有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは、パワースポット巡りをされたことはありますか?
何やらパワースポットと呼ばれる場所と、我々一人一人に備わる相性と属性があるようです。
まるでRPGの世界さながらです。
例えば、水属性のパワースポットに火属性の人が行くのは相性が悪いらしく、そのような属性同士の反発があるとかないとか。
火属性の人が水属性のパワースポットに行くと、ダメージを被るのでしょうかね。
「真観は仏教徒だから、さぞパワースポットについて詳しいんだろう。」と思われるかもしれませんが、そんな事はありません。
子供の頃は、妖怪とかオカルト的な話はそれなりに好きでしたが。
確かに、CLAMPさんのXとか、東京BABYLONや陰陽師関連の話は大好きでしたが、今ではからっきしです。
むしろ現在は、パワースポットという概念そのものに、大して興味がないくらいです。
そもそも、釈尊(お釈迦様)が説かれた仏教・仏法には、
「占いや迷信、呪術の類いは、仏教徒や修行者はやらんようにしましょう。」
「それらの類いを盲信しないようにしましょう。」
という教えも説かれています。
これは、スッタニパータと呼ばれる経典にあります。
そのような仏教徒である私が、パワースポットについて考えている事や思う事をお伝え致します。
一応、パワースポットについて相性と属性の解説を
パワースポット巡りを既にされていて色々と調べている人ならば、私よりもこの業界について詳しいでしょう。そのような方々に対して、今更各地のパワースポットの属性と相性についての解説は不要だと思いますが、知らない人のために、おさらい程度に申し上げておきます。
まず、自分の属性は生年月日と血液型から算出します。
例えば、1980年1月1日生まれでA型の人は、数字を全部足して・・・を繰り返し、1のくらいを算出します。
:1+9+8+0=18→18+1+1=20→2+0=2
次に、血液型「A型=1、B型=2、AB型=3、O型=4」で、先ほど算出した数字に更に和算で計算します。
:2+1=3
最後に
:地=1と6、水=2と8、火=3と7、風=4と9、空=5
ですから、該当する属性の数字が、自分の属性だそうです。
そして、この属性に照らし合わせて、自分の属性と隣り合う属性が相性の悪いとされております。
属性が隣り合っているかどうかは「五芒星」とよばれる星形があるのですが、それで判別出来ます。
五芒星のてっぺんから右回りで「地→水→火→風→空」です。
五芒星が出てくるとか、出発点は陰陽で、パワースポット巡りの属性と相性の概念は、陰陽道に由来するそうでs。
この辺りは、なんだか血液の概念が出てくる段階で「血液占いか」と、私は思うたものです。
各地のパワースポットにも相性と属性があるらしい:京都の例
世界各地のパワースポットと呼ばれる場所にも、属性がありまして、その属性を知って自分の相性の良いパワースポットを巡ることが、業界では推奨されている事です。エアーズロックとか美術館、東京タワーもパワースポットとか、随分広範囲をカバーしております。
ハウステンボスやルーブル美術館もパワースポットらしく、どのようにして相性と属性を決定されたのか、興味は御座います。
私は京都在住ですから、京都の主なパワースポットだけお伝えしておきます。
京都でしたら、
:地属性:東寺(教王護国寺、)龍安寺、地主神社
:水属性:清水寺、臨済宗建仁寺塔頭禅居庵、貴船神社、下鴨神社
:火属性:八坂神社と二条城
:風属性:鞍馬寺、頂法寺(六角堂)、伏見稲荷大社
:空属性:禅林寺(永観堂)、高台寺
です。
(NEVERまとめ等いろいろと参照)
例えば、清水寺は水属性ですから、地属性の人とは相性が悪いパワースポットとなる、という構図です。
パワースポットの相性と属性に対する私の認識(要するに愚痴や文句)
私としては、「仏教の歴史や趣ある風景、風流を楽しめなくなるじゃないか。パワースポットの属性と相性をを気にしてたら、桜と紅葉の季節の清水寺を味わえないのでは・・・。」
と思うところであります。
それに、ちょいとこのパワースポットと属性に、私個別の文句もあります。
例えば、清水寺や貴船神社が水属性なのは、水に由来する言葉が入っていますから、まあ、わからんでもありません。
でも、東寺は空海さんの京都での活動拠点であり、「空」という概念を説く般若心経を称える宗派である真言宗のお寺です。
名前からして「空」なのに、なんで地属性なんだろうという疑問があります。
また、龍安寺は無属性だと思うのですがね、なんで地属性なんでしょう?
百歩譲って風か空です。
禅宗の建仁寺塔頭禅居庵も、無属性っぽいのに属性があるのがなんだかなあ・・・って思います。
RPGの旅をしているように楽しむのは宗教の自由でもあるでしょうから、パワースポット巡りや属性と相性は、個々に楽しんで頂ければ結構なことです。
ですが、私個別には「うーん・・・」と、首をかしげるところであります。
ちなみに、ミッドナイト念仏の舞台である知恩院は、
:怠け心に喝を入れてやる気を活性化して運気が上がる
というパワースポットだそうです。
なんでこんなこと知ってるかって?
ミッドナイト念仏で、浄土宗のお坊さんと待ち時間に、知恩院や永観堂について、そういった話を教わりましたもので。
参照:「ミッドナイト念仏in御忌2016に行ってきました」
あくまで「こういう話もあることはありますよ。」という、ちょっとした豆知識の話としてお坊さんが私に教えて下さいました。
知恩院の階段は急であり、段数もありますから、そりゃ肉体的に喝を入れられて、やる気になったり気合いが入るのもわかります。
知恩院の階段は、確かに結構気合い入れて登らないと結構大変です。
ただ、これはパワースポットとか運気とか属性云々の話ではなく、肉体の反応によるものなのですがね。

パワースポットではなく「パワーレススポット」という考え方
私は、パワースポット巡りが流行している昨今において、「皆さん、パワースポットに行きまくって、パワーを貰いすぎ」
と感じております。
MP(マジックポイント・メンタルポイント)が満タンであるのに、エリクサーだとか回復アイテムを使いまくっているイメージです。
パワースポット巡りの旅は、もちろんそれはそれで楽しいでしょうから、私も否定しませんし、大いに楽しんで頂ければ良いと思います。
それこそ、属性や相性の縛りをつけて巡るのは、冒険しているようで楽しいものでありしょう。
それに、歴史に触れたり、寺社仏閣に触れる良い機会ですから、一方では私も歓迎している節があります。
個人が個別に楽しむ分には、私は微笑ましく見守りたいところです。
しかし、私は本来パワースポットと呼ばれる場所って、特に寺社仏閣と呼ばれる場所に関しては、一家言あります。
その事を上手く言語化されている禅僧に、南直哉さんという恐山菩提寺のお坊さんがいらっしゃいます。
南直哉さんは、そのものずばり「恐山」という本で、
:パワーレススポット
という話をされていました。
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そんな時に出会った、この「パワーレススポット」という表現で、私の違和感が見事言語化ていたと思うたものです。
神頼みするかどうかは別として、神社やお寺に行ったとき、御賽銭を入れられる人も多いでしょう。
それは財施(ざいせ)と呼ばれる「財産を寄進させて頂く慈悲喜捨の修行の実践」です。
構造上、その時点で「財力」というパワーを、あなた側から放っているわけです。
強引な解釈かも知れませんが、これは「パワーレス」の状態をつくっていることになるのではないか、私にはそのように思えるのです。
財施以外にも、例えば仕事のストレス解消のためにとか、鬱憤を晴らして運気を上げたいという場合、負のパワーを吐き出すこともあるでしょう。
息を吐ききったら自然と吸う呼吸のように、己に宿る負のパワーを出し切ってから運気を授かる、という見方をすると、負のパワーレスを実践している事とも捉えられます。
御賽銭を慈悲喜捨して「財施」という形で財力を一部手放したり、ストレスなどの負のパワーを吐き出す行為は、パワーレスの実践を先に行っていることになります。
それを考えると、
:パワースポットは、まず自らのパワーレスありき
です。
このことから、
:パワースポットはパワーレススポットでもある
と、私は考えております。
パワースポットに立ち寄って、属性の相性もばっちりで、運気を上げたりパワーを頂いている事も、もしかしたらあるかもしれません。
でも「先に負のパワーを吸収して頂いているパワーレススポットでもある」という意識を持って各地へ行かれると、違った趣があると思います。
「私は神頼みをしたことが無い」と少し話しましたが、その話は別の機会に。
合掌