「させていただく」の使い方|正しい敬語と注意点

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

以前に、「させていただく症候群」という表題で、話をしたことがあります。
ƒvƒŠƒ“ƒg この場合でしたら「話をさせて頂く事が御座いました」と表現すべきでしょうか。



「拝見させていただくって正しい日本語かな?」「ご連絡させていただきましたって仕事で使っていいの?」と、言葉の使い方に悩まれる方もいらっしゃることでありましょう。

「させていただく」という日本語の使い方について、特に新入社員は研修を受けて、とまどったりされるやもしれません。

テレビ番組でも「させていただく症候群」と紹介された事があり、以前にこのお堂(ブログ)で話したように、なんだか間違ってはいけないという強迫観念も生まれていそうです。



敬語については「正しい日本語の使い方」「正しい敬語を使いましょう」というマナー本や一般常識の本はロングセラーですから、それだけ疑問に思う人もいらっしゃるかとお見受け致します。

そういう私も「正しい日本語、美しい日本語」という本を買って読んで学んだりしておりますがね。

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「させていただく」は正しい敬語か間違いか?

「させていただく」は、あまりにも多用する人を「させていただきます症候群」なんて、揶揄するような言われ方をします。



そもそも「させていただく」は正しい敬語であり正しい日本語であるのか、それとも間違いなのか。

仏教の考え方や教えでは「正しいとか間違いだとか、人間の、そして各々の都合による分別である」とします。

しかし、新入社員研修や仕事の現場でお客様に対して、そのような態度だと流石に具合が悪いでしょうから、簡単に意味や使い方の復習だけしておきましょう。



使い方で「これ、正しいの?間違いなの?」と混乱する有名な表現は、
:拝見させていただく
です。

「拝見する」は謙譲語、自分が引き下がる意味合いの敬語表現ですから、「拝見します」で、すでに完成されている敬語です。

そこにさらに「させていただく」を追加すると、二重敬語になって慇懃無礼とも捉える人もいらっしゃいます。

ゆえに「拝見さえていただく」は、日本語としては間違いと言う事になります。

正しい日本語、正しい敬語表現としては「拝見致します」です。



有名どころでは
:ご連絡させていただきました
も、よくあるパターンです。

正しい日本語としては
:連絡致しました
であり、こちらの方が簡単ですっきりする表現です。



国語辞典的な「正しい敬語」なり「正しい日本語」としてのは、このような感じです。
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「させていただく」を受け取る側の態度

正しい日本語や、正しい敬語を使いましょうという意識も高いと思われる現代社会に感じる今日この頃で御座います。



確かに、がっちりとしたビジネスの現場、仕事中や職場の上司との正式なやり取りの際には、確かに正しい敬語や正確な表現技法を知っておくに越したことはありません。

相手に失礼の無いように、という第一義は、私も同意しております。



ただ、私は間違いとされている日本語や敬語を使われても、目くじらを立てることはありません。

近しい人が「これは間違いで不味いな。」と思ったら、流石に「これは、こういう表現の方がよろしいですよ。」と、やんわりと伝える事はあるにしても、怒ったりは致しません。

私はいちいち怒りませんが、世の中には敬語や正しい日本語を使い事にうるさい人もいらっしゃり、「慇懃無礼で実に怪しからん!」と、やたら怒る人もいます。

確かに国語学者や、言葉に敏感な仕事の人や国語を教える仕事の人は、目くじらを立てるのも理解は出来ますがね。



それを踏まえて。



私は、敬語表現って使う方の正しいだの間違いだのばかりが注目されますが、敬語を受け取る側にもそれなりの在り方があるのではないか、そのように考えています。



「させていただく」も「させていただく症候群」なり、二重敬語で丁寧過ぎて逆にすっきりしないというのは、感覚的に理解は出来ます。

でも、私は「あ、何とか丁寧に使用として、敬語がぎくしゃくしているな。」と、むしろ丁寧に接しようとして下さるその在り方に感謝する事があるくらいです。



日本語が正しいとか間違いだとか、確かに正式な場面では必要なこともあるでしょう。

でも、そのような時でも、特に若手の人達が「させていただく」などの敬語表現を誤って使っていても、いちいち目くじらを立てるのはどうかと思うのです。

豪快に笑って許して、その上で正しい日本語や敬語の使い方を優しく継承していく、そのような度量や在り方を、受け取る側も考えては如何だろうか、そのように考えております。
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「させていただく」の意味を深めて生き方とする使い方

「させていただく」とは、
:相手の許可を頂いたり、恩恵を受けて行う事に対する感謝の意
というのが、「正しい日本語」と言われる本来的な意味です。

ゆえに、相手の許可や恩恵ありきで使われる敬語という意味で理解して頂くと、わかりやすいでしょう。



実例を一つあげると
「この物品を回収もよろしいでしょうか?」
「はい、良いですよ。」
「有難う御座います、では、回収させていただきます。」
という感じで使います。

この場合は、物品を回収する許可を得て行っているわけですから「回収させていただく」という表現が使えます。

すっきりした表現なら「回収致します」でも十分に通用するでしょう。

この他にも「させていただく」という敬語の使い方は、国語辞典やインターネットで調べると、いくらでも答えは出て来ます。



意味の話はこれくらいにして。



「させていただく」という日本語には、私は「常に謙虚であるという生き方」を実践するために重要な言葉の一つだと考えております。



私は、仏教者として、また、真宗・浄土真宗の教えを貫き、世間にも良しとする商いをされてきた「近江商人」の在り方を見習う言葉として「させて頂く・させていただく」の意味を頂戴しております。



近江商人の中には、信仰心篤い念仏者、浄土真宗の教えを律儀に守って、商いもするけれどもお念仏も聞名させて頂くという在り方の人もいらっしゃいます。

そして、これはあくまで私の想像ですが、帳簿を付けるときも「帳簿を付けさせていただく」
という態度や在り方で、毎回帳簿をつけられていた人もいたのではないか、と思うのです。

近江商人には「仏様に恥じない行いをすべき」という理念なり教義があります。

帳簿を付けるときも「仏様に観て頂く時に、誤魔化したり不正となるような、恥ずかしい帳簿をつけてはならない」という思いがあったことでしょう。

その上で「この帳簿も、仏様に付けさせて頂いている、帳簿を付けるご縁を頂いている。」という考えに至っても不思議ではありません。



つまり、行う事は全て「仏様の恩恵ありき、お許しありき」であり、表面上は誰かの許可を得たり恩恵を直接受けたわけでは無くても、概念の上では「常に仏様の恩恵による」と言う考え方が出来るのです。



ゆえに「させていただく」の意味は、
:謙虚に生きる生き方の指標
:仕事の現場で傲慢にならず、感謝を忘れぬ戒めや在り方
これらを意識し実践する概念を言語化したものである、私はそのように頂いております。



ちなみに、私は浄土宗の檀家で真宗門徒ではありませんが、近江商人の理念は凄く大切にしていて尊敬しております、いや、「尊敬させて頂いて」おります。



尚、今回の話は、こちらも合わせてお読み頂く事で、深めて頂けるかと存じ上げます。

参照:「させていただきます症候群」

参照2:「「させていただく」と「おかげさま」の功徳」



「させていただく」という言葉は、謙虚を表すロゴス(言語・言葉)であると、私は頂いております。

その謙虚さと奥ゆかしさの味わいを感じて頂けましたら、嬉しく思います。



合掌

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