シンプルライフとはどういう意味か仏教的に学ぶ

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは、シンプルライフとはどのような生活かご存じでしょうか?
442011 以前、シンプルライフとミニマリスト、そして断捨離との関係についてお伝えした事があります。

こちらでも、私が勝手に定義しているシンプルライフとは何かの意味をお伝えしております。



シンプルライフと言うと、現代社会においては「物を持たない暮らし」と言う意味を見出したり、そのような概念で理解されている風潮を感じます。

そこで、仏教の智慧と共に、シンプルライフとはいかなるものかを、考えて観ます。

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シンプルライフは物を持たない暮らしという意味か

シンプルライフとは「物を持たない暮らし」とイコールと考える人が多いのではないか、そのように私は思うております。

実際にシンプルライフブログを綴っている人や、自己啓発本の類いを読んでみる事でうかがい知ることが出来ます。



確かに、シンプルライフの意味として、物を持たない暮らしという解釈も間違いではありません。

少なくとも、物を持たない暮らしは物質的にはシンプル、つまり簡単だとか単純な様式にはなります。

それは、ミニマリスト生活にも通じますし、そこに行き着くために断捨離もします。

参照:「ミニマリストとシンプルライフと断捨離の関係性と感覚的な意味」



しかし、物を持たない暮らしという生活様式も含まれるとは思うておりますが、私は単純に「シンプルライフ=物を持たない暮らし」と解釈しておりません。

ミニマリストのように、物を最小限まで減らせば良いというものでもないのです。
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私の考えるシンプルライフは「簡素な暮らし」という意味

シンプルライフとは何か、私の解釈や見出した意味は
:簡素な暮らし
です。



簡素な暮らしというのは、確かに物を持たない暮らしによって物質的には到達することが出来ます。

しかし、単純に物を持たない暮らしが、そのままシンプルライフとなるわけではありません。

ここがみそで、ミニマリストとの似て非なる部分、そして最大の相違点ではないかと、私は思うておるのです。



どういうことかというと、シンプルライフは「簡素な暮らし」をする事が目的です。

物質的にもそうですし、諸々の煩わしさから解放された生活や暮らしの事です。



その中で、物を持たない暮らしも含まれることはあるでしょうが、物を持たない事そのものがシンプルライフの目的であったり、到達点はありません。



シンプルライフとは、暮らしの中で無駄な物を色々と断捨離していき、その先にある生活様式です。

その時に、本当に必要な物を見出して、それだけで生活していきます。

そこで、本当に必要な物が見出された場合、時には購入して生活の中に取り入れる事もあります。
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単純に断捨離をしていくだけではなく、物質的にプラスされる要素もあるのです。

基本的に減らしていく、断捨離していくとしても、場合によっては本当に必要な物を買い足す事で簡素な暮らしとなる、それが私の見出すシンプルライフの意味です。

シンプルライフの意味「簡素な暮らし」とはどんな生活か

簡素な暮らしとは、言い換えれば「自然な暮らし」です。

ミニマリスト生活は、時として不自然なくらいに物を持たなすぎる場合があります。

シンプルライフとはそうではなくて、簡素で自然な暮らしを心がけるものである、私はそのような意味も見出しております。



わかりやすい例を挙げると、食器をどのように持つか、で説明出来るでしょう。



例えば、「茶碗一つあれば事足りる」と、食器を茶碗一つしか持たない暮らしをするとします。

ご飯も一つだけの茶碗で、おかずもその茶碗で食べる、という塩梅ですね。

しかしこれでは、ご飯を食べたら一度洗って、今度はおかずを茶碗に入れて食べ終わり、また洗って次のおかずを・・・と、大変非効率です。

物を持たなくて済みますが、これは自然な暮らしとは私には思えません。

それになんだか煩わしくてせわしなさも感じますし、生活の仕方、少なくとも食事においてはシンプルとは言えない気がします。

また別の例として「調理器具は炊飯器だけ」というのも、ミニマリスト生活としては正解なのかもしれませんが、これもシンプルライフとは言えないと私は考えております。

自炊するならば、やはり炊飯器だけではなく、フライパンや鍋も必要です。



シンプルライフはここまで極限的な事はせず、食器は必要最低限はきちんと揃える、という暮らしです。

ここで参考になるのが、禅僧の食器です。



禅僧・雲水の食器は「応量器(おうりょうき)」と呼ばれる器で、禅宗の一宗派である曹洞宗の禅僧・雲水が持たれる食器のことです。

ちなみに、臨済宗では「持鉢(じはつ)」黄檗宗では「自鉢(じはつ)」と呼びます。

以前お伝えした事がある「三衣一鉢(さんえいっぱち)」の、鉢の部分ですね。

参照:「ミニマリストとは断捨離の結果の在り方」



応量器は、収納する時は入れ子状にして、5枚の食器を重ねます。

つまり、器は5枚あるわけですから、一つの茶碗でやりくりするという煩わしい食事の在り方にはなりません。

調理器具も炊飯器だけでは無くて、必要最低限を揃えるのがシンプルライフです。



自然な暮らし、理に適ったと言える程度の最低限の持ち物は持つ事、これがミニマリストとシンプルライフの違いであり、簡素な暮らしの在り方です。

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シンプルライフとは簡素な暮らしという意味で質素な持たない暮らしや貧乏暮らしとは意味が違う

シンプルライフは、簡素な暮らしであるとお伝え致しましたが、ここで注意する事が御座います。

シンプルライフとは簡素な暮らしではありますが、
:質素な暮らし・貧乏暮らし
とは違います。



このことをすぱっと簡潔に解説してくれている本も御座います。

シンプルライフとは、簡素な暮らしゆえに、確かに物を持たない暮らしも含まれることがあり、結果としてお金の節約にもなるという副産物があります。

ただ、お金を節約する、切り詰めるという事が第一義としての目的ではありません。

節約のためにシンプルライフを目指す人もいらっしゃるでしょうが、あくまで行き着くのは「簡素な暮らし」です。

「簡素」であって「質素」ではありません。

揃えるべき物はきちんと揃えるのが、シンプルライフです。



また、安物買いの質素な暮らしというのとも違います。



最近は100円ショップなどの安価な生活雑貨を手に入れる事が出来る時代です。

確かに安く済ませられるのは有り難いのですが、それが壊れやすかったり、直ぐに駄目になってしまうものでしたら、また買い直さなければなりません。

そうなると「予備で幾つか買っておこう。」という事になり、結果として家には予備品が鎮座して、シンプルライフ・簡素な暮らしから離れてしまいます。

掃除をするときに、予備品があると予備品をどうするか考えたり移動させる手間が出来る事は、シンプルではなくなると考えれば、把握出来る事だと思われます。



目指すべきは、けちけちした質素な暮らしではなく、あくまで簡素な暮らしという意味のシンプルライフです。



もちろん、修行のつもりで、あえて貧乏生活に身を置き、自分にとって本当に大切な物は何であるかを見つめ直すという生活の仕方も、あるにはありますけれどもね。

ただ、現代社会を生きる上で良い塩梅なのは、シンプルライフ・簡素な暮らしであると私は勝手に思うておる今日この頃です。
良い塩梅にいたるシンプルライフや簡素な暮らし、持たない暮らしに関しては、こちらにまとめて御座います。

参照:「シンプルライフなミニマリスト情報まとめ」

同時に学んで頂く事で、より良い塩梅なシンプルライフにいけるのではないかと思います。



合掌

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