後悔しない生き方とは

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

「後悔」というと、失敗したとかネガティヴな言葉だと思う人の方が多いのではないかと思います。
166103 どんなに準備万端にしても、「あのときもっとああしておけば」と、後悔したことがあると言う人もいらっしゃるのではないでしょうか。

生真面目な人だと、そのような後悔の念を継ぐ傾向にあるでしょう。



現代社会では「後悔したくない!」「出来れば後悔しない生き方を生きたい!」という人の需要が多く、本でもどんぴしゃりの本が出ております。

「後悔しない生き方 人生をより豊かで有意義なものにする30の方法」とか「本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方」とか、そのような感じの本が、自己啓発本のコーナーで見かける事が御座います。

スポンサーリンク

それらの本のレビューや口コミ感想も結構ありまして、後悔しない生き方の歩み手になりたがっている人の多さが窺えます。

そもそも後悔しない生き方とは何か。まず「後悔」とは何かを知るべし

後悔しない生き方とは何かを考える際、そもそも「後悔」という言葉と概念を考える必要があります。



「後悔」とは、読んで字の如く
:後で悔やむ
ことです。



何かをやってしまって不都合が生じた場合に、「やっちまった、あの時、ああしていれば」と後になって悔やむというような場面で「後悔する」という言葉を用います。

仕事では、準備万端ではないのに実行に移して、ポカをやらかしたときに「後悔先に立たず」と言う場合の後悔です。



また、「いつまでも、あると思うな、親と金」ということわざがあるように、親孝行をもっとしておけば良かったなあ、と後悔するというのは、今昔問わずよくある話です。

「親孝行、したいときには、親はなし」は、よくいわれる後悔に関することわざです。



後悔というのは、要するに「何かをやってしまったり、何かをやらなかったことによって自分の都合に合わないことが生じ、それに対する念が残る」ということです。

言うなれば「残念」な事です。



仏教者である私は、「残念」というのは、念を継いでそれに執着していることと観ます。

そして仏教には、後悔しない生き方、後悔しにくい人生の歩み、後悔による苦を和らげる智慧や仏法があります。

それを生活していく知恵や生き方の智慧とすることで、「残念な後悔」による苦を和らげる事に繋がります。

スポンサーリンク

後悔しない生き方のコツや智慧

後悔しない生き方とは何か、それは上で話した事を踏まえますと
:残念な後悔に囚われない事
:現象や刺激に対して、後で悔やむ念を継がぬ事
です。



現在、色々と出ている自己啓発本や「後悔しない生き方 人生をより豊かで有意義なものにする30の方法」、堀江貴文さんの本にも、後悔しない生き方をするヒントやコツは書いてあります。

もちろんそれらの本は参考にはなるでしょうし、まずは一つ二つ試して見るのも良いでしょう。



ただ、読み方を間違えたり自分都合で歪曲した解釈をしてしまうと、単なる傲慢で煩悩まみれな我利我利亡者になりかねません。

そこは気をつけて、それらの本や名言なり言葉と付き合いたいものです。



それに、私は後悔しない生き方を歩むコツや言葉なり方法論というのは、30も要らないだろうと考えております。



仏教では
:物事を丁寧に行う、丁寧に暮らす
という事を教えて下さいます。

これは、物事を成すために準備万端の状態にするという事にも直接的に繋がります。



後悔しない生き方のコツは
:丁寧に生きる
という教えが「後悔しない生き方」に直結します。



後悔とは、往々にして丁寧ではなく雑に何かをやった後に起こるものです。

卑近な例で言えば、テレビを観ながら食事をしたために、茶碗やお茶をひっくり返したり、番組録画しようと思ったら、流れ作業で録画したために、違う番組を録画してしまったり。



仕事や試験勉強で失敗してしまい後悔する時も、丁寧さが欠けていたからと言う事が多いものです。

試験勉強や仕事の現場では、実際に本番がくるまで、そして本番中にも何が起こるか分からないのが世の常ですから、どんなに準備万端にしたと思っても、準備し尽くしたと言う事はありません。

「これで準備万端だ」と自信を持つことは大切ですが、過信して「増上慢(ぞうじょうまん)」の状態で失敗したら、それこそ目も当てられない深い後悔に苛まれます。



だからこそ、それでも準備を怠らず、丁寧に準備をするのです。



親孝行にしてもそうです。

親孝行したいときには、すでに親孝行出来なかったと後悔するという話はよくきく話です。

だからこそ、普段から丁寧な暮らしを実現し、親孝行も丁寧にし続けると言う事が大切です。



以上を踏まえると、後悔しない生き方とは「丁寧に暮らす、丁寧に生きる」と言う事とイコールと考えて良いでしょう。

そして、そのような生き方を実践していくのに、いきなり30も必要ありません。

まずは「丁寧に生きる事、日常生活を丁寧に暮らす事」を意識して生きる事から始めてみられる事を提案致します。
112215

それでも後悔してしまうのが人間の性

後悔しない生き方とは何か、そのコツなり知恵を仏教者の視点から一言で申し上げれば
:丁寧な生き方を意識する
です。



でも、どんなに丁寧に生きたところで、特に生真面目な人は、自己反省、内省する性質が強いものは「本当にこれで良かったのか?」と、何かしら後悔しているような感じ、または後悔に繋がりそうな考えを持った状態になってしまうものです。

私もそのような傾向がありますが、後悔というのは確かに後に念が残ってしまうものであり、仏道を歩む仏教者として、この苦を緩和する修行は有意義だと思うてはおります。

それこそ、念を継がない仏道修行や、丁寧に生きるというは後悔しない生き方の実践でもあります。



しかし、後悔という概念はマイナスイメージばかり先行していますが、私は「後悔」という概念も接し方次第で、良き人生の歩み手になれるのではないかと思います。



後悔したことに囚われすぎて、そこに執着するのは確かによろしくはありません。

執着するのではなく「やっちまった・・。」という事を反省し、「即今、当処、自己」の禅語を意識して、念を残す暇を与えず、直ぐに活かすことに後悔の念を活用すれば、進化する事に繋がります。
514721

人の性を認めた上で上手に付き合い丁寧に生きる

人に何を言われても気にしないという生き方が後悔しない生き方のコツの一つだと紹介している本や言葉がありますけれども、それも解釈を間違えたら大変な事になります。

名言っぽく「やらぬ後悔よりやって後悔」なんて言葉を紹介している人もいます。



でもこれって捉え方によっては、傍若無人で傲慢な亡者になりかねない解釈をしてしまい、トラブルや人間関係の破綻になりかねない解釈をしてしまう危険性もあります。

それよりも、私は上手に後悔出来る人の方が、個人的に付き合いやすいと感じておりますし、反省して次に活かすことが出来る可能性の高い人だと思います。



以上を踏まえ、つい後悔してしまうという人間の性(さが)を認めた上で、それと上手に付き合い丁寧に生きていくと言う事が、建設的な生き方ではないでしょうか。

そしてそれが「後悔しない生き方」に繋がっていく、私はそのように思うております。



「後悔」という概念を改めて深め、マイナスイメージやネガティヴイメージに囚われていた先入観を解体していくことも、仏教の智慧でもあります。

こうして考えていけば、「後悔」という概念の違った側面や接し方も見えてきませんかな。



合掌

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加