有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは「心配性」という言葉や概念に、どのようなイメージを持たれるていらっしゃるでしょうか?
心配性と言うと、何となく負のイメージと言いますか、あまり良くない印象を持っていて、克服すべきマイナスの性格だと思う人も多いのでは無いかと考えております。
心配性とは、現代社会では「不安になりやすい性格や性質」と言い換えることも出来そうです。
そうであるならば、私はもろにストライクなんですがね。
商い・ビジネスの現場では、特に心配性であると、前に進めなかったり、チャンスを逃してしまうという事が言われているために、克服したいと思う人もいらっしゃるでしょう。
心配性が病的であったり「不安障害」などの状態である場合は、速やかに専門機関へ
「自分は心配性なこの性格を克服したい!」「心配性を克服して、より良い人生を!」と、思っていらっしゃる人って、結構いそうな気がします。あなたも、ご自身は行動する際に結構躊躇する事があり、それが心配性という性質があるためである、という自覚があるから、このお堂(ブログ)に来られたのかもしれません。
確かに、心配性が度が過ぎる場合、病的であったり「不安障害」と呼ばれる症状である場合もあります。
かくいう私も、今も「特定の恐怖症」という不安障害の一種と長いこと共にあります。
それゆえに「この特定の恐怖症に、いつ陥るか不安だ・・。」という心配は今もあります。
もしも、あなたがあまりにも心配性の度が過ぎると、自他共に認められるようでしたら、一度専門機関での診断やカウンセリングを受ける必要があります。
ただ、今回の話題は、そこまで極度な状態ではない、世間一般で言われるような「慎重過ぎる感じがする人」「用心深い人」という意味合いでの心配性な人についての話です。
過去や未来に囚われず、今を真剣に生きる事は確かに大事
心配性と言うと、なかなか一歩を踏み出せないブレーキや足かせになっている性格だから、克服したいという人も多くいると思われます。現に、禅僧の枡野俊明さんの本「心配ごとの9割は起こらない」は、10万部単位のベストセラーになっている事からも、その様相が窺えます。
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仏教、とりわけ禅の世界では、未来や過去に囚われたり執着することを戒める教えがあります。
禅仏教だけでなく、仏教の根底にある教えの一つとして
:今を大切に、今を真剣に生きる事
ということが御座います。
未来の不安についてあれこれと妄想することを、禅では
:前後際断(ぜんごさいだん)
という禅語で戒めています。
「前後際断」とは「過去と未来を断絶して、今を一所懸命に生きる」という意味や解釈が為される禅語です。
仏教が説いている通り、まだ来ない未来を心配するではなく、今を大切にしっかりと生き抜くことが大切であるのは確かです。
でも、私もそうなのですが、心配性の人はどうしたって内側からふつふつと心配事や不安感というのは沸いてくるものです。
だから、そんな心配や不安が湧いてこないように、心配性な己の性格を治して克服したいと願うのでしょう。
心配性は、リスク回避のためのブレーキや安全装置という強みもある
確かに、人生を大きく捉えた場合、あまりに心配性で未来の不安ばかり気にするのは、なかなか前に進めないというのはあります。でも、現代社会における仕事の現場では、心配性な人の存在はとても大切だと思うております。
だって、そもそもとして商い(ビジネス)の現場において「リスクマネジメント」や「リスク回避(危険性回避という意味)」という言葉や概念もあるではありませんか。
こういうのって、楽観的で「大丈夫大丈夫、強気強気!」って言う人が上手くこなせる仕事でしょうか?
むしろ、物事を慎重かつ丁寧にこなしてくれる心配性な人の方が適任だと私は思うております。
チームで仕事をするという場合、心配性の人が一人でもチームにいてくれると、どんなリスクがあるのかを事前に察知して、大きな事故やトラブルを回避出来る可能性も高まります。
就職試験の面接の際に求められる人材像って、
:チャレンジ精神旺盛で前向き、ポジティブ、むしろアグレッシブ
:リーダーシップを発揮出来る
:積極的で負けず嫌い
などなど、どういうわけかそんな感じの人が未だに根強い人気のようですね。
(就職氷河期と言われていた私が就職活動をしていた時期も、そんな感じでした。)
いけいけどんどんタイプとでも言いましょうか、確かにそういう先陣切ることが出来る鉄砲玉気質の人も、商いの現場には必要でしょう。
でも同時に、仕事の現場には、心配性でリスクをしっかり見極めようとする人も大切だと、私は思うところであります。
むしろ、商い・ビジネスの現場においてチームの暴走やお客様に不都合が生じないためのブレーキなり安全装置になり得る強みさえあります。
そのような力になるであろう「心配性」という性格や特性は、無理に克服する必要はなく、上手に付き合う事で良い方向へ向かう手立てもあります。

心配性の特性を無理に克服するのではなく、仕事で上手に活かす方法の一例
では、仕事をする際、チームで動く場合も個人プレイにおいても共通する「仕事の現場で心配性である特性を上手に活かす方法とは何か?」
について、今回は一つだけお伝え致します。
仏教の智慧をお借りした上での「心配性の仕事術と心構え」は、
:お客様や仕事で関わる相手主体で心配りをする(他者のために心を配る)
です。
どういう事かと言いますと、現役の心配性さんは思い出したり考えて欲しい事があります。
それは、仕事で何かを心配しているとき、何を思い浮かべていらっしゃいますか?
更に言うと「誰がどうなることについて心配しているか?」という事です。
例えば、
「この資料を期日までに終わらないと、俺が怒られるし休日出勤しないといけなくなる。」
「このプレゼン、上手く行かなかったらどうしよう、評価落ちるかな・・・。」
とか、そんな心配ってありそうなものです。
確かに怒られるのは嫌だし、休日出勤もなるべくしたくないのも無理ありません。
でも、こういう心配事って、
:自分都合の心配
でしかないということに気がつきませんか?
そりゃ、人間誰しも自分が可愛いと思うのが人間の性ですから、そこを全否定することは出来ません。
そこは否定致しませんが、ここは一つ心配性である性格や性質を仕事に活かすならば、心配する相手を自分以外に向けて見ては如何でしょうか。
そこで私が提案致しますのは、
:自分都合の心配から、お客様や関わる人への心配り
という変換です。
例えば、こういうことです。
「この資料を期日までに提出しないと、上司の仕事の進み具合にも悪影響がある。」→「だから、上司のためにも期日までにしっかり作るぞ!」
「このプレゼン、出席してくれた人達が、理解しやすいように伝えるにはどうすれば良いだろうか?きちんと練らないと。」
と、こんな感じです。
このように、自分が嫌な思いをしたくないという自分都合の「心配」から、関わる人達への「心配り」に変換する事で、心配性である特性を仕事の強みに変える事が出来ます。
これは、仏教の「利他の精神・自利利他円満」に繋がりますし、思いやりを持って仕事をするという修行にも通じることです。
心配性の人って、このようにお客様や仕事で関わる人達への「慈悲喜捨と利他の精神」の素地があるとも言えて、今回紹介致しました仕事の方法を実践することが出来るのです。
心配性という性質は、考え方や心構え次第でこのような強みに変換出来る性質であり、無理に克服することもないと私は思うところでありますが、如何でしょうか。
合掌