お盆とは何か?意味を盂蘭盆経から学ぶ

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

7月になると、夏休みを心待ちにしている子供達が、テスト期間を終えてから更にそわそわし出す頃合いでしょうか。
480825 企業で働いている人で、カレンダー通りの仕事に従事されている方ならば、お盆休みが待ち遠しくなる季節かもしれませんね。

現在は何となくお盆は「お盆休みの時期」「お盆で休みになる期間」くらいにしか、認識が成されていないような、そんな事を考える次第であります。



お盆の季節は、カレンダー通りの企業とは逆で、お坊さんが忙しくなる時期でもありますね。

私の実家でも、毎年菩提寺の和尚さんが、暑い中で盂蘭盆法要をするために来て下さっています。

お盆の季節はお盆休みだけではなく、仏教徒ならば「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の準備をそろそろ考える頃合いだ、と思う時期であります。

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そもそもお盆とは何かを仏教からきちんと学んでみましょう

私の実家では、家に仏壇があって毎年お盆の季節、盂蘭盆会の期間中は、お盆飾りを仏壇の前にお供えさせて頂いております。

毎年このお盆飾りをお供えして眺めておると、仏教的な感覚・感性なり風流を感じるものであります。



あなたのご自宅にも仏壇があるなら、毎年お盆の期間には、茄子や胡瓜に割り箸を刺してお盆飾りのお供えをされているかもしれませんね。

もちろん、地域や宗派によっては違いがありますし、浄土真宗では特別なお供え飾りをしないエトス(行為様式・風習)がありますから、各々のご家庭事情で違ってはくるでしょう。

浄土真宗でもお盆の季節には「盂蘭盆法要」がありますから、全く無関係の仏教行事・仏事ではないそうですが、特別な飾りをするという風習はないそうです。

真宗・浄土真宗のお坊さんの話によれば、仏花をお供えしたり、小さな餅や果物をお供えすると教えて下さっています。



現在ではだいぶとお盆、盂蘭盆会にお供え物をしたりといった風習が薄れてきている気がします。

それでもまだまだ続いているこの風習を大切にしたいという人が、私以外にも多いだろうと思いたいところであります。



ただ、お盆を若い世代に伝えていくためには、やはり「そもそもお盆とは何ぞや?」を、伝える側が学んでおく必要があります。

あなたは子供達や若い世代、お盆を知らない人に「お盆とは何?」「お盆って、なんで胡瓜と茄子を飾るの?」と聞かれて、即座に、そして正確に答えることが出来るでしょうか?



今回は、そもそもお盆とは何かを、仏教の由来や元になっている仏教の「盂蘭盆経」から学ぶ事に致しましょう。
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お盆の由来となる話「盂蘭盆経」

お盆は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」とも言われる仏事です。



仏事ではありますが、祖霊信仰との融合であるという事を考えると、その他の宗教要素もありますけれども、現在では仏事という認識が広く成されておりますね。

盂蘭盆会は「精霊会(しょうりょうえ)」とも言われ、
:祖霊を送り迎えし、供養する
という意味がある仏教行事です。



その元となった話が「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」という、偽経と呼ばれるものであります。

ここでいう「偽経」とは、偽物という意味ではなく、あくまで仏教経典の分類上、そう呼んでいるという話です。



盂蘭盆会の話は、要約するとこんな感じです。

「釈尊(お釈迦様・ゴーダマブッダ)」の弟子、目連尊者の母親が、餓鬼道に堕ちて苦しんでいました。

母親を何とか救いたいという目連尊者は釈尊に相談すると、布施行をすることを勧められます。

そこで目連尊者は、安居の時期、夏の修行最後の日である7月15日に、僧侶達に食べ物を布施しました。

そうしたら、母親が救われました。」

このような話です。



盂蘭盆会の時期に「施餓鬼会」「施餓鬼」という言葉を聞くことがあるのは、こうした仏教の話に由来することにあります。

察しの良い人か日本の風習に詳しい人なら、7月15日と日本の、特に企業がよくやる風習を思い出されるかも知れませんね。



そうです「お中元」です。



毎年7月15日の少し前辺りから、お中元を贈る風習とも関連があるのです。

最近は「お中元は無駄だ」「お中元に贈り物をする風習は意味が無い」と言って、辞めてしまったり否定的な意見を、最近では特に見聞きするものです。

でも私は、仏教徒という事もありますが、こういった風習は、お互い布施しあう方便にもなり得るし、ご縁を感じ会う良いエトス(行為様式・風習)だと思うようになってます。

無駄だと切り捨てるのは簡単でしょうけれども、完全に無くなってしまうと、なんだか寂しさを感じます。
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お盆とは盂蘭盆経から祖霊・ご先祖様との縁を大切にする期間だと思う

盂蘭盆経から学ぶ「お盆とは何か」については、幾つか学べる事があります。

まず、子供達に聞かれたら、上で話た「お盆の由来」について、伝える事は出来るようになりましたね。



また、「盂蘭盆経」では、目連尊者が亡き母親への供養なり救いのために布施をした、と言う事からも、学べる事があります。

亡き人への供養という追善供養から、
:祖霊を敬いご縁に感謝申し上げる
という意味、文脈がある事も読み取れます。

その事から、お盆には「ご先祖様への有難うを形してお参りするのが、お盆だよ。」という伝え方も、子供達に出来ます。



もちろんこれはあくまで一例ですし、宗派によってはお盆に対する教義は各々違いますから、ご自分の宗派に準じた伝え方を心がけて頂ければ良いと思います。

ただ、祖霊を敬い、ご先祖様のご縁があるからこそ、今の自分がいると言う事を教える事は、私は大切に伝えていきたい文化であると考えてはおりますがね。



科学技術が発達して、宗教的な色が景色からも薄らいでいく現代日本では、祖霊信仰という概念も薄まっている気がします。

それゆえに、ご先祖様との繋がりや数多のご縁に対しても、つながりを感じにくくなっているような、そんな感覚さえ私には御座います。

非科学的で非合理ではあるでしょうが、お盆、盂蘭盆会のエトス(行為様式)や由来を盂蘭盆経から学び実践し、伝える。

その事が、祖霊信仰とまではいかなくても、ご先祖様との繋がりに感謝申し上げる大切な機会ではないか、私はそのようにお盆を、盂蘭盆会の季節なり期間を頂いております。
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お盆に「盂蘭盆経」を改めて紐解いて、現代社会で生きる智慧とする

「盂蘭盆経」からは、お盆の由来や意味を学ぶと共に、教訓も学ぶ事が出来ます。



盂蘭盆経では、目連尊者という優秀な釈尊のお弟子さんであり、能力も高い僧侶であられる方ですが、その母親は餓鬼道に堕ちてしまっています。

最終的に、目連尊者の布施行によって救われるわけですが、母親が餓鬼道に陥った理由は、物語を知らずとも察しが付く人もいらっしゃるのではないでしょうか。



目連尊者の母親は、目連尊者を可愛がってはいましたが、我が子のためならば、例え物資や財に余裕があっても、人々に施すという事をしませんでした。

親子愛、息子に対する愛が執着の愛となり、仏教が戒める煩悩「三毒」「貪欲(とんよく)」に浸食されていたわけです。

ゆえに、現世を離れた後に餓鬼道に堕ちてしまった、ということです。



母親の心理としては、我が子優先したい事は分かる話ですし、母親としての経験がある人は「何が悪いの?」と思う事もあるでしょう。

子煩悩という言葉もある位ですし、子供を大切にするあまりに生まれる煩悩は、私も決して悪だなんて決めつけられません。



でも、親子愛がやがて執着になり、「我先に、我が子こそ先に」という気持ちが、時としてどのように変貌するか、その事を目連尊者の母親は教えてくれています。

盂蘭盆経は、子供を思う気持ちと煩悩のバランスをどうとるかの大切さを、教えてくれている気がするのです。



そのことを見逃さず、向き合われた坊守さんに、鈴木章子さんという方がいらっしゃいます。

現在はガンによってすでに他界されていますが、本を残されています。

私は、真宗大谷派のお坊さんからこの本を紹介して頂き、購入させて頂きました。

この本の「卓球」という項目(202P)に、今回私が話させて頂いた、目連尊者の母親の話に関わる話を記して下さっています。

人の親ではない私が偉そうに宣うよりも、鈴木章子さんの言葉を熟読・熟考して頂く方が響く人もいらっしゃるでしょうから、ここに掲載させて頂きます。



お盆を「盂蘭盆経」から、お盆とは何かという由来や意味を学ぶと共に、何故「施餓鬼会」という呼び名もあるのか、考えるきっかけになれば、そのように思う今日この頃です。

仏教の経典や物語というのは、学ぶべき事が本当に多々あると、改めて頂く次第であります。



尚、お盆の期間はいつか、という事については、こちらでお伝えしております。

参照:「お盆の期間はいつ?という問いに答える月遅れや新盆の話」

参照:「お盆の情報まとめ」

合わせてお読み頂くと、より理解が深まり、地域性やエトス(行為様式)の違いを味わう事が出来ると思うております。



合掌

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