お彼岸の墓参りとお供えのおはぎ

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

お彼岸と言えば、日本では墓参りの風習と、お供え物としておはぎ・ぼたもちを用意する習わしが御座います。
251284 このようなお彼岸のエトス(行為様式・風習)は、日本独特で海外では観られない習わしです。

先祖供養との結びつきは、玄侑宗久さんの本によれば、中国でもあったらしいのですが、具体的なエトスとして伝承していったのは、日本独特だそうですよ。



私は、このお彼岸に墓参りとお供えをさせて頂くというエトスが、今日まで伝承されている事に、感謝の意味も含めた有り難さと趣の深さを感じる次第で御座います。

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お彼岸に墓参りをする由来

お彼岸に墓参りをするという風習の意味や由来は、実は私も色々と調べ回った時期も御座いますが、どうもはっきりとわかりません。



日本におけるお彼岸、彼岸会の始まりは、以前話しました通り、806年に7日間かけて「金剛般若経」を読み上げる、ということが由来です。

このことは、日本書紀に書かれていることから、歴史が隙で詳しい人ならば、ご存じの話やもしれませんね。



由来はわかるのですが、それがどのような経緯で祖霊信仰と結びつき、先祖供養という現在の形に変遷していったのかまでは、確実な事を申し上げかねます。

浄土宗の檀家である私は、ご先祖様が南無阿弥陀仏のお念仏にて、西方極楽浄土への往生に往生され、中日にその事を思い供養するというのが、お彼岸かな、と思うておったり致します。



申し訳ありません、ふがいないことでして。



ただ、日本には元々自然やご先祖様に対する畏怖の念、先祖供養や自然を崇めるパトス(精神性)があったであろう事は、歴史や宗教観からも感じ取れるのではないでしょうか。

神仏習合時代には、自然に対して祟りだのなんだのと言って恐れおののき、畏怖の念から色々な儀式やエトス(行為様式)もありますからね。

現代にも、その名残が連綿と続いている有り様(ありよう)を、様々な仏事や神事に観る事が出来ます。



そもそもとして、以前も申し上げましたとおり、お彼岸には元々先祖の追善供養という意味はありませんでした。

お彼岸に墓参りをするという行為も、なされなかったわけです。

お彼岸は「到彼岸」であり、迷いの此岸から悟りの彼岸へ到達するという意味・概念でしかなかったわけですから、墓参りとは関連がなかったのです。



それが、お彼岸という概念がさすらううちに、日本で祖霊信仰・先祖供養や自然への畏怖の念が混ざり合い、いつしか「お彼岸には墓参りを」とさすらってきた、ということです。
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お彼岸に墓参りをするエトスは有り難いし大切なエトスだと思う

私は、日本にお彼岸の風習、お彼岸に墓参りやおはぎのお供えをすると言ったエトス(行為様式・風習)があって、大変有り難く尊いことである、と味わい頂いております。

特に現代社会では、ご先祖様の事を思う機会となるであろう、仏間や仏壇がある家も、減ってきているという話を見聞き致します。

先日も、家にお仏壇なんか要らない、という若い人がいらっしゃるという事を、別宗派のご門徒さんから伺ったばかりで、身近に感じる機会も御座いました。



そのような現代社会において、お彼岸に墓参りをするというエトスは、ご先祖様との接点であり、ご先祖様への感謝をする大変貴重で、尚且つ有り難い機会ではないかと、私は思うのです。



ご先祖様というご縁があるからこそ、今の私たちが存在している事に、手を合わせて感謝申し上げる。



ご縁・縁起とは、私達人間の頭脳、人智の及ばぬ事であり、その人智の及ばぬご縁によって、私達が降誕し、活かされていると言う事に、合掌する機会が、お彼岸だと私は頂いております。

そう思うと、お彼岸は謙虚にさせて頂ける、感謝の念を墓参りやおはぎ・ぼたもちをお供えするというエトス(行為様式)にて、形にさせて頂ける、大変有り難い機会ではなかろうか、私はそのように思います。
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お彼岸で墓参りのお供えにおはぎ・ぼたもちを

お彼岸に墓参りをする時に、お供えに花とおはぎ・ぼたもちを持参される人も多いでしょう。

私も、家族で菩提寺までお墓参りに行く際、仏花とおはぎ・ぼたもちを持参致します。

本当は、自作するか、出来れば丹波屋など専門のお店でおはぎを購入したいのですが、最近は近所のスーパーの出来合い物で済ませております。



まあ、どのおはぎ・ぼたもちをお彼岸の墓参りに持って行かれるかは、各々のご家庭事情とお財布事情にお任せすると致しまして。



お彼岸のお供え物と言えば、おはぎ・ぼたもちが定番ですね。

では、なぜ、おはぎ・ぼたもちなんでしょう?

そもそも、「おはぎ」とぼたもち」は、どう違うのでしょうか?



結論から申し上げますと、「おはぎ」「ぼたもち」も、物は一緒です。

素材は砂糖と小豆と餅で、呼び名が違うのは、春分の日(春のお彼岸)は牡丹、秋分の日(秋のお彼岸)は萩という植物を当てた名前である、というだけです。

同じお供え物でも、季節によって呼び名を変える辺り、私は日本の風流や趣を感じます。



そういえば、秋のお彼岸のお供えには粒あんのおはぎ、春のお彼岸のお供えには漉し餡のぼたもち、という話もあったことを、今思い出しました。

これは、秋は収穫したばかりの小豆をそのまま粒あんにして頂くという意味があり、春は冬を越して硬くなってしまった小豆を、こして漉し餡にして頂く、という生活の智慧によります。

餅を漉し餡で包んで頂くというのは、ぼたもちより先に、私は伊勢名物赤福を連想してしまうのですがね。



ここで少し、「おはぎ」の萩について豆知識をば。



萩に関連する話で、「秋の七草」をご存じでしょうか?

七草は春だけではなく、秋にも御座います。



秋の七草は、
:萩・尾花(すすきの事です)・葛・撫子・女郎花(おみなえし)・藤袴・桔梗(ききょう)
です。



この秋の七草には、覚えやすい覚え方があるんですよ。

「万葉集」をご存じでしたら、山上憶良という人物の和歌を、ご存じかもしれませんね。

山上憶良という人が歌った和歌の一首に、
「萩の花、尾花 葛花 撫子の花、女郎花また藤袴朝貌の花」
というのが御座います。

最後の「朝顔の花」は、桔梗の事です。(諸説あり)



この事を思えば、秋にはやはり「おはぎ」という呼び名で、お供えのおはぎをお下がりとして頂くのが、風流な気が致します。
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お彼岸に墓参りをした後、お供えのおはぎについて

ここで、お彼岸に墓参りをした後、墓参りの際にお供えしたおはぎの行方について、注意点と言いますか、共に考えたい事をお伝え致します。



お彼岸で菩提寺に行き、墓参りをする際、買って来たりこしらえたおはぎ・ぼたもちを墓前にお供えすると思われます。



その際、放置して帰らずに、お供えのおはぎは必ず持ち帰りましょう。



現代風に言うと「この後、スタッフが美味しく頂きました。」といったところです。

この場合は、「この後、子孫が、家族が美味しく頂きました。」ってなもんです。



これには、二つの大切な意味が御座います。



一つは、菩提寺・墓地への配慮です。



食べ物を野ざらしにしていたら、腐ったりカビが生えたりして、後々面倒な事になります。

その前に、菩提寺の方が何とかして下さるかもしれませんけれども、その手間をかけさせるのも忍びないと私は思うのです。



また、おはぎを墓前にお供えしておくと、猫や鳥などの動物が食べに来る事があります。

現在は、その辺りぬかりない墓地や菩提寺もあるかもしれませんが、そのような菩提寺や墓地ばかりではありません。

動物が食い散らかして、あまつさえ排泄されてしまっては、たまったものではないというのは、想像して頂けるのではないでしょうか。



私もお彼岸などで菩提寺に墓参りに行ったとき、今は殆ど見かけませんが、以前はおはぎが置きっ放しになっていたお墓も見かけたことがあったものです。

「ご先祖様に、ゆっくりとお供えのおはぎを味わって頂きたい。」という思いから、おはぎをずっと置いておきたい気持ちは、わからないでもありません。

いや、むしろ私はその気持ちは、とても尊いとさえ思います。

しかし、お供えのおはぎが腐ったり、動物が食べて、最悪の場合はそこで動物が排泄したりと言う現実的な問題を割けるために、やはりお供えのおはぎはお持ち帰り頂くのが望ましいでしょう。



もう一つの大切な意味というのは、
:お下がりを頂く
というエトス(行為様式)を、体験することです。



私は、毎日の食前はもちろんの事、何かしらお土産などを頂いた場合、まずは仏壇にお供えさせて頂き、その後でお下がりを頂くようにしております。

食べ物以外でも、私は金銭・財を賜った時も、一端仏様、阿弥陀仏にお供えさせて頂いてから、そのお下がりを賜るというエトスを続けております。



現在は、仏壇の無い家、あるいは仏事がないと滅多に仏壇を開かない家もあるのではないでしょうか。

そのような場合、必然的に「ご先祖様にお供えして、先に味わって頂き、お下がりを頂く」というエトスを体験する機会が殆ど失われているのではないかと、私には思えるのです。



お彼岸に墓参りに行った時、お供えのおはぎをお供えした後、そのおはぎを感謝して頂くと言う事は、お下がりを頂くというエトス(行為様式)を体験する貴重な機会だと、私は考えております。

その際に、「ご先祖様のご縁があるからこそ、こうして食べ物を頂ける事に、感謝致します」という、奥ゆかしき謙虚な心を持って、頂く。

このエトス(行為様式)が、謙虚な心や奥ゆかしさというパトス(精神性)を育んでいくと、私は思うております。



願わくは、お子さんがいらっしゃるご家庭においては、その姿をお彼岸の墓参りの際に、お子さん方にも観て学んで頂ければと、思う次第で御座います。



今回の話は、こちらの知識も学んで頂くと、よりお彼岸を大切に過ごして頂けるのではないかと存じ上げます。

参照1:「お彼岸の意味と仏教」

参照2:「お彼岸の時期とまつわる話|2016年秋分の日編」



お彼岸にまつわるエトス(行為様式・風習)は、継承していきたいと思う今日この頃に御座います。



合掌

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