サチのお寺ごはん3巻ネタバレ感想|レシピも仏法もやさしく学べる漫画

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

東本願寺文庫で出会う御縁があった漫画「サチのお寺ごはん」3巻が、先日届きました。
099123 サチのお寺ごはんは、このお堂(ブログ)でも、1巻と2巻を少々ネタバレ気味に感想をお伝えしている漫画です。

仏教漫画というくくりでも語れる漫画ですが、レシピが掲載されていると言う事で、料理漫画としても観る事が出来ます。



今回の、サチのお寺ごはん3巻も、レシピと仏法をやさしく学べる仕上がりになっておりました。

こういう仏縁の結び方や、仏教・仏法の学び方も一つの御縁であるなあ、と、しみじみと感じながら読み終えたものです。

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サチのお寺ごはん3巻ネタバレ感想的なネタバレレシピ

今回の、サチのお寺ごはん3巻では、サチが初デートに行ったり、またもや色々とモヤモヤした感じをお寺の住職である源導さんに相談して苦を和らげる、という流れであります。

相談による苦を和らげる場面では、源導さんによる仏教・仏法の教えでのお導きから、仏教・仏法を学ぶ事が出来ます。

後ほどお伝え致しますが、今回は仏教が説く根本的な煩悩「三毒」についても触れていました。



気になるレシピですが、今回参考になったレシピは、「茄子の揚げ浸し」です。



茄子は、最初ヘタの部分、蓮の台に似ていることから、サチのお寺ごはん3巻では「うてな」と読んでいましたが、そこを切り落とします。

この時、ヘタ・うてなの部分をごっそりと切り落とします。



次の手順のために、ここで調味料も用意しておきます。

調味料は、「しょうゆ:みりん:だし汁=1:2:6:」の割合で調合したものです。

しょうゆ大さじ1なら、みりんは大さじ2、という具合です。

それを混ぜたものを、鍋に入れて待機させておきます。



そして、茄子本体は切り目を入れて、170度の油で揚げていきます。

この辺りは、茄子のてんぷらを揚げている人ならば要領をよくご存じでしょうが、今回は素揚げにします。

揚げる時間は、茄子がしんなりするまでですから、火傷に気をつけてあげ具合を調整します。



茄子の本体をこんがり揚げた後には、調味料を合わせた鍋の中に入れて浸します。

このまま、調味料に浸したを火に掛けて、弱火で5分ほど熱します。



次は、先ほど切り落としたヘタ・うてなの部分です。

ヘタ・うてな用の汁も作るのですが、今度は「赤味噌小さじ1、だし汁大さじ2、白すりゴマ大さじ1、お好みでラー油少々」を混ぜ合わせます。

そして、こんがり揚げたヘタ・うてなを、ヘタ・うてな用汁に浸して、強火で5分熱します。



柔らかくなったら、茄子の本体部分と共に冷やしておきます。

夏場でしたら、冷蔵庫で冷やしておくことで、ひんやり冷たい茄子を頂く事が出来ますよ。

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サチのお寺ごはん3巻ネタバレ感想仏法1:「すべて食べきる」の回「三毒」

サチのお寺ごはん3巻で、ネタバレ気味ではありますが、学べる仏法については、幾つか御座います。



その一つが、上で紹介させて頂いた茄子のレシピの回「すべて食べきる」です。

話数で言うと、17話に該当します。

「すべて食べきる」というのも、精進料理の精神を感じられますし、もったいない精神もはぐくめる題名だと、私は頂いております。



この話では、茄子のレシピを学びに、サチがお寺にやってきたのではなく、会社での事を相談するために、お寺にやってきております。

サチは会社で、上司がなかなか仕事をきちんとしてくれないことにご立腹、怒りを持っているという事で、源導さんに相談します。

その時、「上司がぜんぜんわかってくれない」と、怒りをあらわにします。

その話を一通り聞いた後、源導さんは、「三毒」の話をします。

「三毒(さんどく)」とは、このお堂(ブログ)でも、たびたびお伝えしている、人が持ち合わせる根本的な煩悩です。

参照:「傲慢の意味を宗教から学ぶ|嫌な奴にならないための注意と智慧」

参照2:「愚痴の意味と英語表現から学び、知っておくべき注意点」

参照3:「物欲がないのは危険か|善悪よりも物欲との距離を問うべし」
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三毒とは、「怒り・欲・迷い」と源導さんは説きます。

このお堂(ブログ)でしたら、貪・瞋・癡という説明をしておりましたが、根本は通じております。

癡」は、愚かと言う事で、愚かであるから迷いも生じる、と考えていけば、自ずと把握出来るかと存じます。



そして、サチのお寺ごはん3巻では、源導さんが「愚か」について、仏教の教えによる「愚か」を教えてくれます。

仏教における「愚か」とは、知識がないとか、仕事が出来ない、という意味ではなく、「真実が見えていないこと」と説きます。

その話を聞いたサチは、自身が見えていない真実について考え、次の日に後輩と共に、その怒りの対象であった上司を昼食・ランチに誘い、相手を知る努力をするようになります。



この話におけるサチの怒りとは、日常生活の中であったり、職場でもよくありそうなものです。

でも、その怒りの種は、実は「自分だけが正しい」「俺は正しい、あいつが間違っている」という先入観なり傲慢な在り方によるものかもしれない、ということに気づかせてくれる、サチのお寺ごはん3巻の仏法です。

一度、「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」して、己の怒りの出所を、真実を見ない愚かさなどの「三毒」から来るものか、確かめておきたいものです。

サチのお寺ごはん3巻ネタバレ感想仏法2:先入観という色眼鏡

サチのお寺ごはん3巻に収録されている「すべて食べきる」でお伝えした、ネタバレ気味の感想として、「先入観」の話も致しました。

サチのお寺ごはん3巻には、この「先入観」や固定観念にまつわるどんぴしゃりな話も収録されています。

少女漫画的な話が好きな人でしたら、サチが初デートをする回ですから、サチのストーリー・物語の方に興味そそられていらっしゃるかもしれません。

しかし、後半の仏教・仏法の話が、仏教者には興味そそられるところであります。



サチのお寺ごはん3巻に収録されている第16話「透明な心」では、サチが初デートに出かけます。

しかし、初デートでは有る出来事で服がべちゃっと汚れるトラブルに見舞われて、途中解散することになってしまいます。

それで落ち込んで、コインランドリーで選択を待っているときに、偶然、源導さんと遭遇し、お寺でお茶を頂くことに。



そこで出されたお茶が、ポイントです。



お茶は、黄緑色をした透明な液体で、甘酸っぱく青臭さもある風味です。

実はこの黄緑色を下透明性が高いお茶は、トマトから作られておりました。



トマトは、私達は「赤い夏野菜」という先入観が御座います。

しかし、何度か漉す(こす)ことによって、透明なトマトスープ、トマトのお茶が出来るということです。

このような話を聞いて、サチは「思い込みを捨てられないからわからなくなる、人の気持ちは尚更に」という事を学びます。



これは私にとってもそうですが、あなたにとっても耳の痛い話もあるのではないか、と存じます。



人は、先入観によって、上でお伝えした「愚か・愚痴」という、三毒の煩悩越しに物事を見てしまいがちです。

人は、相手の気持ちを完全に理解することは出来ません。

先日、十夜フェスにて、禅宗のお坊さんにも教わったのですが、僧侶であっても人の気持ちを100%理解する事は不可能だと教えて下さいました。

むしろ、「私は人の気持ちをきちんと理解出来る」と思うのは、それこそ傲慢でおごり高ぶった考え方なり在り方である、とも教わりました。

色眼鏡や先入観で、相手の気持ち、人の気持ちを分かった気になっているのは、それこそ真実が見えていない「愚痴(愚かなこと)」でありましょう。



先入観を無くすこと、捨てきることは、確かに難しいと思います。

私だって、出来ない事ばかりです。

しかし、だからこそ、その先入観に気づく事が、人の気持ちに何とか近づく一歩目になるのではなかろうか、サチのお寺ごはん3巻から、このような感想を持ち、学びを頂いたものです。
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サチのお寺ごはん3巻ネタバレ感想仏法3:無常の理

サチのお寺ごはん3巻の、第18話「幸せのさじ加減」では、仏教が説く根本的な理「無常」について、やさしく、しかし凄く奥深く学ばせて頂いております。



この話では、サチの親友が結婚することになり、喜び祝う心があるけれども、幾許かの寂しさや、昔に戻りたいという事を思うようになります。

今回のサチが感じる心の動きは、ある程度の年齢に達している人であるならば、心当たりがおありかも知れません。

世の中は無常、常に移り変わっていくことは、「そんなのは当たり前だ」とわかっていても、受け容れられるかどうかは別である、と言う事を、突きつけられた気がしたものです。



このような、祝い大師喜ばしい事であるけれど、自分が忘れ去られていく気がしたり、寂しさを感じるサチに対して、源導さんはいいます。

「どんなことでも、一切変わらずに存在し続ける事はありません。」

解き方のスケールは大きく、二千年後に自分もサチも、寺も無いだろう、ということを言い出す源導さん。

確かに、私達も二千年どころか、長生きしても100年かそこらしか生きられません。



そして、この後が更に大切な事です。



サチのお寺ごはん3巻では、長いもを使った料理を作った後に、サチの相談事があるのですが、その時に「目の前にある長いもも、明日には傷んでしまう」と、源導さんは言います。

そして、「明日傷んでしまうということは、今、この瞬間も、ほんの少しずつ痛み続けている」と、続けます。



これは、長いもの話だけでは無く、私達の身体、精神もそうですし、頑丈そうな家や鉄筋コンクリートにも、当てはまります。

頑丈そうなものは、見た目には全く変化を認知する事は出来ません。

しかし、それでも刹那事に、風化したりといった変化が、確実に発生しているのです。



目に見える変化を認知出来ないと、人は変化していないと錯覚してしまうものです。

この、サチのお寺ごはん3巻にある「幸せのさじ加減」は、そのような錯覚を改めて教えて頂けるなあ、と、感じたものです。

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「サチのお寺ごはん」は、現在は3巻まで発売されております。

1巻と2巻につきましては、以前もこのお堂(ブログ)で取り上げました。

参照:「サチのお寺ごはん1巻のレシピの感想」

参照2:「サチのお寺ごはん2巻の感想。レシピも仏教も学べる漫画」



また、サチのお寺ごはんから学んだレシピや考え方については、他のところでもお伝えしております。

参照:「節約レシピと共に意識すべき事」

参照2:「節約生活のコツ|食費を抑える節約レシピ編」



サチのお寺ごはん3巻にありました「すべて食べきる」は、この題名こそが、節約生活や節約レシピを実現するための、根本的な事柄でありましょう。



最初は立ち読みからでも良いとは思いますから、サチのお寺ごはんから、仏縁が結ばれると、嬉しく思う私で御座います。



合掌

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