有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
前回は、外に出るとよく見かけるであろう「歩きスマホ」「自転車スマホ」について、仏教視点・禅視点から戒める話を致しました。
歩きスマホや自転車スマホは、仏教・禅の話云々抜きにしても、実利的な面と安全面において、即刻戒めるべき行為です。
参照:「歩きスマホや自転車スマホを仏教視点で戒める」
自分の脚でも文明の利器による脚を活用する時でも、移動する際はきちんと前を見て注意して移動すべきでしょう。
注意深く歩いていても、躓いたり目測を誤ってこける事は往々にしてあるのが、人間という生き物なのですから。
確かに、マルチタスクは時間の有効活用や効率化というメリットなり素晴らしい一面はありますが、それで怪我をしたりトラブルになっては、元も子もありませんからね。
家の中での「ながらスマホ」も注意
歩きスマホや自転車スマホは、典型的な「ながらスマホ」という行為です。現在は、車の運転中にスマホを弄る行為は禁止されており、罰則規定も出来上がっております。
もしかしたらこの先、歩きスマホや自転車スマホも、アメリカの条例よろしく、罰則規定が制定されるかもしれませんね。
さて。前回の話や上で話した事例は、あくまで外でのながらスマホという行為であります。
では、家の中、部屋の中ではどうでしょう?
あなたはご自宅にて、自分の部屋の中でどのようなスマートフォンや携帯電話の使い方をなさっているでしょうか?
「家では自分の自由なんだし、誰にも迷惑掛けないし、人にとやかく言われる筋合いは無い!」と、思われることもあるでしょう。
でも、家の中で油断仕切った状態で「ながらスマホ」をしていると、外でひょっこりとその姿が顔を出し、相手に「この人は残念な人」という印象を与えかねません。
典型的なのが、
:食事中にスマホをテーブルの上に置く、食事をしながらの「食べながらスマホ」
:寝ながらスマホ
ですね。
「食べながらスマホ」「寝ながらスマホ」は、家の中でやってしまう典型的な例ではないでしょうか。
確かに、自宅でごろごろとリラックスしきってスマートフォンを弄るのは、個人の自由と言えば自由です。
ですが、実利の面から先に申し上げますと、最近ではこういった使い方は、身体に悪いそうです。
寝ながらスマホは「過覚醒」に繋がったり、姿勢も身体に負担を掛けることになるという情報もあります。
また、食事中にスマートフォンを弄る「食べながらスマホ」は、衛生的に宜しくありません。
肉体的・物理的に負荷がかかって健康を害するというのですから、寝ながらスマホや食べながらスマホは慎む、いや、やめて置いた方が良いのは確かです。
ながらスマホは、丁寧な暮らし・丁寧に暮らすことの対極と心得るべし
寝転びながらの「寝ながらスマホ」は、まさにリラックスしている状態の現れですから、相当リラックス出来ているのでしょう。もっとも、不自然な体勢になりやすいでしょうから、身体を痛めるというデメリットもあるでしょうが。
また、「食べながらスマホ」は、最近では栄養管理アプリや、医者に日頃食べているものをチェックして貰うために、致し方なくする人がいらっしゃるのも存じ上げております。
食事メニューの改善のために、トレーナーと食事の情報を共有するために、スマートフォンのアプリや写真機能は便利ですからね。
そういった一面があるのは、一方で理解してはおります。
ただ、私は度が過ぎたながらスマホに、警鐘をならしております。
特に「丁寧な暮らしを心がけるぞ!」「これからは丁寧に暮らす!」という在り方を実践する人には、ながらスマホはやめることを提唱致します。
仏教、特に禅の智慧を拝借致しますと、そもそもとして「ながら作業」は、全くもって丁寧な暮らしや、丁寧に生きる事とは対極の行為であります。
禅僧が監督しているとしたら、食事中にスマホをだそうとした瞬間に「喝!」と、警策が振り下ろされるでしょう。
一体、どうして「丁寧な暮らし」と「ながらスマホ」は対極にある行為なのか。
それは、以前お話しした禅語
:一行三昧(いちぎょうざんまい)
の反対の行為であることも、一つの理由です。
仏教・禅の世界では、行住坐臥全てが修行であり、その実践が必然的に「丁寧な暮らし」の実現となります。
丁寧に暮らす事は、仏教・禅の修行に通じる事をやっていることに繋がります。
お茶を入れるときはお茶を入れる事になりきる、寝るときは寝る事になりきる、食事中は食事だけに集中する、というのが、丁寧な暮らしです。
それなのに「晩飯なう、サラダなう」とか呟きながら、テレビも付けっぱなしというのは、最早何をやっているのかわかりません。
テレビも観ているか観ていないのかわからん状態で付けっぱなしで、スマホも弄りながら物を食べたりと、どれも中途半端で、全てに集中出来ていない状態です。
「昨日の晩、何食べた?」という質問に答えられないのは、これも一つの要因ではないでしょうかね。
こんな状態では、とても丁寧に暮らしているとは見えません。
それに食べながらスマホは余所見の主原因ですから、食べ物をこぼす原因でもあります。
そんな食事の仕方、食べ方をしている人が、丁寧な暮らしを実現しているとは、私にはとても思えません。
一つの事に集中出来ない環境を自分から作っている人が、丁寧な暮らしが出来るとは思えないのです。
もしも「俺、今丁寧に暮らしているんだ。」と宣っておきながら、食事の在り方がこの有様なら、言動と行動が伴っていないと私は観ます。
この辺り、食事中にスマホをテーブルに置いている事からも、読み取る事が出来ます。
参照:「食事マナーと電話マナーで気をつけるべき2つの行為」
ただ、これは人によっては致し方ない場合もあることは、理解していますけれどもね。
上の参照記事でもお話しした通り、人の命に関わる仕事をしている場合、どうしてもすぐに連絡を取り合わなくてはいけないという人もいます。
そういう仕事に就いている人は、食事中も緊急連絡に直ぐに対応出来るよう、携帯電話やスマホをテーブルの上に置かなければならないのも止む得ません。
また、なかには医者に食事内容を報告したり、トレーナーと身体作りのためにスマホやアプリを使用する必要がある人もいらっしゃるでしょう。
ただ、そういう場合は、
:最初にスマートフォンでの作業を済ませておく
:終わったらスマートフォンはしまって、食事に集中する
と工夫することも出来ます。
諸々の事情があっても、「ながらスマホ」を慎み、丁寧な暮らしを実現する手立てや智慧はあります。
事情を言い訳に使うのでは無く、工夫する智慧にするのも禅的であり、仏教が説く「丁寧に暮らす」ことの智慧です。

ながらスマホにおいて、通信相手にも失礼な行為もある
ながらスマホは、丁寧な暮らしの実現と対極にあるという事は、上の話で把握出来たと思います。そして、ながらスマホは丁寧な暮らしを実現出来ない行為であると同時に、別のことも私は危惧しております。
それは、
:スマートフォンで繋がっている(通話中)の人に失礼な行為
である、という事です。
これも「一行三昧」や「一つの事を丁寧にやりきる、今ここで行っている事になりきる」という話に繋がります。
どういうことかというと、
:電話しているなら、その電話に集中すべき
ということです。
そりゃ、相手とのやり取りで、重要な事をメモ書きする事はあるでしょう。
仕事の電話の取り方としては、往々にしてある事ですね。
これは、相手の大切な情報をしっかりと書き留めて、相手の要望に応えるという他者意識によるものですから、これくらいの「ながらスマホ」は、現実的な事を考えると容認されます。
私も「メモを取りながら電話するな!」なんて事は言いません。
ただ、
:バリバリと硬い物を食べながら通話する
:寝っ転がりながら通話する
:トイレで用を足しながら通話する
なんて事は、通話中の相手に対して大変失礼な行為だと考えております。
基本的に、他のことをしながら通話するという「ながらスマホ」は、相手をないがしろにしている行為であるというのが、私の考え方です。
例えば、煎餅をボリボリ食べながらの通話は、咀嚼しながら話す事になり、相手は聞き取りづらい状況です。
そして、咀嚼音によって、相手の声も届きづらくなります。
目の前に話し相手がいてくれているのに、ヘッドフォンをつけて音楽をガンガンかけているようなものです。
そんな事をされた相手は、自分のことを大切に思ってくれていると思いますか?
私なら「ああ、私はないがしろにされている可能性があるな。」と観ますがね。
寝っ転がりながらのスマホにしても、身体の態度が相手をないがしろにしていると言うのが、私の考えです。
こういった「ながらスマホ」は習慣になってしまうと、外でもぽろっと出てしまいかねません。
ふんぞり返った姿勢や、ぐでーっとした椅子の座り方をして電話なりスマートフォンをしている人は、丁寧に暮らしているとはとても思えないものです。
街で見かけませんか、飲食店やショッピングモールの椅子で器用な格好でながらスマホをしているひとや、トイレで通話している人って。
私はこのようにならないように、携帯電話を使うときは、椅子にきちんと腰掛けて姿勢を正し、あるいはきちんと立って使うようにしております。
仕事の都合上、iPadも持っておりますが、iPadのテレビ電話機能を使う場合も、きちんと椅子に腰掛けて、姿勢を正して通話しております。
今、繋がってくれている通話相手を思いやり、失礼の無いように振る舞う事を考えると、自然と姿勢も正されるし、ながらスマホやながら通話は無くなると思いますが、如何でしょうか。
スマートフォンは、今回話してきました「ながらスマホ」ではなく、相手を思いやるスマートな使い方を心がけたいものです。
合掌