プラユキ・ナラテボーさんの本紹介|瞑想と仏教を優しく易しく学べる良著

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

プラユキ・ナラテボーさんのマインドフルネス瞑想会に参加させて頂いた話をしながら、関連する本も同時に幾つか紹介させて頂いております。
各話にて、私が話していることに関連している本を紹介することで、より理解を深めるきっかけになればと思い、色々と本を紹介させて頂きました。



私は、プラユキ・ナラテボーさんとの出会いは、本がきっかけです。

私自身は在家の仏教者、宗教者という自覚があり、勤行は浄土宗であるために、教義や思想は浄土仏教よりではあります。

ただ、そこは「フリースタイルな在家仏教者・仏教徒」という立ち位置から、原始仏教サイドにも興味を示しております。

そのような流れで、マインドフルネスや瞑想にも興味を持ち、プラユキ・ナラテボーさんの本や瞑想会参加という御縁を頂いたわけであります。



私も、プラユキ・ナラテボーさんの本を幾つか購読させて頂いておりますが、その中から改めて本に焦点を当てた話をしていくことと致します。

どれも、マインドフルネスなり瞑想の理解を深めつつ実践出来る本に仕上がっていると、私は味わいを頂いたもので御座います。

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プラユキ・ナラテボーさんの本1:自由に生きる

プラユキ・ナラテボーさんの本で紹介させて頂く一冊目は、
:自由に生きる・よき縁となし、よき縁となる。抜苦与楽の実践哲学
です。



この本は、題名そのものが秀逸であると、今の私は感じております。

「よき縁となし、よき縁となる。抜苦与楽」とは、まさにプラユキ・ナラテボーさんが言い続けられている、言うなれば「プラユキ仏教」の核心部分です。

先日、私が参加させて頂いたマインドフルネス瞑想でも、仏教座学の時間にて、このことを教えて下さいました。

「良き縁」については、「よき縁に触れ」が最初にあるですが、表題・タイトルの文字数の関係上でありましょうかね、付けられなかったのは。



現代社会では、抜苦与楽と良き縁どころか、苦を先に与えて相手の楽を奪い、悪縁となる輩も多々おります。

私が潜入探偵宜しく潜り込んだ自己啓発セミナーや、ネットビジネス系詐欺師なる我利我利亡者共が、その典型例であります。

特に、トレンドアフィリエイトコンサルタントというやつらは、ほぼ詐欺師か我利我利亡者です。

きゃつらのブログを観れば一発で見抜けます。



それはさておき。



「自由に生きる」という本は、プラユキ・ナラテボーさんの集大成的な本であるという味わいを頂いております。

「自由に生きる」では、過去のプラユキさんの本で語られた、なぜタイでお坊さんになられたのか、という経緯についても詳しく書かれております。

また、後ほど紹介致します「苦しまなくて、いいんだよ」にも書かれているタイでの瞑想実践で救われた人達の事例も紹介されております。



更に、臨床心理学に基づいた瞑想の効果についての対談や、私が教わった呼吸瞑想と手動瞑想も写真付きで詳しく書かれており、原始仏教教学と瞑想実践を易しく学べる仕上がりになっている本です。

言語学、特にソシュール言語学を学んだ人でしたら、「たかが言葉、されど言葉」で、言語哲学に触れる事が出来て、もしかしたらちょっと興奮気味になるやも知れません。

シニフィアンとシニフィエ、シーニュなど、関連するキーワード・専門用語も出て来ますからね。



瞑想とプラユキさんの仏教、原始仏教を総合的に学びたい人は、まずはこの本から読み進めるのがよろしいかと、私は考えております。
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プラユキ・ナラテボーさんの本2:脳と瞑想

プラユキ・ナラテボーさんの本で、紹介させて頂く二冊目は、
:脳と瞑想
です。

この「脳と瞑想」は、プラユキ・ナラテボーさんと、脳外科のドクターである篠浦伸禎さんとの対談本です。

私は、対談本は独特の臨場感を、活字から味わえると言う事で結構好きなジャンルであり、そういった色眼鏡もあって、二冊目に選んだと言う自覚は御座います。

尚、新書版でしたら、メンタリストのDaiGoさんが表紙になっております。



「脳と瞑想」では、大変有り難い事に、最初の50ページほどで、お二人が基本的な事をまずはレクチャーしてくれる項目を設けて下さっているところであります。

この辺りは、編集者の腕の見せ所でしょうが、編集者さんナイスジョブ、グッジョブってなもんです。



プラユキ・ナラテボーさんの担当されている箇所では、呼吸瞑想と歩行瞑想にも言及されていて、手動瞑想もわかりやすい写真解説が為されております。

そして、篠浦伸禎さんの項目では、覚醒下脳手術の報告と解説、脳の基本的な構造についての解説をして下さっています。



その後、お二人の対談編へと本が進んで行きますが、読み終わってから振り返ると、付箋を沢山貼り付けておりました。



プラユキ・ナラテボーさんが大切に教えて下さる「よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる」は、124ページに書かれております。

また、198ページには「七具足(しちぐそく)」について書かれており、その中の「我具足(がぐそく)」について解説して下さっています。

日本の仏教、特に禅宗で坐禅を習った人ならば、「え!?」と思われるかも知れません。

仏教、禅の教えでは、「我を無くす、無我の境地」という言い方で、仏教に触れた人もいらっしゃるでしょう。

私も、そのような触れ方をしたことはあります。



ここで肝要な事は、「調えられた自己・自我」の事であり、なんでもかんでも我を通す我を具す、と言う事ではありません。

この辺りの事を「健全な自我」という言葉を用いて、プラユキ・ナラテボーさんが解説して下さっています。
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プラユキ・ナラテボーさんの本3:苦しまなくて、いいんだよ

プラユキ・ナラテボーさんの本で、紹介させて頂く三冊目は、
:苦しまなくて、いいんだよ
です。



私は、これはアマゾンのKindleで購入して、電子書籍で手に入れております。

電子書籍版でしたら、確か1000円そこそこで手に入ったと記憶しております。

電子書籍版の表紙は、ヒビノケイコさんのイラストが描かれており、これがまたほんわかして可愛らしい。

私はこの雰囲気が好きだったり致します。



私は電子書籍版で手に入れてはおりますが、その後に製本化されております。

製本版の方が読みやすいと感じましたが、これは各々が読みやすい方を手に取られると良いでしょう。

私は、電子書籍版も遜色なく読ませていただけたけれども、製本版の方が良かったな、という感想を持っております。



肝心の中身についてですが、プラユキ・ナラテボーさんとタイで対談と瞑想実践をされた方々の、事例集といった内容です。

具体的な事例を紹介しつつ、プラユキ・ナラテボーさんによる、仏教の基本的な教義についても、同時に学べる仕上がりになっています。



例えば、このお堂(ブログ)でも、四諦八正道についてお伝えしましたが、その内容が書かれております。

参照:「八正道の意味と覚え方」



その他、「慈悲と智慧」「善友」「七善友法」について、「三帰依」「方の六徳」「布施」など、仏教が説く基本的な事柄についても、しっかりと抑えて下さっています。

「三帰依」や「布施」「慈悲と智慧」については、日本の仏教でも、たびたび説かれる事柄ですから、言葉だけでも聴いたことがある人も、いらっしゃるかと存じます。



瞑想の事例を学びながら、仏教の基本的な教えに出会い学べる一冊であると、私は味わいを頂いております。



「自由に生きる」が、集大成的な本だとすれば、「苦しまなくて、いいんだよ」は、仏教の基本を易しく学べる入門書と、私は勝手に位置づけております。

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指導的立ち位置にある人は必読:悟らなくたっていいじゃないか

プラユキ・ナラテボーさんの本は、その他にも幾つか読んでおります。

製本化されていない本で、現在は電子書籍にしか成っていない本に、「仕事に効く!仏教マネジメント」という電子書籍が御座います。





この電子書籍は、どの箇所から読んでもすらっと読み終えることが出来る、一話完結型です。

全部読んでも、それほど時間も取らないでしょうから、興味のある箇所から読み進められるとよいでしょう。

そして、最近読んだ対談本では、魚川祐司さんとプラユキ・ナラテボーさんとの対談本があります。

以前もお伝えした事がありますが、「悟らなくたって、いいじゃないか」と、なんとも挑戦的な題名です。

私は、若い僧侶の方から、「仏教は、悟るために修行をする、仏教の目標は悟る事」と教わったことがありますから、その僧侶が聞いたらなんと申されるか、と思うたものです。



この本は、私は指導的立ち位置にいる人、例えば学校の先生であったり、大学の教授であったり、コンサルタントをしている人達は読むべきでは無いか、という味わいを頂いております。



例えば、瞑想難民になってしまう人がいる背景に、瞑想指導者の在り方について、この本では言及されています。

本の中で、プラユキ・ナラテボーさんも失敗談として伝えられているのですが、指導者・指導的立場の人は、ついつい自分の考えが正しいと思い込み、悩んで助けを求めてきた人に、正論でまくし立てる事があります。

特に、なんちゃらビジネスのコンサルタントや、自己啓発系ビジネスの講師、自己啓発セミナーで「素直さが大切である」と宣ってる我利我利亡者や詐欺師には、多く観られる現象です。

奴らの言う「素直さ」は、「俺様に従って金を出せ」ですからね、究極的なところは。



コンサルタントや先生に限らず、指導的立ち位置にある人は、目の前の相手が苦しんでいる、ということに、まず目を向けるべき事であり、それは必須項目です。

現在は悲しい事に、これ自体全く出来ていない輩の、実に多い事か。

「よき縁に触れ、よき縁となし、よき縁となる」という軸があれば、このような事にもなりますまい。



そして、相手の苦しみをきちんと把握した上で、相手を「抜苦与楽」の導きを為す、これが指導的立ち位置にある人達の矜恃です。



更に、善き指導者となる事に通じる事として、「陰徳を為す」にも通じる事柄が、156ページに書かれております。

そこでは、プラユキさんが「私がやってやったんだ、という感じを出さないことに注意しなくてはならない」と、言及して下さっています。



これは、釈徹宗さんも仰る事にも通じます。

釈徹宗さんは「真宗の教えが、良いことをしていると思い上がるなよ、それは雑毒の善ではないのか、とささやきかけてくださる」という表現で、教えて下さっています。

浄土仏教にも「陰徳」に通じる教えがあり、浄土宗では「智者の振る舞いをせず」という法然上人の御言葉で、学びと味わいを頂けます。



人に知識を教えたり、知恵を授けたり、相談して貰える立場にいて指導的立ち位置にいると、どうしても「俺様が教えてやっているんだ」とふんぞり返りそうになります。

実際に、それで傲慢になってしまっている人達も、少なからずいるのが、娑婆世界の悲しいところです。

「コンサル生を稼がせたのは俺様が教えたからだ、稼げないのは出来の悪いコンサル生の自己責任」と、稼がせた自慢をブログで平然としている自称コンサルタントな我利我利亡者なる詐欺師は、その典型でありましょう。



指導者に大切な事は、「私がやってやっているんだ」という在り方ではなく、自分がズケズケと相手に入り込むのでは無く、一歩引く奥ゆかしさです。

そこで大切な事が、「我欲を出さない」という意味の「無我」と、そのような状態にならぬための智慧を持った自我を具する事、すなわち「我具足」です。



「悟らなくたって、いいじゃないか」の156ページからは、私はこのような学びと味わいを頂きました。

その他、この本も付箋を沢山使いまして、多々学べる事が御座います。



今回の話から、マインドフルネス瞑想とプラユキ・ナラテボーさんに興味を持たれたら、まずはこの中から一冊入られると宜しいかと存じ上げます。



尚、プラユキ・ナラテボーさんについては、こちらでもお伝えしております。

参照:「マインドフルネスと瞑想|プラユキ・ナラテボーさんの講座に行って来ました」

参照2:「歩行瞑想での気づき|瞑想難民にならぬプラユキ・ナラテボーさんの教え」

参照3:「マインドフルネス瞑想から自己啓発セミナーや詐欺に騙されない智慧が学べます」



マインドフルネスや瞑想が習慣と成り、よき縁となれる智慧を育まれる一助となりましたら、大変嬉しゅう御座います。



合掌

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