させていただく症候群|正しい敬語か間違いかで消耗するのは浅はか

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

接客業に従事している人でしたら、「させていただく」や「させていただきます」という表現を用いられたことがあると言う人って、結構いらっしゃるのではないでしょうか。
ƒvƒŠƒ“ƒg 私も、「させていただく」「させていただきます」という表現は、日頃から用いております。



現在は、「させていただく症候群」という表現もされていて、正しい敬語では無く間違いである、と論じられる人もいます。

丁寧過ぎる敬語表現は慇懃無礼である、とか、気持ち悪いとか、そんな意見もあるという話が御座います。

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「させていただく」の意味を知る

私も、確かに学術的だったり国語としては、確かに正しいとされる敬語のルールとしては間違いであったり、使い方としてはよろしくない部分もあるかも、という自覚はあります。

「参加させていただく」とか「こちらからご連絡させていただきます」とか、色々ありますね。

「参加させていただきます」は「「参加致します」に置き換えられますし、本来の正しいとされる敬語表現としては、こちらの方が正しい使い方とされています。



そもそも国語的な「させていただく」の意味は、
:相手の許可をもらって行う行為のこと
:許可を貰った恩恵に感謝しての表現
という定義があります。

だから、
「誰の許可をもらうんだ?」
「恩恵ってどんな恩恵だよ?」
「本当に感謝しているのか?」
という疑問や不信感を持ったり、その事を指摘されている、という事もあります。



また、中にはなんだか慇懃無礼に感じるという人も、いらっしゃるかもしれません。

国語に厳しい人や正しい敬語の使い方に厳しい人は、違和感を覚えられる事もあるようです。

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近江商人に学ぶ「させていただく」「させていただきます」という在り方

国語や正しい敬語のルールとして、現代知性としての「させていただきます」の意味は、確かに使い方としては間違いで不適切な場面もあるでしょう。

そりゃ「させていただく症候群」と言われても、「まあ、言いたいことはわからんでもないかな。」と、私も思う部分はあります。



しかし、では何故「させていただく」という表現そのものがあるのでしょうか?



そこで「させていただく」という言葉の意味と由来を辿ってみましょう。



させていただく」というのは、有名なところで言いますと、司馬遼太郎さんという作家さんが紹介されていましたね。

「街道を行く」というシリーズで、近江散歩のところで「させていただく」という言葉を仰っていました。



近江と言いますと、真宗門徒の方でしたら、特に「近江商人」を連想されるのではないでしょうか。

近江商人とは、近江商人を研究した人がわかりやすく解説するために伝えられた
:三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)
の概念で知られています。

現在も健在な近江商人発の会社といえば、伊藤忠が御座います。

伊藤忠の初代頭、伊藤忠兵衛さんは近江商人であり、また、熱心な真宗門徒さんでもあったという歴史があります。



近江の歴史を辿ると、近江辺りは浄土真宗の蓮如上人がいらっしゃった事もあって浄土真宗が広まり、近江商人の中には熱心な真宗門徒という人もいらっしゃるのです。

近江商人が使われていたという「させていただく」という言い回し・表現は、この真宗・浄土真宗の教えや阿弥陀信仰と関わりがあります。

「させていただく」は、阿弥陀様・ご縁による賜り物への恩恵に対する感謝と敬いの表現

伊藤忠兵衛さんの話を持ち出しましたから、伊藤忠兵衛さんの話を例として使わせて頂きます。



伊藤忠兵衛さんは、熱心な真宗門徒さんであり、阿弥陀様への信仰心をお持ちの近江商人です。

そして、常々「仏様の前で開けらないような帳面はつけてはいけない」と、いわゆる「お天道様が見ていらっしゃる」という事を大切にしておられました。

現在のビジネスマンにとっては、耳と心が痛む話ではないかと思いますが、如何でしょうか。

ビジネスビジネスとご高説垂れている、なんちゃらビジネス系の人は特に。

人を騙す事や詐欺的行為も平気でしますし、仏様に見せられないような集金の仕方なり我利我利亡者としての行いばっかりですから、爪の垢を煎じて飲むべきでしょう。



それはさておき。



また、伊藤忠兵衛さんもそうでしたし、信仰心篤い近江商人は、商売に出かける前に阿弥陀如来に合掌し、勤行も行われています。

常に阿弥陀様が見ていて下さっているという「仏の目」を感じていたからでしょう、不正をしないという戒めは、宗教心からもあったわけです。



そして、そのような「仏の目」や阿弥陀如来の恩恵により
「私は商売させていただいています」「商うことをさせていただく」
という言い回しに繋がって行きます。



商売が出来るのも、お客様とのご縁を賜るのも、そのお客様から頂いた恩恵も、全て感謝申し上げる。



その事を一言で表したのが「させていただきます」「させていただく」という表現であると、私は近江商人と真宗・浄土真宗を学んで解釈するに至りました。



だからでしょうか、私は「させていただく症候群」って、なんだか悪意を感じる言い回しだなあ、と感じておるのです。



国語や正しい日本語という概念に敏感な人、「正しい敬語」という、敬語の使い方に厳しい人からしたら、言いたくなるというのはあるのでしょう。

しかし私は、「何かをさせていただく」という事を、誰の許可も貰っていないのに使うのは間違いであるとか、慇懃無礼である、と、早々と結論づけられません。

それは、私は真宗門徒ではありませんが、浄土宗の檀家で仏教徒であり、篤い阿弥陀信仰者を大切に思うというフィルター(色眼鏡)もあるからというのも要因です。

そしてそこには、「阿弥陀仏のおかげさま」「お天道様が観て下さっている」という、謙虚な在り方を実現する智慧も見出しておるのです。

ゆえに私は、「なんでもかんでもさせていただくって言うのは、させていただく症候群で間違いだ」と、決めつけて責める事が出来んのです。



そういえば、私が東本願寺で毎日のように御法話を聴聞させて頂いていた時、真宗大谷派のお坊さん達も「させて頂きます」「させていただく」と、結構使っていらっしゃいました。

お坊さんに対しても「それは、させていただく症候群だ!」と、「正しい敬語」に縛られている方は、仰るのかどうか、見物で御座います。

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させていただく症候群にならぬ智慧:中身の無い敬語や言い回しとして使わない「させていただく」

「会議に参加させていただきます。」「ご報告させていただきます。」とか、確かに長ったらしいし、正しい敬語という観点から見ると、間違いである使い方というのも確かでしょう。



それに加えて、これらの表現が「させていただく症候群」と言われる所以は、あまりにも形だけで中身が伴っていない、という事も一つの要因では無いか、そのようにも思えます。

「敬語って難しいし、流行の(させていただきます)とか(させていただく)を使っておけば大丈夫」と、そんな感覚ではなかろうかとは感じる事も御座います。



確かに、「させていただきますって、とりあえず言っておけばいいや。」で、完結してしまっては、「敬っていないのに敬語を使っている」という事になります。

そこで、「させていただく」の意味や由来、その歴史を今回話をさせて頂いた事を学んで、その上で改めて意識的に「させていただく」という表現を用いてはどうでしょうか。



学術的には、誰の許可も無く、参加出来る事に参加する事は、「参加致します」あるいは「参加する」が、正しい敬語の使い方ではありましょう。

しかし、謙虚さや恩恵への感謝を忘れぬために、意識的に「参加させていただく」「ご報告させていただく」という表現を真似する事から始めるを、私は悪いとは思うておりません。

TPOをわきまえて、口では「参加致します」と表現しておき、心の中では「参加させて頂きます、有難う御座います。」とする工夫は必要でしょうけれども。



「させていただく症候群」と言われない工夫をしつつ、ご縁や恩恵への感謝を忘れぬための表現として、私は大切にしたいと「思わせて頂いております」。



尚、させていただく、させて頂きます、という言葉の具体的な使い方や正しい敬語という概念については、こちらでもお伝えしております。

参照:「「させていただく」の使い方|正しい敬語と注意点」



具体的な使い方と、正しい敬語を知った上で、きちんと「させていただく症候群」にならぬ智慧を働かせる事が、大切であると思います。

「させていただく」を受け取るときは謙虚に、そして相手を慮って、使う時は「させていただく症候群」にならぬように、と言うのが、丁度良い塩梅ではないかと、私は味わいます。



合掌

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