もったいないの意味|辞書では学べない精神と仏教の話

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは「もったいない」という言葉と、その意味をご存じでしょうか?
388009 最近、と言ってもこの話を投稿している段階で、10年以上前の話になりますが、国際的に有名になった言葉でもありますね、「もったいない」って。

2004年当時はアフリカのケニア副環境相であった、ワンガリ・マータイさんが、世界に発信して下さった事を、私も未だに覚えております。

実はその少し前、2002年にノーベル科学賞を受賞された田中耕一さんが、「失敗しても、それを捨てる事はもったいない、と実験を続けた事から、この発見が生まれました。」と仰ってました。



私は、「もったいない精神」と「もったいない」という言葉を、もっと大切にして、伝えたいと思う言葉であります。



このブログ(お堂)でも、たびたびシンプルライフや持たない暮らし、ミニマリストになる方法や仏教的・禅的生活についてお伝えしております。

この「もったいない」は、それらを実現するために、非常に大切にしたい言葉と概念だと、私は味わって頂いております。

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もったいないの意味を改めて問い直し学び治す

「もったいない」という言葉について、意味を問うと「そんなもん知ってるよ、馬鹿にするな」と反発されるやもしれません。



では、「もったいない文化」はどうでしょうか?

あなたの周り、もしくはあなた自身にも、もったいない精神やもったいない文化を失ってはいないでしょうか?



使い捨て社会と言われるような現代社会において、日本に根付いていた「もったいない文化」は失われつつあると、警鐘を鳴らしている人も見受けられますし、私もそのように感じる事が御座います。

私が読んだ僧侶の本、最近でしたら臨済宗の禅僧であられる玄侑宗久さんも、そのような警鐘を鳴らされている一人です。

私が読んだ玄侑宗久さんの本では、この「玄侑和尚と禅を暮らす」という本で、和尚が記されておりました。

禅僧は、修業時代には特に「もったいない」というロゴスとパトスとエトスを同時に体得されるという印象が御座いますし、禅的生活において「もったいない」は、外せない概念です。

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失われつつある「もったいない」、改めてもったいないの意味を学び直し、共に改めていきたい、今回はそのように考えております。
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もったいないの意味

「もったいない」は、辞書で引けば確かに分かる話ですが、ここは一つ、語源から紐解いていきましょう。



「もったいない」の語源を引きますと、
:もったい(物々しい様)+ない(甚だしい意味の接尾語)
です。

ことさら、物事を重要らしく見せるという意味で、「もったいぶる」などと使われます。

なかなか手渡してくれなかったり、情報をなかなか開示しない様子や態度を、「もったいぶりやがって」と言う用法ですね。

大抵、もったいぶって出さない情報や物は、大したことが無いものだったりするものです。



語源にはもう1説あり、
:勿(無)+体(正体)+ない
です。

これは、「よろしくない、もってのほか」という意味で、それが転じて、
:粗末に扱うのは、もってのほかである
という意味になりました。

「これを捨てるのはもったいない」「もったいないお金の使い方をしちゃった」という場合の「もったいない」は、こちらの意味ですね。
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「もったいない」の元来的な意味

「もったいない」を漢字変換すると、「勿体ない」と変換されます。

私が使っているATOKでも、漢字変換したらこの文字に変換されます。



実は、「もったいない」は、元来は「物体ない」と書いていたものです。

これでは「物体が無い」という意味にも解釈出来ますが、意味は以下のように捉えるとわかりやすいでしょう。



「物体ない」とは、「その物が本来のあるべき意味や機能を実現出来ない状態にある、そしてそれを惜しみ申し訳ないと思う心情」という解釈が出来ます。

例えば、まだ使えるのに捨ててしまったり、同じものを新しく購入したことで、用済みになった古い物を無礙に扱って壊したり捨ててしまう事は、本来の「物体ない」としても「もったいない」事になります。



わかりやすく言えば、「そのものがあるべき「もったい(物体)」を台無しにしてしまっている」ということですね。

「もったいない」と仏教

今回、「もったいない」という言葉を取り上げましたが、「もったいない」という言葉それ自体は、仏教の専門的な用語ではありません。

しかし、物を大切にして謙虚な感じがするこの言葉に、仏教の精神性も感じるという人がいらっしゃるかもしれませんね。

お寺、特に禅寺では、料理の時は皮まで使い切りますし、物をきちんと使い切る事は、まさに「もったいない精神」が遺憾なく発揮されているという見方も出来ます。

そういう見方からも、「もったいない=謙虚で奥ゆかしい」と捉える人がいても、不思議ではありませんし、現に私もそのようなイメージを持っておったり致します。



「もったいない」というロゴス(言葉・意味)とパトス(精神性)の関係性と仏教徒の関連は、実は真宗・浄土真宗に見て取ることが出来ます。

真宗・浄土真宗の高僧であられる蓮如上人というお坊さんが、真宗教義の味わいを表現する言葉として用いられた、という話があるのです。



蓮如上人は、廊下を歩いていて、一枚の紙切れが落ちているのを見つけられました。

その紙切れを拾い上げた蓮如上人曰く、
「一枚の紙も、仏法領(仏より恵まれたもの)です、もったいない。」
と仰りました。

一枚の紙切れを見逃さず、そこから仏法を味わい頂くという感性です。

このような蓮如上人の話もあり、念仏者(南無阿弥陀仏を称える人)の多くも、「もったいない」という言葉を口にして、大切にしてゆかれた、という事が御座いました。



この話について私は、「もったいない」という言葉を、仏教的な味わいの頂き方が、さらりとして簡素でありながら、なんとも趣があるエピソードであると、味わい頂いております。

真宗・浄土真宗は、「味わう」「させて頂く」という独特の言い回しがあり、それが今日にも伝わっていることと「もったいない」は、無関係ではないのやもしれませんね。
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もったいないは謙虚な文化を支えてくれると思う

「もったいない」というのは、確かにどこかで損得勘定、損をしたくないという思いも入ってくる事もあるでしょう。

最初は、損得勘定ありきでも仕方ないと思います。



でも、例えそうであっても、私は「もったいない」という言葉とその意味、そしてそこから育まれる精神性や行為様式を、大切に伝えていきたい、そのように考えておるのです。

そうすることで、少なくとも物を大切にする精神や生活様式の育み・営みに繋がっていきます。



そして何よりも「もったいない」というロゴス(言葉・意味)に、私は「奥ゆかしい謙虚さ」を感じ取っており、そのように味わいを頂いております。



とりあえず、なんでもかんでも購入して捨てる、を繰り返す人と、「もったいない」と言って持ち物を大切に使い切る人と、どちらが謙虚で奥ゆかしいと思われるでしょうか?

「買えばいいじゃん、みみちいなあ。」「ケチくさいし貧乏くさい」と言って、物を大切にしない人を、私は謙虚だとか奥ゆかしいとはとても思えません。

それとは対照的に、物を粗末に扱わず、「勿体ない・物体ない」という在り方を大切に出来る人を、私は見習いたいと頂くところで御座います。



私は、使い捨て社会とか大量生産大量消費社会となっている今日の現代社会・現代日本にこそ、「もったいない」を意識していきたい、そのように感じております。



現在は特に、凄く早いサイクルで、新商品やニューモデルがどんどん世に出て、更に消費・購入を煽られる時代です。

そのような中、今一度「もったいない」という言葉の意味と精神性を、思い出して改めて味わいたい、そのように思う今日この頃に御座います。



尚、今回の「もったいない」と共に、こちらも学んで頂ければ、嬉しゅう御座います。

参照1:「節約レシピと共に意識すべき事」

参照2:「持たない暮らしを使い切る暮らしで実践する」

参照3:「もったいないおばけともったいないばあさんの有り難さ」

物を使い切る暮らしは、まさに「もったいない」を味わう暮らしだと、私は思いますが、如何でしょうか。



合掌

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