有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
このお堂(ブログ)では、シンプルライフについて色々な話を展開しております。
シンプルライフは、物質的には物を持たない暮らしとなり、ミニマリスト生活に行き着く人もいらっしゃるでしょう。
シンプルライフを実現するに辺り、物を持たない暮らしぶりには、様々な副産物的なメリットを享受することも出来ます。
完全に物を持たない暮らしは、現代社会においては難しいところですが、物を持たない事を意識して物を増やさないだけで、メリットなり充実した精神性を頂く事が出来るのは、体感としても持っております。
シンプルライフや物を持たない暮らしにメリットや功徳を求めるものではないけれど・・・
最初にぶっちゃけた話、と申しますか、今回の話と真逆なことを申し上げます。私は、物を持たないシンプルライフに、未来に頂ける可能性がある「功徳(くどく)」、わかりやすくいえば「メリット」を最初から目当てにしていたわけではありません。
私の場合、仏教・仏道や禅の世界観と出会い、自然と断捨離したり物を手放すご縁に恵まれて、物を持たないという事を完全に実現したわけではありませんが、シンプルライフに近づいております。
今回の話は、その中で体感したことや、副産物的に功徳を頂くに至った、という話です。
メリットや功徳ありきで、無理矢理物を持たないシンプルライフを目指すと、途中で挫折したり、嫌になって反動で買い物しまくったりという恐れも御座います。
そして、今回の話は、あくまで私が個別に頂くに至ったメリットと感じることや功徳であります。
物を持たないシンプルライフの実践により、あなたにはあなただからこそ頂けるメリットもあるであろうことを、先にお伝えしておきます。

シンプルライフで物を持たない暮らしのメリット1:掃除が楽
シンプルライフで物を持たない暮らしを実践した事によるメリットその1は、:掃除が楽になる
です。
もう、これは外せないメリットでしょう。
このことについては、私が一人暮らしをしていた時にお伝えした事も御座いますね。
参照1:「シンプルライフなミニマリストの部屋|一人暮らしの体験談より」
参照2:「物を買わない生活習慣のコツとメリット」
一人暮らしの時は、物を持たないシンプルライフの実践を、買わない生活によって維持していたから、掃除がとても楽でした。
一人暮らしは寮生活でしたから、退寮する際の掃除が楽で非常に捗ったことは、かなりのメリットだと実感したものです。
そして、物を持たないシンプルライフは、部屋が散らかりにくいというメリットもあり、掃除をするのも楽、掃除をする必要性がなくなるという意味でもメリットと言えます。
週末にまとめて掃除をする人であったり、現役の一人暮らし世帯は、物を持たないシンプルライフのメリットを、特に感じる事が出来るのではないかとお見受け致します。
シンプルライフで物を持たない暮らしのメリット2:本当に必要な物がわかるようになる
物を持たないシンプルライフのメリットの2つ目は、:生活するために本当に必要な物がわかるようになってくる
です。
例えば、便利グッズは確かに便利ですけれども、便利であるだけで、別に無くても良いと言う物が多いと感じております。
そして、便利グッズに限らず、現代社会で販売されている物の大半は、実は無くても生きていくために絶対的に必要ではない、そのような見方もしております。
これは、禅僧である枡野俊明さんも色々な著書で仰っていますが、これらのものは大半が「あったらいいな」という物達です。
「あったらいいな」というのは、どこかの製薬会社のキャッチフレーズですね、別にそれを批判しているわけではありませんから、ご了承下さいまし。
私は最近、この「あったらいいな」を「無くてもいいな」と、勝手に変換したりしております。
その物があったら、それはそれで便利で生活が捗るでしょうが、別に無くても生活は出来る、そのように頂くようになりました。
そして、「あったらいいな」にふらふらと寄り道しなくなれば、必然的に物を持たないシンプルライフへ近づけます。
買わない生活による、物を持たないシンプルライフが、ここで実現され維持される、という寸法ですね。
そうすることによって、本当に生きていくために、暮らしていくために必要な物は何か、それが段々とみえてくるようになります。
このメリットを享受するコツとしては、「あったらいいな、というこの物は、無くてもいいかも」と、一度手放してみることです。
方法としては、一定期間友人に預かって貰うなどの智慧が御座います。
それで、もしも無くても気にならなくなったり、全く執着しなくなって手放せるようになれば、友人に差し上げれば、友人も喜んでくれるかも知れません。
友人も喜んでくれて、自分は物を持たないシンプルライフに、また一歩近づけたならば、まさに御利益と功徳が同時に発現した、ということです。
非常に仏教的な在り方だと思いますが、如何でしょうか。

シンプルライフで物を持たないメリット3:不便さによる身体性の復活
物を持たないシンプルライフのメリットその3は、:身体性の復活
です。
これ、今回の話で、実は私が一番大切にしている実感であったりします。
特に思うのが、掃除の場面ですね。
現代社会では、ルンバなりブラーバと言ったお掃除ロボットというのでしょうか、自動掃除機が流行っており、時間を大切にしたいと思う人達に人気の道具です。
確かにお掃除ロボットは便利そうですし、各々の目的もあるでしょうから、買うなとは言えません。
そのような事を申し上げるのは、私の傲慢でしかありませんから、行動を制限するようなことは申し上げません。
ただ、このあまりにも便利なお掃除ロボット達は、我々人間から掃除をするという行為、その行為によって磨かれる身体性を失わせるきっかけになるのではないか、そのような事も思うのです。
大げさすぎますでしょうかね。
以前もお話しした事が御座いますが、それによって雑巾の絞り方や雑巾を綺麗にする方法を知らずに育つ子供達も、いないとも言い切れません。
お掃除ロボットの話を致しましたが、それ以外にもあまりにも便利な物が沢山世に出たために、失われた身体性や感覚・感性もあるのではないか、と、私は考えております。
交通の便がよくなった、高機能な自転車が開発されたことによって、自分の足で歩く機会が減り、結果として足の裏の感覚が鈍っている人って、存外多いのではないか、という懸念もその一例です。
スポーツをしている人ならば、まだ身体性や自分の身体に耳を傾ける力は残されているでしょうが、そうでない人の場合は、特に注意が必要な現象のように思えるのです。
便利な物に頼りすぎて、身体性を失いつつある現代社会において、持たない暮らしによるシンプルライフは、身体性の復活に一役買ってくれる気がします。
仏教・禅の話と絡めますと、禅では掃除をもの凄く丁寧にしますし、間違ってもお掃除ロボットを使うようなことはされません。
禅には「他は是吾に非ず」という禅語が示す通り、己が為べきことは己がするという在り方ですから、お掃除ロボットに掃除を代わりにやって貰おうなどと、もってのほかということです。
物を持たないシンプルライフは、一見すると物が無いために、非常に不便にみえます。
掃除も、禅僧が毎日されているように、自分の手でしなければなりません。
掃除だけでは無くて、食器洗い機が無ければ、食後の皿洗いも自分の手ですることになります。
(この先「お皿の洗い方が分からない、洗ったことないから」という人も、存在する世の中になるかもしれませんね、考えすぎでしょうか。)
でも、私はこの不便さにこそ、身体性の復活を実現する場ではないか、そのように頂いております。
もちろん、現代社会の流れという物がありますから、娑婆世界で生きていく上では、便利さを有り難く使わせて頂くことも大切です。
でも、せめて自分のみの周りくらいは、物を持たないシンプルライフを実現して、身体性について考えて見ても良いのではないか、そのように思う今日この頃に御座います。
尚、物を持たない暮らしやシンプルライフについては、こちらにまとめて御座います。
参照:「シンプルライフなミニマリスト情報まとめ」
合わせてお読み頂く事で、より物を持たないシンプルライフについてイメージ出来るものかと存じ上げます。
合掌