お盆にお供えや迎え火と送り火をしない理由|浄土真宗の話

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

8月の中頃と言えば、お盆(盂蘭盆会・施餓鬼会)と言った仏事が御座います。
478471 お盆・盂蘭盆会につきましては、このお堂(ブログ)でも何度かお伝えさせて頂き、その意味や由来について話をさせて頂いております。



お盆休み期間中に、どのように過ごされるかは、各々のスタイルにお任せ致すところでありますが、菩提寺へ墓参りへ行かれたり、仏壇にお供え物をお供えするご家庭も御座いますでしょう。

地域や宗派によっては、迎え火と送り火を焚く・焚かないの違いはあるかと思いますが、各々のお盆の過ごし方があるかと存じます。

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お盆にお供えや迎え火と送り火というエトスと真宗・浄土真宗

私は、浄土宗の檀家という事で、お盆も浄土宗のエトス(行為様式・風習)に則って、毎年過ごさせて頂いております。

菩提寺のご住職・お坊さんに、ご都合の良い日程でお越し頂き、御経を上げて頂いたりと、そのように時を過ごすわけです。

ちなみに、浄土宗ではお坊さんの事を「おっさん」と呼びます。

「おじさん、おっちゃん」という意味ではありませんが、そういう呼び名の風習がない人が見聞きされると、「和尚さんになんという無礼な事を!」と思われる事もあるそうな。



うちは浄土宗のエトスに則った過ごし方をすると、以前もお話し致しましたが、
:真宗・浄土真宗のお盆(盂蘭盆会・盂蘭盆法要)
についても少しだけ触れた事が御座います。

その中で、真宗・浄土真宗の「お盆期間の過ごし方やエトス(お供えや送り火・迎え火など)」についても、機会があればお坊さんに尋ねておくとも、お話し致しました。

そして、有り難い事に、先日西本願寺の御法話を聴聞させて頂いた時に、浄土真宗のお盆について、教えて頂く機会が御座いました。



この投稿をさせて頂いている時期・タイミングは、丁度お盆が近い日という事もありまして、特に真宗門徒さんには役立てて頂けるかと存じます。
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お盆の元である盂蘭盆経と施餓鬼・施餓鬼会の意味はこのような味わい方も

お盆は「施餓鬼・施餓鬼会」とも呼ばれ、このことは「盂蘭盆経」に由来するという話は、以前にお伝えしております。

参照:「お盆とは何か?意味を盂蘭盆経から学ぶ」



「盂蘭盆経」では、釈尊(ゴーダマ・ブッダ)の弟子である、神通第一と呼ばれた木蓮尊者の亡き母親が、餓鬼道に堕ちられているという話が展開されます。

その中で、亡き母を餓鬼道から救うべく、木蓮尊者は釈尊にご指導賜り、安居の最終日である7月15日に、修行僧達へ食べ物などを布施するという話でしたね。

ここでは、確かに「亡き母を思う気持ち」という味わい・頂き方が御座います。

祖霊信仰のある日本では、このような頂き方も、もちろんなされるのは頷けますし、これはこれで尊い事であると私は頂いております。



その一方で、確かにご先祖様や亡き人を敬うという気持ちはあるけれども、盂蘭盆経における木蓮尊者による布施の行い、施餓鬼の行いは世間への働きも御座います。

当時のインドでは、雨季は托鉢に出かける事が出来ず、安居の期間として借り物の屋根に留まっている時期とされております。

当然、托鉢をしませんから、ひもじい思いをしたりと、そのような事もあったそうです。

それゆえに、安居の時期や安居の最終日辺りで、食べ物などを布施して頂ければ、修行僧達にとっては大変有り難い事であったでしょう。



そうする事によって、修行僧達が安居の後に英気を養い、仏法を広める事が出来ます。

そうすれば、仏法が広まる事によって、救われる人々も広がって行きます。

それはすなわち、世間に布施したという事にも繋がり、布施をした木蓮尊者の功徳・御利益にもなり、その功徳によって母親も救われる、という事に繋がって行きます。



このような見方・頂き方をすれば、また違った味わいがあるとは思われませんか?

お盆・盂蘭盆会は、世間のために働きかけること、布施行を思い実践する事、そのような時期であるという味わい方も御座います。
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お盆にお供えや盆提灯などで迎え火・送り火をするエトスと仏教の盂蘭盆経の関わり

お盆には、現在は「施餓鬼・施餓鬼会」という呼び名があり、盂蘭盆会という言い方も「盂蘭盆経」に由来する、という話を致しました。



そして現在は、真宗・浄土真宗以外で、家の宗教が仏教である場合、大抵はお供えを仏壇にお供えしたり、盆提灯を飾って迎え火と送り火を焚く風習が続いております。

実はこれは、そもそもが土着宗教・土着信仰や祖霊信仰と入り交じって、ごっちゃになったからであると、浄土真宗本願寺派のお坊さんから教わりました。



仏教が日本に伝来する以前の日本にあった宗教と言えば、神道や自然崇拝などがあります。

仏教とそれら日本古来の宗教・信仰においては、「人が亡くなる事は穢れである」という信仰があったものです。

その事は、今も地域によっては続いている葬儀のエトス(行為様式・風習)に観られます。



例えば、神棚がお祭りされているご家庭において、葬儀中や一定期間は、神棚に白い布をかぶせる風習があります。

これは「神棚封じ」と呼ばれる風習で、汚れが神棚に入らないようにするという意味が込められております。



また、お棺(棺桶)をぐるぐる回す、という風習もあります。

これは、お棺を回すことによって、亡き人の目を回してふらふらとさせて、方向を分からなくして帰って来る事が出来なくするという意味があります。

仏教者であり、他界を穢れだとは思わないパトス(精神性)を持つ私としては、「なってこったい」と思うようなエトスだと感じております。

だって、身内との別れを惜しみ、悲しみに暮れる事もあるでしょうに、一方では亡き人が帰ってこられないように目を回すような事をするだなんて。

それ程までに、他界すると言う事は汚れであるという信仰や精神性を持っていた時代があったのだなあ、と、感じる話で御座います。



それが、時代を経て仏教が伝来し、祖霊信仰や仏教の偽経・盂蘭盆経が混ざり合い、ごっちゃになって今のお盆・盂蘭盆会の形となっていきました、と、和尚さんに教えて頂きました。
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真宗・浄土真宗がお盆に特別なお供えや迎え火・送り火をしない理由

真宗・浄土真宗では、お盆に他宗派のようなお盆・盂蘭盆会のエトス(行為様式・風習)はありません。

真宗・浄土真宗の盂蘭盆法要は、祖霊を迎え火と送り火や、盆提灯などで送り向かいをするという事ではなく、御恩報謝のためのエトス(行為様式・儀式風習)です。



そもそもとして真宗・浄土真宗においては、占いや迷信といった類いのものは信仰の対象とはしておりません。

このことは、「拝読浄土真宗のみ教え」に書いてありますし、各々の浄土真宗の解説書にも記されております。

私は、真宗・浄土真宗におけるお盆の過ごし方や盂蘭盆法要の意味を教えて下さった、山口教区の真宗僧侶からも、そのように教えて頂きました。



真宗・浄土真宗が、何故お盆に特別なお供えや迎え火と送り火を焚かないのか、それは真宗・浄土真宗における浄土往生の教義を読み解けば、みえてきます。



真宗・浄土真宗の浄土往生は、初七日や四十九日に閻魔大王に裁定される、という段階を踏みません。



浄土真宗における浄土往生は、
「臨終まつことなし、来迎たのむことなし」
という、親鸞聖人の御文章(御文)に則ります。



そして、その阿弥陀如来による浄土往生のお導きは、臨終の際、パチンと指を鳴らした瞬間と言う程の合間に、浄土に往生する、というお導きであるというのが、真宗・浄土真宗の教えです。

ゆえに、あの世で裁判を経たり、四十九日も右往左往したりすることなく、臨終の瞬間に浄土へ往生出来る、ということですから、臨終してから迷ったりすることがありません。



また、それを踏まえた上で、極楽や地獄から、祖霊がお盆の時だけ都合良く帰ってくると言う在り方も御座いません。

そもそもとして、一定期間だけ祖霊が娑婆世界の都合に合わせて、帰って来たり浄土へまた戻ったりと、そのような事は人間の勝手な都合によるものや、土着信仰とごっちゃになったという事情があります。

臨終即往生の働きが、阿弥陀如来の尊く有り難い働きであるのに、自分都合で「ちょっとお盆だけ帰るか。」なんて事は、ないということです。



浄土教・浄土仏教は、どこまでも自分都合から離れられない己を照らして下さる教えゆえに、その辺りの自分都合で祖霊や迷信に頼る事には、厳しい思想なり教義になるのは頷ける気がします。



そういうことで、真宗・浄土真宗のお盆・盂蘭盆会の過ごし方は、御恩報謝・感謝申し上げる事はあっても、自分達の都合良くご先祖の在り方を捉えないという事もあり、お供えや迎え火・送り火のエトスが無い、との事です。
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どのお盆の過ごし方やエトスが良いとか悪いとか、の話ではない

今回は、真宗・浄土真宗のお坊さんから伺った、浄土真宗におけるお盆についてお伝え致しました。



色々と話を展開してきましたが、どのお盆の過ごし方や、盂蘭盆会の法要の仕方が良いのか、という話ではありませんから、ご注意を。



私は、土着信仰とこんがらがったという経緯を経て、今のお盆・盂蘭盆会の形となったこのエトス(行為様式・風習)も尊いと感じております。

そのような経緯があったからこそ、祖霊・ご先祖様を敬うパトス(精神性)にも繋がってきたでしょうからね。

それに、そのお陰様で墓参りの風習も続いて、お寺にお墓参りをするという事でお坊さんと話をすることもあるでしょうし、その時に仏法に触れる貴重な機会ともなりますし。



一方で、真宗・浄土真宗のように、あくまで盂蘭盆法要は御恩報謝のため、というエトスも、尊いと思うております。

どちらが良い悪いではなく、各々の信じる宗の教えに則って過ごすのがよろしいでしょう。

お盆の時期は、このような事を学ぶ事によって、ご自身の信仰や宗の教え、何を大切にしているのかを、気づかせてくれるような、そんな気が致します。



尚、お盆についてはこちらに情報を色々とまとめて御座います。

参照:「お盆情報まとめ」

参照2:「お盆の迎え火と送り火」



このような話から、お盆・盂蘭盆会の時期に、仏法に触れて頂く機会となられましたら、仏教者としても大変嬉しく思う今日この頃に御座います。



合掌

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