にもなり得る」と言う事は、体感的に理解しているのではないかとお見受け致します。
ゲームが上手くいかないとイライラする子供だった、ゲーム機に当たり散らしていたという経験がおありの人ならば「ドキっ」とされる話ではありませんか?
今は全くゲームはしなくなりましたが、かくいう私も、ファミコン世代であったりします。
現在でしたら、炎天下の中や寒い中で、ポケモンGOに興じて町を徘徊しているけれども、全くポケモンが捕まらずにイライラする原因に自ら嵌まってしまっているなど、そのような事が懸念されます。
ストレス発散やイライラ解消にゲームは効果があると科学的に検証されている
世の中には、ゲームをする目的を「趣味」以外に、:ストレス発散、ストレス解消のため
:リラックスするため
と答える人もいます。
実際に、気分爽快になる豪快なゲームをプレイすることで、実際にストレス発散されることもあるでしょう。
これは、ライフハックを世に届けるサイト「ライフハッカー」さんのところでも教えて下さっていました。
ゲームとストレス発散の関係について「ゲームをする事で「敵対的感情」「うつ」が軽減した効果があった」という研究結果が発表されています。
詳しい事は省きますが、興奮状態と幸福感を刺激して、それによりストレス発散出来たと感じる事があるということが、科学的に立証されたという研究報告を、私も読ませて頂きました。
このような研究結果から、私のように全くゲームをしない人が無理に始める事はありませんが、現在、ストレス発散のためにゲームをしている人は、無理にやめる事も御座いません。
でも、私が観てきた経験から、ゲームはストレス発散どころかイライラする原因となり、逆効果になると言う危険性もあると考えています。
ファミコンが頑丈に作られた理由は、ゲームが上手く行かずストレスが溜まりイライラする事を想定していたから

実際に実機でプレイした人は、30前後から40代の年代になるかと存じます。
実はファミコンは、重さは軽いけれども凄く頑丈に作られていたゲーム機です。
ファミコンというゲーム機は、一部のアスレチックソフトを除いて、基本的に指先でピコピコと遊ぶものです。
間違っても、乱暴に叩いて遊ぶ物ではありません。
では、何故そのように頑丈に作って、叩かれることを前提として作られているのでしょう?
それは、
:子供が向きになって怒って乱暴に扱うことを前提としているから
です。
ファミコンの頑丈さは凄く、子供がちょっとやそっと乱暴に扱っても、壊れないくらいのスペックを余裕で持っていました。
逆を言えば、子供が乱暴に扱うことを前提としていたという理由があります。
このことは、業界に詳しい友人から、そのような事情で頑丈に作られていると教えて頂きました。
今回の表題に照らし合わせて説明すれば、ゲームが上手く出来ずにイライラする子供が、ついにぷっつんと爆発してファミコン本体にストレス発散している、というわけです。
それはつまり、ストレス発散のためにゲームをしているはずが、全くの逆効果でイライラする原因になっている、と言う事です。
私も実際にファミコンを「ちくしょー!」と叩く人達を何人か観て育ちましたから、実際に在ったこととして体感しております。
ちなみに、ゲームセンターでも、アーケードゲームの筐体を蹴ったり殴ったりしている人を観たことがあります。
あれも、ストレス発散のためにゲームをしているはずが、イライラする状態に陥り、逆効果になってしまっている典型です。
現実的な話を致しますと、器物損壊罪や偽計業務妨害罪などの罪に問われる可能性があるらしいから、しないようにご注意をば。
端から見ても、怒りの煩悩丸出しでとても見苦しいから、やめておくべきでしょう。
ストレス発散ゲームでイライラする理由を仏教視点で観る
最近は、ストレス解消ゲームとか、ストレス発散目的で作られたゲームアプリなんてのも開発されております。でも、ストレス解消ゲームと呼ばれるゲームでも、このような悲惨な状態に陥る事は、十分にあり得る話です。
では、何故ストレス発散しようとゲームをして、逆にイライラすることになってしまうのか。
そのイライラする原因は、仏教の智慧や視点から論じることが出来ます。
仏教では「自分都合にならない事が苦の原因である」と教えて下さっています。
仏教が説く苦「四苦八苦(しくはっく)」は、まさに私たちがどうしようもなく自分都合にならない苦です。
生きる事(生まれる事)から老いることなど、自分の都合ではどうしようもないことは、あなたも感じられる事だと思います。
もちろん、現代社会ではエイジングケアの技術も発達していますが、それでも限度が御座います
自分都合で無い事に、人は「苦」を感じる、これが仏教が説く教えです。
それを踏まえた上で。
ゲームは、自分の思い通りになっているうちはストレス発散に役立ちます。
でも、ゲームで失敗が積み重なりすぎると、途端にイライラする事になり、最悪の場合、機体やコントローラーに八つ当たりすることになります。
これじゃあ、ストレス発散どころか、ゲームがイライラする原因になってしまい、逆効果であることは明白です。
ゲームが上手くなれば、確かにある程度は自分の都合通りにゲームを勧めていくことは出来るでしょう。
でも、のめり込みすぎて、自分都合にならない展開になった途端にイライラするようなゲームの仕方では、ストレス発散どころか逆効果となります。
特に、生真面目だったり完璧主義の性格が強い人がゲームをする場合は、要注意です。
参照1:「完璧主義はうつ病の原因になるという私の体験談」
参照2:「完璧主義を治す3つの方法を仏教に学ぶ」

ストレス発散のためにゲームとの距離感を考える
仏教の智慧を拝借するならば、本来なら「ゲームに頼らずにストレス発散やストレスを溜めない智慧を実践する」
と、提案したいところであります。
あなたがゲーム好きだけれども、いきなり「ストレス発散はゲームやアプリに頼らない生活を実践する!」と修行されるなら、私も応援するところであります。
ただ、最終的にそこを目指すとしても、いきなりゲームを取り上げてしまうと、それがイライラする原因やストレスになる可能性もあります。
だったら、ゲームとの付き合い方をよく考えて、イライラすることがないように、上手にゲームでストレス発散を心がけたいものです。
そしてここでも、仏教の智慧が力を貸してくれます。
この観点に照らし合わせた話を致しますと、自分都合になかなかならないゲームや練習が必要なゲームは、控えた方が良いでしょう。
例えば、私は昔「斑鳩(トレジャーのシューティングゲーム)」を練習していた時期がありますが、これはもの凄く練習が必要なゲームです。
シューティングゲームがもの凄く得意な人なら話は別ですが、大抵は修練が必要なゲームで、なかなか上手い事自分の都合通りにいかないゲームの代表格と言えます。
特に初期段階では、全くもって自分都合にはならなかったものです。
斑鳩のようなタイプのゲームは、何度も何度も同じ事を繰り返す作業となり、真面目にやると根気と必要とします。
突き詰めれば、斑鳩のようなタイプのゲームは、ある種「禅定(ぜんじょう)」や「三昧(ざんまい)」の境地に至れる可能性はありそうですけれども。
しかし、大抵はそこまではいかないものです。
ゆえに、ストレス発散どころかイライラする原因のゲームとなりかねません。
こういうゲームは、ストレス発散用のゲームとしては不向きだと、私の体験と体感から言えます。
じっくり腰を据えてプレイするタイプで、本格的に練習する気がある、それこそ、趣味なり修行としてするゲームという枠で考えた方が良さそうです。
そう考えると、サクッと始めてサクッと終わる、スマホのゲームアプリなどが良さそうであると気づきます。
ストレス発散目的でゲームをするならば、そのようなタイプの方が良いでしょう。
そして、そういったゲームをやる場合でも、
:距離感と付き合い方、のめり込みすぎないように注意する
という事が大切です。
仏教では極端な偏りを戒めており、ゲームにのめり込みすぎる事も極端な事をしていることになりますから、その辺りはきちんと自己観察を怠らず、戒めるべきです。
のめり込みすぎたら、ちょっと自分の都合にならなくなったとき、スマホを地面に叩きつけるくらいの勢いでイライラする可能性があります。
己とゲームが、ストレス発散に最適な距離を保っているか、そこを「内観する・己を知る」事が大切です。
何事も過ぎたるは及ばざるが如し、のめり込みすぎないために仏教の智慧「中道(ちゅうどう)」は、このようなところでも活きます。
そういえば昔、ファミコンのCMで「ファミコンは1日1時間」というフレーズがありました。
これって、実は結構理に適ったフレーズだったのかもしれない、今となってはそう思えてきます。
今回の話は、以前お伝えした事と共に学んで頂くと、良い塩梅へ向かうかと存じます。
参照:「ストレス解消法を仏教の智慧に学ぶ」
ストレス発散ゲームでストレスを発散させたと思いきや、イライラする原因になってしまっていた、なんてことにならない事を、切に願うばかりであります。
合掌