有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
世の中には、自己啓発本や、自己啓発系のビジネス書は、本屋に行けば沢山積まれております。
私も、睡眠障害とうつ病などを頂く以前は、自己啓発本も沢山持っておりましたし、読んでもおりました。
誰とは申し上げませんが、特定の作家の本は50冊以上持っておりましたが、今となっては、書いてある事を著者が全然実践出来ていないと感じる事も出て来て、薄っぺらさも感じたものです。
そのような経験と、仏法に出会ってからは、自己啓発本やビジネス書の類いを、綺麗さっぱりと断捨離し、すっきりしております。
自己啓発本とビジネス書を断捨離したら、3万円ほどの現金を賜るに到ったのですが、部屋も片付いてスッキリしたことが、凄く良い方向へ向かえる効果であったようにも思えます。
私が何故、自己啓発本を断捨離したのか、現在、自己啓発に嵌まっている人が自己を問うて自己啓発本や自己啓発系ビジネスに毒されないための智慧や一助になればと、その理由をお伝え致します。
自己啓発本を断捨離した理由1:私を啓発しなかった
自己啓発本を綺麗さっぱり断捨離した理由の一つ目は、:自己啓発本は私を啓発しなかった
です。
これ、どんぴしゃりの表題、本のタイトルがありましたね。
確か、マグロ漁船で色々と学んだ、という著者の本だったと思います。
自己啓発本や自己啓発セミナーによって、啓発されなかった、というのは、今ではそのメカニズムと言いますか、仕組みは理解出来ます。
この辺り、最近私が読ませて頂いた、仏教と瞑想と脳科学の本でも、触れられております。
その本は、「脳と瞑想」という本で、プラユキ・ナラテボーさんという日本人でタイのスカトー寺のお坊さんと、覚醒下脳手術を手懸ける先生の対談本です。
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うつ病と自己啓発本の話をしたときに、ちらりとお伝えした本でもありましたね。
参照:「自己啓発の本とうつ病|治るどころか劇薬になる事も」
とにもかくにも、自己啓発本や自己啓発セミナーには、私も参加したり、実際に実践したりはしておりました。
ただ、自己啓発セミナーは特にそうなのですが、あれはお客様を啓発するために行われているのではありません。
お客様は二の次で、自己啓発セミナー講師やスタッフが関心を持っているのは、いかにそのセミナーで客からお金を取るか、高額バックエンド商品の契約を取るか、です。
お客様が幸せになる事は、二の次なのです。
自己啓発本も、どうしてもビジネス色が出るのは、現代社会では否めませんし、私も完全否定はしませんが、それにしてもビジネス色が強すぎます。
どう考えても、表題負け、本のタイトル負けしていると思えるような薄っぺらい自己啓発本の、いかに多いことか。
私が自己啓発本や自己啓発セミナーでは、啓発されなかった一要因ではありましょう。
もちろん、私の読み方が薄っぺらかったり、実践をしたといっても、きちんと出来ていなかった、と言う事もありましょうけれども。
私の肌に合わなかったことも含めて、私を啓発することが無かった自己啓発本は、部屋にあっても場所を取るだけですから、断捨離に到ったわけです。
断捨離しても、名残惜しいとも感慨深さも覚えず、むしろ断捨離してスッキリしたから、結果として良い方向へ向かえたものです。

自己啓発本を断捨離した理由2:何度も読み返した本が無かった
自己啓発本を、綺麗さっぱり断捨離した理由の二つ目は、:何度も読み返した本が無かった
からです。
あなたは、自己啓発本を買ったとして、何度も何度も、それこそ本の表紙がすり切れたり汚れまくるまで、読み返した本はあったでしょうか。
私には、そのような本は一冊もありませんでした。
確かに、家で読もうと買いはしますし、きちんと全部読むのですけれども、もう一度手に取ろうとはしませんでした。
本当に名著だとか、生きる力になる本は、何度も読み返すでしょうし、人生に衝撃を与えてくれた本は、手元に置いて何度も読み返す事でありましょう。
しかし、自己啓発本やビジネス書の類いで、そのような本は一冊もありませんでした、不思議なくらいに。
一冊4000円するような、某直接出版の本も何冊も買いましたが、それらも全然読み返したりはしませんでしたね。
もちろん、ちょっと読み返すくらいはありましたけれども、一生大切にしておこう、なんて自己啓発本はありませんでした。
断捨離するときも、確認のためにパラパラとめくって観はしましたが、それだけでしたし、あっさりと断捨離したものです。
そして、それに全く後悔が無い。
更に言うなら、自己啓発本の内容も、もう綺麗さっぱり、私の中からも断捨離されている気配があります。
「ああ、あの本に、そんな事書いてあったかなあ。」くらいの名残はあっても、このように言葉にする機会が無ければ、恐らく表出冴える事も無いかと思える程です。
そんなわけで、再び、三度(みたび)開かぬ自己啓発本は、綺麗さっぱり断捨離してしまっても問題無かろうかと存じます、私の経験上からの話ではありますが。
あなたの部屋にある自己啓発系の本やビジネス書で、1年以上開いていない本は、断捨離しても問題無かろうかと存じます。
もちろん、あなたにとっては、特定の自己啓発本が人生を揺るがしてくれたという場合もありますから、それは大切にとっておいても宜しいかと思います。
ちなみに、現在私が毎日開く本と言いますか、書というのは、御経の本であったり、仏教の本です。
自己啓発本を断捨離した理由3:薄っぺらい内容だと感じた
自己啓発本を、綺麗さっぱり断捨離した理由の三つ目は、:今でこそ、薄っぺらい内容だと感じる
からです。
これは、理由の4にも繋がっていきます。
ここまでいうと、なんだか自己啓発本をけなしている、いわゆる「ディスる」感じになっていると思われるかも知れません。
私は、自己啓発本そのものを否定してはおりません。
人によっては、例えば鬱状態では無くて元気な人で、カンフル剤が欲しいと言う状態の人には、力となってくれましょう。
自己啓発セミナーや自己啓発本は、環境まで変えてくれる力はありませんから、日常に戻れば、元の木阿弥になる場合が多いという特徴が御座います。
自己啓発系ビジネスのセミナー講師や詐欺師、最近はインターネットビジネスのコンサルティングや高額塾の我利我利亡者も、多用している詐欺技であるのですがね。
薄っぺらさをどこで判別するかと申しますと、私の場合は、その自己啓発の言葉や感動の持続時間です。
大体が、本を閉じたら、あるいはセミナー会場を出たら、段々と高揚感なり「いい話だったなあ」などの感想が、薄まっていきます。
その程度のものは、私は薄っぺらい自己啓発だと判断しております。
これは理由2にも繋がる話ですが、自己啓発本をきちんと読んだ後、試しにその本を放置してみると良いでしょう。
もしくは、本屋で買おうとしている自己啓発本を立ち読みして、その内容をきちんと覚えているか、自分の人生を揺るがすほどに感じたか、等々、自己を問うてみるのです。
自己を問う、というのが、なんとも仏教的であり、また自己啓発本と自己との関係性の濃淡を知る手がかりでもあります。
それで、どんどんと薄まっていき、無くてもいいや、となる程度ならば、それはあなたにとっては薄っぺらい、という事になります。
厄介なのが、薄っぺらいけれども、妄語や綺語で飾り立てて、買わせるテクニック・技術に長けている編集者が、本を飾っているから、なかなか判断が難しい、見極めるのが最初は困難であるところです。
自己啓発系の事柄に免疫が無い人の場合は、特に。
ゆえに、全く違う価値体系からのアプローチ・接触する力も身につけておかないと、自己啓発本を買って後悔し、断捨離する羽目になります。
自己啓発本を買うときは、断捨離する手間を省くためにも、最初の段階で、冷静に必要かどうかを見極めるべきでありましょう。
この辺り、自分がどのような時に高揚感を覚えるかを、きちんと観察(かんざつ)出来ているかどうかで、変わってきます。
参照:「高揚感の意味と使い方の例文|知っておくべき注意点」
参照2:「買わない生活のコツは高揚感の自覚にあり」
参照3:「高揚の意味と学んでおくべき注意点」
自己啓発本や自己啓発セミナーは、こちらの高揚感を煽ってお金を搾り取ってきます。
故に、自己の高揚感をきちんと見極めていくことは、財産を守るためにも大切です。
それに、自己を問うということは、仏道を歩む、仏教的な生き方の実践でもあり、智慧を養う修行でもあります。
理由4に繋がって行きますけれども、下手な自己啓発本を読み漁るよりは、よほど力になるのでは無いか、という色眼鏡を持っている私で御座います。

自己啓発本を断捨離した理由4:仏教がすでに説いているから、今更要らない
自己啓発本を、綺麗さっぱり断捨離した理由の四つ目は、:自己啓発本の内容は、すでに仏教をはじめ過去に説かれている
という内容であるからです。
自己啓発本の効能は、以前も話した事がありますが、内容の薄っぺらさそのものに、効果なり価値がある、と私は考えております。
仏教もそうですが、宗教というのは、社会の価値体系や娑婆世界の事柄を、あっさりと吹っ飛ばす程の力があるという事は、ある程度学んだら、触れる事になるかと存じます。
これは、僧侶で大学教授でもあられる釈徹宗さんも、伝えて下さっている大切な事柄です。
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これから仏教を、宗教を学びたい人には、次の本と共に併せて読んでおくと、暴走せずに学んでいけるかという味わいを頂いております。
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下手な自己啓発本や自己啓発セミナーに通うよりは、智慧を頂けたり啓発的な自己を形成できるのではないか、という感じもしておる程です。
もちろん、これは私の手前勝手な考え方で感じ方、色眼鏡でありますけれどもね。
自己啓発本の断捨離の話に戻しますと。
仏教を学んで行くと、自己啓発本に書かれている内容も見えてきます。
例えば、「自分も他人も幸せに」という話は、「自利利他円満」という仏法の一言で表せます。
「悪い事をせず、善い行いをする」というのも、初期仏教からずっと言われ続けている事です。
自己啓発本は、そういった事柄の濃度を薄めてくれているという価値がありますから、確かに有り難い話ではあります。
ただ、それが矮小化されてしまい、薄っぺらくなってしまっているものが多いと言うのが、残念ではあるのですが。
そもそも、仏教・仏法は「対機説法(たいきせっぽう)」という解き方により、その人その人に適合した教えを説いてきたという世界観を有しています。
この人には浄土仏教のこの教えが、この人には禅宗のこの教えと実践が、というように、探していけば何かしら、自己を啓発するきっかけともなる仏法に出会えるのではないか、私はそのように頂いております。
私の経験でしたら、うつ病の時に禅語から仏教と再開して、現在は浄土宗の教え、浄土仏教を軸として歩ませて頂いております。
そして、自己啓発本を断捨離しても、仏教という軸のお陰様で、なんとか生きていけております。
自己啓発本は、確かにカンフル剤に使えると言えば、使えます。
しかし、一時的なカンフル剤では立ちゆかなくなったとき、少しずつ濃度を濃くしていく世界観を見出すのも、生きる力となりましょう。
そのために、自己啓発本を断捨離して一歩進む、というのは、意味と意義のある事ではなかろうか、私は経験から、そのような事を学んでおります。
もちろん、あなたに「自己啓発本はゴミだから、断捨離しなさい」とは、申し上げません。
力となる自己啓発本も、なくはないでしょう。
ただ、自己啓発本を薄っぺらく感じたり、無意味に感じ始めたら、いっそのこと断捨離してみるのも一つの方法である、と、伝えさせて頂きます。
自己啓発については、こちらでその実態を知って頂くと、断捨離に踏み切る一助となるやもしれません。
参照:「自己啓発のセミナー危険な実態|大阪での体験談」
参照2:「自己啓発本のおすすめやランキングは鵜呑みにしない」
参照3:「自己啓発本の使い方2つの例」
参照4:「自己啓発とは|関連情報まとめ」
自己啓発本も、使い方によっては力にはなりますから、上手な使い方を模索しつつ、仏法を学ぶというのも、一つの手ではあります。
私は断捨離しましたが。
断捨離についても、こちらでお伝えしております。
参照:「断捨離の意味とコツを仏教から学ぶ」
参照2:「断捨離実践のコツと効果まとめ」
参照3:「断捨離実践のコツと効果まとめ|個別事例編」
物だけではなく、自己啓発という概念そのものも、一旦断捨離してしまうのも、一つの方法です。
概念を断捨離すると言う事は、その概念への執着を立つという、とても仏教的な有り様です。
仏道修行にも通じますから、覚えて置くと、今後の人生を生き抜く智慧になるかと存じます。
合掌