モチベーションとは頼ると危険な刺激である

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

以前、仕事のやる気を出す方法など、やる気についてお伝え致しましたが、今回の話はそれと関連する事柄です。
137653 日本の現代社会では、「モチベーション」という言葉を聞くと、どうやら「やる気」という意味で使われたり理解されることが多いと感じます。



モチベーションとは、辞書の意味では
:動機づけ、動機
:意欲、刺激、目的意識
です。

私は「モチベーションとは動機付けという意味である」と覚えておりましたから、モチベーションが上がるだの、モチベーションを上げる方法だのと言われても、なんのこっちゃと違和感を覚えておりました。

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モチベーションとは何か?その意味と使い方を学び直す

「モチベーションとは何か、意味を答えなさい。」

このような感じで、英語の試験でこんな問題が出たら、現在なら「動機づけ」の他に「意欲、目的意識、やる気」などの回答をしても丸は付けて貰えるでしょう。



物事を成し遂げるための行動する動機が「モチベーション」という言葉の意味と言えます。

「動機づけ」は、目的があって何かをするきっかけ、つまり動機ですから「目的意識」と言い換えても差し支え有りません。



モチベーションとは、「モチベーションを上げる」「モチベーションがなかなか上がらない」という用法で使う場合は、「意欲、やる気」という意味で使われます。

現在の日本社会では、この「意欲、やる気」という意味や文脈で用いられることが多いように思えます。
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モチベーションとは、上がる下がるという言い方が出来る意味ではないから違和感がある

モチベーションとは何か、その意味を「動機付け」とすると、言葉の使い方そのものに違和感を覚えたものです。



最近は、よく「モチベーションを上げる」だの「モチベーションが下がる」だの、そのような使い方がなされる傾向に御座います。

しかし、「動機付けが上がる、下がる」というと、その意味が私にはよくわかりません。

「モチベーションが上がる、下がる」という使われ方をするとき、モチベーションとは「意欲、刺激」という意味だけが持ち上がります。



そのことを踏まえた上で、もう一つ違和感の話をば。



モチベーションを上げる方法について、皆さん知りたいと思っていて、需要が高いことが「モチベーション市場」を観ると読み取れます。

本屋の自己啓発本コーナーでは「モチベーションを上げる10の方法」とか「モチベーションを上げる言葉」という類いの本が並んでいますし、売れ行きも好調です。



しかし、人が何か目的を成し遂げるために、モチベーションを上げる(やる気や意欲を出すという意味)と言う事に、何となく違和感を持っております。

違和感というのは、モチベーションという言葉の使い方もそうですが、それ以上に、現在はやたらモチベーションを上げる方法論を探している人が多いという部分についてです。



モチベーションとは何かを考えた時、意味に「刺激」があります。

この刺激は「何かをやろうとする時のやる気であり、高揚感」と私は解釈しております。



そして「モチベーションとは高揚感という刺激」と考えた場合、接し方を間違えたら危険も伴うのではないか、そのような事を考えた次第であります。
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モチベーションとは高揚感という意味の刺激、それに頼りすぎる事は考えもの

例えば、何か一つのプロジェクトを発案して、成し遂げると致しましょう。

確かに、最初からやる気がある方が捗りますし、チームで動くときは「モチベーションが高い状態」と言われる、やる気満々な状態が好ましいことは確かです。



でも、やる気の高低や意欲に左右される状態というのは、好ましい状態でありましょうか?



チームの足並みも揃わなくなりますし、一人で何かを成し遂げようという企画の場合でしたら、行動するために必要な刺激や高揚感の有無で、進行具合にばらつきが出て来ます。

締め切りがある仕事だったり、試験勉強で時間が無いときにこんな状態に陥ったら、大変です。



それに、高揚感を刺激する事は、テンションがおかしくなって、正常な思考や判断、決断が出来なくなるものです。

チームで企画を成し遂げる仕事をしている場合は、全員が高いテンションで勝手な事をやり始めて、収拾が付かなくなると言う怖さもあります。



ちなみにこれは、詐欺的商業自己啓発セミナーで、自己啓発講師が搾取する時に使うおきまりのパターンです。



詐欺はさておき、確かにやる気をだしたり意欲的に活動する事は大切です。

「モチベーションを上げてから活動する」「モチベーションが上がらない時は、上げる本や言葉を読んでやる気を出す」というのも、距離感を間違えなければ大いに活用しどころがあります。



でも、「モチベーションは上げるべき」という昨今の偏った考え方を感じると、危険な部分や違和感を、私は持っております。

仏道はモチベーションを上げるどころか・・・

仏教や仏道を歩むものにとって、モチベーションとは何か、モチベーションをどうやって上げているのか、という事についてですが・・・。



あくまで私の場合、結論から申しますと
:モチベーションという概念そのものが無い
です。



私は朝晩の勤行、坐禅を組む、また散歩がてら歩く瞑想や意識的なウォーキングをしておりますが、いちいちモチベーションを上げて行っておりません。

そもそもとして、動機づけすらしておりませんでしたからね。



大体、御経を読んだり坐禅を組む時にモチベーションを上げると思いますか?

中にはいらっしゃるかもしれませんから、完全否定出来かねますが。



静かに坐禅を組んだり瞑想するのに、やる気や意欲を上げて取り組んで、刺激まみれの状態で始めるのは本末転倒です。

坐禅体験をされた人が「これで勉強や仕事のモチベーションが上がりました!」と言われたら、私は「え?」と思いますし、恐らくそれは錯覚です。



仏教的な考え方から通して観ると、モチベーションとは一種の刺激のようなものです。

下で更に深めて行きますが、仏教では刺激を緩和させたり、刺激に左右されぬ事を説いたり、目指す教えが御座います。

モチベーションとは刺激の一種であると考えると、仏教においては、逆にモチベーションという刺激に頼る事を戒める事に繋がっていくのです。



それに、刺激に頼りすぎていると、モチベーションという刺激なりカンフル剤がないと、今度は動けなくなるという事態に陥る危険性も御座います。

故に、「モチベーションとは、頼りすぎると危険な刺激である」という頂き方は、とても仏教的な頂き方であり、モチベーションの上げ下げという概念に囚われすぎない智慧であります。
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仏教ではモチベーションという刺激に念を継がなくしていく事を教えている

仏教では、「第一の刺激の後、二念・三念を継がない」という修行を致しますし、次々と沸き起こる邪念から離れたり、邪念を継がない事を教えております。



例えば音が聞こえた場合、「音」が耳に入って音が聞こえるのが「第一の刺激、一念」です。

そして一念を受けて「うるさいな。」「嫌だな。」と思ったり感じるのが「第二の刺激、二念」です。



私から観れば、モチベーションを上げるという行為は、確かに物事にとっかかる際に有用性はあるにはありますが、念を継ぎまくっている状態に思えるのです。

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モチベーションの言葉や概念に囚われない「達磨安心」の知恵

仕事や勉強のやる気を出す方法についての話で、禅語
:達磨安心(だるまあんじん)
という話を致しました。

不安というものは取り出したり出来るものではなく、自分が勝手に創り出している、という教えです。



そして、モチベーション(やる気や意欲)も、概念的なことでしか無く、接し方が過密になりすぎると危険を伴います。



世の中には、モチベーションを上げる方法論や、やる気を出す力となる本や言葉が沢山あります。

それはそれで結構なのですが、それに毒されるほど浸らないように、適切な距離感を覚えるようにしたいものです。

モチベーションとは何か、その意味と使い方を学び考え、「モチベーション」という概念とは上手にお付き合いしたいものです。



更に「モチベーションとは何か」を、言語的に理解を深めるために、語源から意味を辿っております。

参照:「モチベーションの意味|英語の語源から正しく学ぶ」



尚、今回の話と繋がる、やる気という概念の話もお伝えしております。

参照:「仕事や勉強のやる気を出す方法」



また、やる気と間違えやすい高揚感という事についても、学んでおくことは大切だと思います。

参照:「高揚感の意味と使い方の例文から学ぶべきこと」

参照2:「意識の高揚を図る意味と注意点」



モチベーションややる気という、概念だけに囚われぬ智慧となりましたら、嬉しゅう御座います。



合掌

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