心霊スポットに思う事|京都

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは、「心霊スポット」という言葉や概念に、どのようなことを感じられるでしょうか?
208640 夏は、心霊スポット巡りや、心霊スポットを用いた肝試しなども催されたり、それによって「幽霊を目撃した!」なんて話も飛び交う季節であります。



京都には、心霊スポットとなりやすい土地柄というのもあるのでしょうか、全国的に有名な心霊スポットなるものが幾つもあります。

中には、パワースポット兼心霊スポットとなっている土地もあり、私は「パワーレススポット」という概念や考え方も学んだ事もあり、なんだかなあ・・・と思うところも御座います。



前回に続いて、夏の楽しみや娯楽に水を差しかねない話になりますが、京都に住まう仏教徒であり念仏者として、京都の心霊スポットに、思う事が御座います。

尚、今回の話は、京都の心霊スポットの紹介ではなく、京都の有名な心霊スポットとして紹介されている場所に対する、私なりの思う事ですから、ご注意をば。

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京都の心霊スポットその1:貴船神社

京都の数ある「心霊スポット」の中で、有名所としてよく紹介されると思われる場所が
:貴船神社(きふねじんじゃ)
です。

縁結びのパワースポットという紹介のされ方もあるためか、陰陽どちらの意味においても、有名な京都の観光名所ですね。

水の信仰がある神社ということから、料理店など水を扱う商いの間で信仰されている神社です。

神聖な感じがする寺社仏閣独特の雰囲気を味わえますし、本宮参道をくぐるのも風流でありますから、パワースポットや心霊スポット抜きにして、京都観光で立ち寄るには良い場所だと思うております。

観光で貴船神社に行かれたら、近場にある鞍馬寺にも立ち寄りたいところで御座います。



そのような神聖にも思える貴船神社ですが、なして心霊スポットなのかと申し上げますと、
:丑の刻参り(うしのこくまいり・うしのときまいり)
の場所でもある、と言われているからです。



この「丑の刻参り」というのは、「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に、「心願成就」つまり願掛けをするという話が御座います。

この願掛けは、本来は貴船山に神が「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に降臨される、今風に言うなれば「神降臨」という、神聖な意味合いがあったものです。



それが、どういうわけか「丑の刻参りに、五寸釘でわら人形に呪いたい相手を思い打ち付ける」という呪術の儀式と結びついたわけです。

神聖な意味と文脈があった「丑の刻参り」に、しかも秋には紅葉の名所として我られを楽しませてくれる貴船神社が、呪いのわら人形と結びつくとは、不可思議なものですね。



そのような、「丑の刻参り」と呪術的な要素が結びつき、いつしかパワースポットでありながら心霊スポットでもあるという見られ方がしたのです。
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京都の心霊スポットその2:化野念仏寺

京都の心霊スポットとして紹介される寺社仏閣その2は、
:化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)
です。

「化野(あだしの)」というと、漫画「蟲師」の主人公であるギンコの友人を思い出す名前ですね。



化野念仏寺は、京都嵯峨野にある浄土宗のお寺で、嵐山高雄パークウェイの南側入り口付近にある、風葬の地です。

現在は行われていませんが、「風葬(ふうそう)」というのは、往生された方の肉体を文字通り風に晒す葬制です。



真言宗を開かれた弘法大師にも縁があり、浄土宗のお寺と言う事からもおわかり頂ける通り、法然上人縁の寺でもあります。

法然上人の時代には「念仏寺」とある通り念仏道場でありまして、現在は檀家さんもいらっしゃるお寺として、浄焚式千灯供養なども営まれています。



千灯供養は、お盆の季節に営まれる仏事でありまして、毎年8月23日と24日に行われております。

一般参加は1000円で、17:30から20:30まで、閉門は21:00です。



竹林風景がとても風流な場所に御座いまして、何故にここが心霊スポットなのか、と思うたものですし、心霊スポット扱いされていることに、私は不可思議さを感じておるものです。

私が浄土宗の檀家であり、念仏者であるというフィルターがもの凄く働いているからである、という色眼鏡の自覚は御座いますが、それいしても、です。



確かに風葬がなされていた時代がありましたし、風葬された人々の怨念が渦巻いている、という物語を創作したくなるのはわかります。



でも、そもそもすでに空海さん・弘法大師が供養して下さっている歴史も御座いますし、法然上人も念仏を称えて下さっています。

今もご本尊である阿弥陀如来がおわしまして、第十八の願によって、衆生をお救い下さっているというのに、いまだに怨念渦巻くとは何事か、と、私は思うところがあるのです。



南無阿弥陀仏の聞こえるお寺は、私は有り難い場所であると感じるのですが、そこを心霊スポットと呼ばれるのは、なんだか心外な感じもするなあ、と、私は頂いておる次第であります。
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心霊スポットに思う事

京都は、が寺社仏閣の多さからパワースポットの類いが多く、それを感じられる「場の力」も働いているためか、心霊スポットの話がしやすい土地柄というのもあるのでしょう。

実際にお寺や神社に行ってみると、独特の味わいと言いますか、空気を感じる事がしばしば御座います。



私も、以前にお伝えした事があります通り、知恩院や増上寺へ赴いたときには、荘厳さを感じたものです。

参照1:「増上寺の24時間不断念仏会2016の感想体験記|前編・とにかく南無阿弥陀仏」

参照2:「増上寺の24時間不断念仏会2016の感想体験記|後編・仏教を体験し身近に感じる」

それが宗教体験の一つかも知れませんし、それをある種の心霊体験であると言われても、完全否定は出来かねます。



ただ、そういった「場の力・場の空気」を体感したからといって、それが「心霊体験=霊魂の仕業」として、「ほーら心霊スポットじゃないか。」というのは、私は違う気がします。



そのそも、仏教においては、呪いや霊魂については無記という態度であったり、そこから生じる迷いなり迷信・占いや呪いの類いに惑わされないように戒められております。

仏教は、この娑婆世界を「忍土(にんど)」「穢土(えど)」と表現し、このような娑婆世界を生き抜く智慧として今日まで伝わっています。

そのために、仏教・仏法が生活規範となり、生活を調えることで己を調えるという、「自律(じりつ)」の教えでもあるのです。



間違っても、「自分が調っていないのは霊魂の仕業だ」なんて事はもうしません。

ましてや、己が調えられていない事を、パワースポットや心霊スポットの作用に責任をなすりつける、なんてことはしないものです。



心霊スポットというのは、今や夏の風物詩でありますし、それをエンターテイメントとして楽しむ事それ自体は否定致しません。

ですが、そこに囚われて、何か不都合が生じたときに「あのとき、心霊スポットに行ったから・・・。」というとらわれの仕方をして欲しくない、そのように私は思うておるのです。

こういったテレビ番組の特集や、心霊スポット巡りをしたり見聞きすることで、感化されやすい人が変な当たられ方をしないか、懸念するところが御座います。

ゆえに、今回は仏教においては戒められる「霊魂や迷信、呪い」などの類いの話を致しました。

ちなみに、私は心霊スポットの類いはあまり詳しくないから、ある程度話を聞いたことがあり、私とも関係が少しくらいはあるであろう京都の心霊スポットに限定しました。



心霊スポットの特集を楽しんだり、実際に行くのは結構ですが、どこかで必ず安全装置なり、客観視する視点を持っておきたい、そのように考える次第であります。



尚、夏の風物詩として、心霊動画などの心霊ビジネスについても、こちらで話をさせて頂いております。

参照:「心霊動画にみる心霊映像ビジネスと仏教」





それにしても、やはり化野念仏寺が心霊スポット扱いされているのは、如何なものかなあ、と、思うております。

確か2015年に、新しくご住職が就任なさったばかりだと報道を見たことがありましたからね。

現住職は、どのように思われているのでしょう。



合掌

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