六道珍皇寺の井戸と地獄の話

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

先日、トマト倶楽部という新聞を読んでいると、「所さんのニッポンの出番」が、興味深い内容である事を見つけました。
324419 なんでも、KAT-TUNの中丸さんという方が、京都の魔界スポットなるものを色々と訪れる、という内容だそうです。

京都在住の仏教者としては興味引かれるものがあり、どこら辺に行くかというと、観れば納得という場所を訪れる予定であるようで。



15秒の番宣映像を見る限りでは、どうやら鞍馬の御魂神社や白峰神宮、貴船神社辺りに赴くようで、大体の位置が掴めました。

そして、番宣映像では閻魔大王や小野篁像がみえたことから、六道珍皇寺にも赴かれる事が分かりました。

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所さんのニッポンの出番で紹介される「六道珍皇寺」

京都には、魔界スポットと言われる場所が幾つかあり、寺社仏閣が多い京都ならではの観光が窺えます。

私は仏教者という事もあり、今回は「所さんのニッポンの出番」で中丸さんが行くであろう、貴船神社や御魂神社、白峰神宮などは省略して、六道珍皇寺に絞ってお伝え致します。



「所さんのニッポンの出番」で中丸さんが赴かれるであろう場所の一つに、
:六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)
があります。

閻魔大王と小野篁像というキーワードと、地元民かその辺りの土地勘がある人なら、一発でわかったことでありましょう。

位置としては、南に清水寺、北に八坂神社浄土宗総本山「知恩院」が御座いますから、観光スポットとしてもかなりの好立地な気がします。

六道珍皇寺に赴いたら、是非南北の寺社仏閣も巡りたいところであります。
「六道珍皇寺」には、閻魔大王と小野篁像があり、境内には
:冥土通いの井戸
なるものがあります。



冥土通いの井戸とは、読んで字の如く、地獄に繋がっている通いの井戸という意味です。

まあ、科学的に考えれば、恐らく伝説であるでしょうけれども。

この辺りのことについては、漫画「鬼灯の冷徹」で、面白く描かれています。


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私は、東本願寺文庫で読ませて頂いたのですが、小野篁さんのエピソードは、
:第59話「篁の変人」
に御座います。

巻数で言うなら、確か8巻だったと記憶しております。

記憶が曖昧ですから、その辺りの書くには、申し訳御座いませんが、各々で立ち読みするなどしてご確認を宜しくお願い致します。

私も、今度東本願寺文庫に赴いたときに、確認してはおきます。



六道珍皇寺は、現在は「精霊迎え六道迎え」という行事がありまして、お盆の季節に毎年催されております。

お盆の季節と言っても、「六道迎え」と御座います通り、お迎えする行事ですから、京都のお盆休み期間である8月13日より前に行われます。

毎年、日程は
:8月7日から8月10日
の間に行われており、「京の七夕」とかぶりますね。

参照1:「京の七夕は堀川や鴨川で旧暦を味わえる」

参照2:「お盆情報まとめ」



旧歴の七夕の季節に、六道珍皇寺観光をするのは、なかなか風流な趣を感じるものであります。

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六道珍皇寺で井戸と地獄を特集するなら、「六道」を「所さんのニッポンの出番」でも解説して欲しいと思う

六道珍皇寺は、「六道さん」とも呼ばれて親しまれているお寺であり、現在は臨済宗のお寺として行事も行われております。



「所さんのニッポンの出番」では、恐らく閻魔大王や小野篁さんの伝説、そして地獄に繋がる「冥土通いの井戸」について話をされるでしょう。

これは、以前放送された「歴史秘話ヒストリア」の、地獄極楽の回、平等院鳳凰堂と共に紹介されていた話と被るところだと推測されます。



私としては、この「六道」について、もっとしっかりと話を展開して欲しいなあ、なんて願望が御座います。

と、言いますのも、「六道」の名前の由来でもある「六道輪廻(ろくどうりんね)」概念や考え方は、私たち人間の心のありようを表現しているからです。



仏教教義における「六道」とは、
:地獄道・畜生道・餓鬼道・修羅道・人道(人間道)・天道(天界道)
の、6つの世界の道です。

「三悪道・三悪趣」というのは、この中の「地獄道・畜生道・餓鬼道」の事を言っています。



我々は色々なご縁・因縁果によって、修羅にもなったり餓鬼にもなったり、有頂天になって天道を歩んだりします。

それを思うと、道という概念や教義は、死後の世界における輪廻転生論としてではなく、我々の心のありようだと思えないでしょうか。

私は、六道輪廻をそのような味わい方と頂き方をしております。



六道珍皇寺というお寺の名前から、現世に生きる我々人間の心のありようとしても頂けるのではないか、そのように思うのです。

それゆえに、「所さんのニッポンの出番」でも、「六道」という名前と概念に、しっかりと目を向けて紹介して欲しい、そんな願望を持っております。



「地獄通いの井戸」も、確かに魔界スポット巡りというコンセプトにぴったりですが、そこから「現世を生きる仏道」を学べる構成にして欲しいというのは、私の煩悩でしょうかね。
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地獄・冥土通いの井戸がある六道珍皇寺が臨済宗のお寺というのが興味深い

私、この六道珍皇寺についてですが、非常に興味深い趣を感じております。



そう申し上げます理由の一つが、
:閻魔大王像や小野篁さんの地獄通いの井戸があるお寺が禅宗のお寺である
という状況にあるからです。



禅・禅仏教は、実践の宗教とも言われる事もあり、「一掃除二信心」と言われるように、信心よりもまず掃除が来ているという教えもあります。

その実践を重んじる禅宗のお寺が、死後の世界や地獄通いの井戸、閻魔大王がおわしますお寺を守られているという事に、私は興味を引かれるのです。



考えて見れば、禅宗と言えば、恐山菩提寺も曹洞宗のお寺ですね。

「只管打坐(しかんだざ)」と呼ばれる坐禅や、行住坐臥全てが修行である専修道場もあり、まさに自力の仏道である世界を観る事が出来る宗派だというのが、私の禅宗のイメージです。

曹洞宗の専修道場である永平寺は、実践の仏道修行という色が強く、曹洞宗の僧侶で恐山菩提寺にいらっしゃる南直哉さんの本にも、それに関する事がかかれております。


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最近の本でしたら、南直哉さんが投稿されているブログが、一冊の本にまとめられております。

私も読ませて頂きました。


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六道珍皇寺は現在、臨済宗のお寺という話に戻しましょう。



実践を重んじて、今を生きるための智慧を説く色が濃いというイメージがある禅宗が、地獄がどうの、閻魔大王様がどうの、というお寺を守られている事が、私にとっては興味深いのです。

恐らく、臨済宗に改宗される以前は、東寺(真言宗総本山・教王護国寺)の末寺であった時代がありましたから、その名残として残ったのではないかと、勝手に妄想しております。

小野篁さんは、850年頃まで生きた人であり、臨済宗に改宗された時期が1360年代です。

小野篁さんが生きた時代と、その頃から500年程も続いた閻魔大王と小野篁さんの像、そしてその信仰があったという背景があって、臨済宗に改宗されたという歴史があるわけです。

禅宗のお寺として現在はあるけれども、閻魔大王と小野篁さんの像なり信仰、地獄へ通じる井戸の名残が受け継がれているのも、何となくわかる気がします。



現世を生きる実践の仏道としてのイメージが強い禅宗のお寺が、死後の世界や地獄、冥土通いの井戸というつながりを持つお寺であるという事。

「所さんのニッポンの出番」で、その辺りもどんどん深めて欲しいけれど、流石にそれは難しいでしょうかね。


六道珍皇寺や地獄・冥土通いの井戸が、この時期に特集される理由

ちなみに、「歴史秘話ヒストリア」や「所さんのニッポンの出番」と、この短期間で六道珍皇寺や魔界スポット、地獄の話がテレビ番組で特集を組まれる理由に、一つ心当たりがあります。



2016年は「恵心僧都1000年御遠忌御祥当法要」があり、恵心僧都・源信和尚の法要があった年なのです。

源信和尚と言えば、地獄極楽を詳細に書かれた「往生要集」で有名ですね。

その法要の年であるから、「歴史秘話ヒストリア」でも「所さんのニッポンの出番」でも、地獄に縁のある京都の六道珍皇寺を、魔界スポットだとか地獄に通じる冥土通いの井戸を初回下のかな、と勝手に考えております。

私だけでは無くて、浄土真宗本願寺派の若き僧侶も同じ考えを持っていた事を、つい先日その僧侶の御法話を聴聞させて頂いたときに、教えてくれて、「私だけじゃ無いのか、この考え。」と思うたものです。



六道珍皇寺へ行き、お盆の仏事や地獄へ通じる井戸の伝説を観に行ったら、「往生要集」にも一度触れてみては如何でしょうか。

平安時代から受け継がれてきた地獄極楽の歴史や、地獄極楽について知る良き機会ではないかと、私は味わっております。



合掌

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