お彼岸の時期とまつわる話|2016年秋分の日編

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

前回は、お彼岸について意味と由来、浄土仏教の話をさせて頂きました。
259127 お彼岸と言うと、やはり現代では「お彼岸=墓参り」という印象が根強いのではないかと存じます。

お盆が終われば、十五夜の月と秋のお彼岸と、風流を感じる季節がやってきますね。



お彼岸と言えば、毎年春分の日と秋分の日はいつなのか、お彼岸の時期が気になるところであります。

この表題で話をしているのが、2016年の7月ですから、2016年秋のお彼岸の時期、秋分の日をお伝えしつつ、何故お彼岸が秋分の日と春分の日なのかも、仏教の話と共にお伝え致しましょう。

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お彼岸の時期:2016年秋分の日(中日)と彼岸入りと彼岸明けをさらっと

2016年のお彼岸の時期、秋分の日については、探せば至る所で見つかりますから、このお堂(ブログ)ではさらっとだけ紹介させて頂きます。



2016年の秋分の日は、
:2016年9月22日(木)
です。

この日は「中日(ちゅうにち)」と呼ばれており、この中日・秋分の日を中心として前後3日間が、お彼岸の時期です。

中日(ちゅうにち)と言うと、プロ野球チームのドラゴンズを連想する人もいらっしゃりそうですね。

「ちゅうにち」と聞いて、お彼岸・秋分の日と春分の日を連想するか、野球を連想するかで、その人の趣味や偏りが見え隠れするやもしれません。



秋のお彼岸最初の日は「彼岸入り」と呼ばれ、
:2016年9月19日(月)
です。

秋のお彼岸最後の日は「彼岸明け」と呼ばれ、
:2016年9月25日(日)です。



2016年のお彼岸の時期は、以上です。

本当に、さらっとだけでしたね。
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お彼岸の時期について仏教の話

お彼岸の時期について、2016年の中日・秋分の日だけ紹介するのは、味気ないと思われる方もいらっしゃるでしょうから、ここから在家仏教者による仏教の話です。

私の備忘録という意味も込めて。



お彼岸の時期は、現代では当たり前のように「春分の日と秋分の日を中日として、前後3日を加えて7日間」という認識がなされていますね。

では、何故わざわざ春分・秋分の日を中日として、そのような時期・日程にしたのか、という話です。



元々、仏教においてお彼岸とは「到彼岸」の事であり、此岸から彼岸へ到る事を言う言葉と概念です。

それが時代と場所をさすらう内に、その土地の土着宗教なり元々あった宗教・信仰と結びつき、今の形になりました。

日本では「お彼岸の時期は墓参りをする時期」となったのは、そのような流れとさすらいがあったためです。



先祖供養との結びつきは、中国に仏教やお彼岸・到彼岸の概念が渡った時にすでにあり、そこから具体的行為様式、つまりエトスとして今日にまで伝えているのが日本です。

そして、この秋分の日と春分の日を中日とする、この日をお彼岸の時期とするのも、中国で既になされていたと考えられます。



このことについては、臨済宗の禅僧である玄侑宗久さんの本「さすらいの仏教語」で学ばせて頂きました。

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玄侑宗久さんは、老荘思想や儒教なども学ばれて、科学的な事柄についても非常に博識な方であると感じる禅僧です。



この本で学んだ事によると、春分と秋分の日が中日であり、お彼岸の時期として選ばれた事には陰陽思想の影響がある、とのことです。

確かに、太陽と月がみえる時間が半々になるという事は、昼と夜、陰と陽が相半ばするという見方も出来ます。

陰陽思想と親和性が高い時期ですね、春分の日と秋分の日って。



そうして、中国で先祖供養とも結びついて、それが日本に伝わったときに、以前話した806年の彼岸会から日本では神仏習合時代の仏教とも関わっていきます。

この時から、日本では春分の日と秋分の日を中日として、1週間・7日間をお彼岸の時期として、現代にまで伝わっているのは前回話した通りです。

先祖供養が墓参りというエトス(行為様式)として伝わっているのは、やはり当時の日本の宗教なり信仰と親和性が高かったからでしょう。

自然への畏怖の念や、祟りを恐れたり例を恐れ崇めるという風習なり宗教観があった日本の歴史を考えると、今のエトスに結びつくのも頷ける気がします。



お彼岸の時期は、我々の宗教観、自然や祖霊への畏怖の歴史を顧みる良き時期のように、私は味わい頂く次第であります。
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お彼岸の時期と念仏

お彼岸の時期というと、中日、つまり秋分の日と春分の日に、真東から太陽が昇って、真西に沈むという現象を連想致します。

この中日は、昼と夜の時間が丁度半々になると言う事で、陰陽思想とも親和性が高いと上で申し上げました。



そして、この「真西に沈む太陽の彼方」「西方極楽浄土」を連想致しまして、善導大師の観想念仏を思い起こさせて頂ける事柄でも御座います。

浄土宗の高祖であり、日本の浄土仏教において外せない善導大師の話は、お彼岸において外せない高僧であられます。

お彼岸、つまり「到彼岸」の方法として、「仏説観無量寿経」では「日想観」を勧める話が出て来ます。

それを踏まえて、善導大師は真西に沈む太陽の彼方にあるとされる西方極楽浄土を観想する、という観想念仏を勧められています。



現在でしたら、科学的・医学的に目を痛める要因になりますから、おいそれとお勧めは出来ませんけれども。

でも、肉眼で眺められる暗いになった夕焼けに、極楽浄土を観想するに到る情緒や宗教観も、なんだか頷けます。

なんでしょうかね、あの独特の、ぼんやりとした西に沈み行く太陽の情景の、なんとも風流な感じは、なかなか言語化出来ませんが、とにかく風流な趣を感じるものであります。



この善導大師による、春分と秋分の日・中日に日想観という観想念仏が、やがて日本で法然上人の称名念仏・苦笑念仏や先祖供養の文化や信仰とお彼岸が結びつき、あれよあれよとさすらって現在の形に到ります。



現在は、浄土宗のウェブサイトでも、お彼岸にはお念仏で彼岸に渡ることを説いて下さっています。

私のような念仏者、浄土宗の檀家である在家仏教者にとっては、お彼岸はお念仏を改めて称えさせて頂く、そのような念仏会という彼岸会ではなかろうか、そのように私は味わい頂いております。
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お彼岸の時期の小話

お彼岸について、仏教、とりわけ浄土教・浄土仏教に関わる話を致しました。

結構お堅い話を続けてきた気が致しますがゆえに、少し小話と言いますか、呼び知識的な話を最後にお持ち帰り頂こうかと思います。



現代は、春分の日を過ぎても寒かったり、秋分の日を過ぎても日中はやたら暑い日も御座います。

それゆえに、全然そんな事を感じないと思われる人もいらっしゃるかとは思いますが、お彼岸に関する言葉で、このような言葉があることをご存じでしょうか。



「暑さ寒さも彼岸まで」



秋分の日を過ぎると、徐々に涼しくなっていき、やがて秋が深まり冬に向かう、という事を言い表した言葉です。

まあ、秋が来るとゆっくり感じる間もなく冬になったり、最近は5月でも30度を超える日が連続するような気候ですから、なかなかこの言葉を実感出来ないかも知れませんが。



この「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる気候は、丁度お彼岸は農作業の事始めと収穫の時期と重なります。

それゆえ、先祖供養と共に、五穀豊穣への祈願や、収穫を感謝し祝う神事も行われていたといいます。



言われてみれば、確かに春が近づいてくる事をそろそろ意識し始める春分の日は、新芽が芽吹いてくる時期とも重なります。

また、秋分の日辺りの時期は実りの季節であり、収穫の時期とも重なりますね。

そうした自然界の恵みに対して、畏怖の念や感謝の気持ちを、お彼岸に何らかの儀式によって表すというのは、謙虚な姿勢でもあるような、そんな味わいと趣を感じます。



今回の話は、お彼岸の意味について基礎知識と共に読んで頂きますと、より深まるかと思います。

参照1:「お彼岸の意味と仏教」

参照2:「お彼岸の墓参りとお供えのおはぎ」

お彼岸の時期を過ごされる際に、より深い趣を味わって頂く一助となりましたら、大変嬉しゅう御座います。



合掌

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