有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
ポジティブシンキングとかプラス思考とか、一般的には良い思考方法なり考え方というイメージが定着している気が致します。
ポジティブシンキングやプラス思考の現場というと、自己啓発セミナーや本、会社の儀式めいた朝礼などが御座います。
新入社員研修でも、企業戦士に仕立て上げるために、ポジティブを通り越してアグレッシブ(攻撃的)な人を育成しているような、そんな風景もテレビ番組で特集を組まれたりしているようです。
ポジティブシンキングやプラス思考は、本や名言も沢山あり、皆さんポジティブ、前向きな人なりプラス思考な人になりたがっている風潮や市場が出来上がっていますね。
前向きな言葉や名言だけを特集した本も、本屋に行けば沢山並んでいます。
ポジティブシンキングやプラス思考を学ぶ事は無駄だとは言わないが・・・
プラス思考の人、ポジティブシンキングの人というのは、一般的には良いイメージを持たれていて、「ネガティブな人よりポジティブな人」という風潮を感じます。確かに、陰気で暗い人や、やたらマイナス思考な事を言う人ばかりとは、付き合いたいとは思わないというのはわかります。
何を言っても愚痴ばっかりと言う人とは、確かに付き合いづらい面はありますからね。
しかし、私はポジティブシンキングやプラス思考もは、その方法の実践や接し方を間違えると、大きな過ちに繋がってしまったり、大失敗の要因になる危険性も見逃しておりません。
ポジティブシンキングやプラス思考を、自己啓発本なり名言の本で学ぶ事それ自体は、無駄とは私も言いません。
ただ、無駄では無いけれども、注意すべき事もあると考えております。

ポジティブシンキングを振りまきすぎたり強要しない
ポジティブシンキングをする方法を学んだり、プラス思考を学ぶ事は結構ですが、問題は、それをどう活かすかです。落とし穴にはまらないように、注意したい一つ目は
:他人にプラス思考なりポジティブシンキングを強要しない
ということです。
自己啓発セミナーの影響を受けすぎたり、自己啓発本に毒されて、やたらポジティブになりすぎたり、プラス思考の度が過ぎる人って、周囲にいらっしゃいませんか?
やたら「大丈夫、出来るよ!」「やる前から弱気でどうするんだ!」と。
まあ、プラス思考で大変よろしいし、自信があるのは原動力にもなりますから、無駄ではありません。
しかし、それを周囲にまき散らしたり、時には強要するというケースが厄介です。
このような場合、ポジティブシンキングやプラス思考を振り回している本人は、悪いという自覚どころか、良い事をしていると勘違いしたり錯覚しているケースが多く御座います。
「自分は良いことを言っている、良いことをしている、だってポジティブシンキングを実践しているのだから。」
「プラス思考の私は悪くない!」
このように、無自覚である場合があります。
これは、己の業なり行いに対して、全くもって無自覚であり、仏教の言葉を用いると、「無明(むみょう)」である姿です。
「無明」とは、「無知」や「愚かさ」という言い換えも出来て、愚かしい行為でもあるのです。
私の場合、こういうことをされたらはっきり言って「うざい。」と念を継いでしまいます。
頼みもしないのに、自分都合で勝手にポジティブシンキングをまき散らしたり、プラス思考を押しつけられても、迷惑な話です。
物事を始める際に、一歩目を踏み出すために、ポジティブシンキングなりプラス思考の力を借りるのは良いでしょう。
でも、それが行きすぎたら「過ぎたるは及ばざるが如し」、悪影響が出てしまいます。
ここまで来たら、最早ポジティブではなく「アグレッシブ(攻撃的)」にすら感じる人もいらっしゃると言う事を、忘れてはなりません。
攻撃的な人と、付き合いたいかどうかを考えれば、その危険性がみえてくるかと存じます。
ポジティブシンキングやプラス思考は、己の生き方や行動原理とするまでに留めておき、人には強要しないように注意したいものです。
ポジティブシンキングとプラス思考が、自己都合による言い訳にならないようにする
人間という生き物は、どうあっても自分都合、自分のフィルターを通して物事を見て、判断したり決断します。このポジティブシンキングやプラス思考も、実は自己啓発本なりセミナーなりで学んでも、そこから先は自分都合で解釈したり使ったりしているケースが多いと思われます。
全く自分都合無し、利己的な解釈を抜きにして思考したり行動出来ているという自信のある人は、どれだけいらっしゃるでしょうか。
むしろ、「俺は色眼鏡をかけていない!」と、自信満々に言っている人ほど、無自覚で危なっかしいと私は考えております。
人に対して「客観的に物事を考えろ」と、偉そうに宣って自分都合の考えを押しつけている輩ほど、この状態に陥りやすいから、注意すべきです。
今回の表題である「ポジティブシンキング」「プラス思考」も、
:自分都合のポジティブシンキング
:自分都合のプラス思考
になっていないか、内観する必要があります。
例えば、仕事で失敗したときの場合。
仕事でポカをやらかした場合「運が悪かっただけ、ドンマイドンマイ!」と、気にしないで直ぐに行動する事は、確かにプラス思考であり、ポジティブな姿勢に見えます。
でもこれは、本当にプラス思考やポジティブシンキングと言えるでしょうか?
私には、反省をしない無責任な人が、自分都合に失敗を次に活かす努力をしていない風に見えますがね。
まあ、これも私の色眼鏡や私都合の解釈でありますが。
本当のポジティブシンキングの方法やプラス思考の人なら、このように考えるのではないかと思います。
「失敗してしまった。でも、失敗を解析して次に活かすことに努めないと。」
「この失敗をきちんとまとめて報告して、他の人達も失敗しないために情報を共有して、智慧として昇華していこう。」
きちんと反省し分析もした上で、直ぐに行動に移すという事が、本来的なプラス思考の行動であり、ポジティブシンキングを活かした実践的方法です。

仏教の智慧「中道」
仏教では、上で述べた「自分の都合」を小さくしていく修行や教えがあり、自分の都合で物事を見ているという事に気づく術や大切さも教えて下さっています。ポジティブシンキングやプラス思考の人は、一見すると行動的で良い印象がありますから、本人もそれで成功したりすると、どんどんと調子に乗って行く可能性があります。
しかし、それが行きすぎると、本人は「いけいけどんどん」で、自分を省みる余裕を持たないから、自身で気づく可能性が低くなっていきます。
また、もし自身がそのような状態になっていたら、自分の今の状態に気がつきにくいでしょうけれども、注意しないといけません。
己に気づくために、禅の世界には「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という禅語があります。
己を省みる戒めとして、覚えて起きたい禅語です。
ポジティブシンキングやプラス思考は、確かに無駄ではありませんが、使い方や接し方を誤れば、周囲も大変迷惑します。
だからこそ、己を省みる仏教の智慧や、禅の言葉などのブレーキなり制御装置は、とても大切だと私は思うております。
「制御装置ありきのポジティブシンキング・プラス思考」が、理想的ではないかと、私は頂いております。
「脚下照顧」という、己を省みる制御装置を大切にしつつ、一歩踏み出すためのポジティブシンキングという塩梅で、上手に活用したいものです。
合掌