持たない暮らしを使い切る暮らしで実践する

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは、持たない暮らしを買わない生活も同時に実践する上で、大切な事は何だと思われますか?
442011 持たない暮らしによるシンプルライフは、断捨離と買わない生活も重要な概念であり、実践すべき項目です。



それと共に、私は「使い切る暮らし」も、外せない要素であると頂いております。



持たない暮らしを実践するに辺り、なるべく買わない生活を実現する上でも、物をきちんと使い切る暮らしは、大切にすべき項目であると私は思うのです。

物を大切にし、その物を使い切る暮らしは、仏教や禅でも大切に説く教えでもあります。

特に禅では、物を使い切る暮らしの実践として「見立て」などを大切に教えていますね。

今回は、持たない暮らしを使い切る暮らしによって実践するという話を致します。

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物を使い切らないから買わない生活と持たない暮らしが出来ない

あなたは、ここ最近で何かを使い切ったと自信を持って言える物って、ありますか?

使い捨て消費社会というような表現がなされるくらいですから、なかなか何かを使い切る暮らしというのは、実現出来ていないやもしれません。



典型的なのが、パーソナルコンピューター・パソコンやスマートフォン・スマホなどの耐久消費財ではないでしょうか。

最新機種やニューモデルが出るたびに、買い換える人って、周囲にいらっしゃいませんかね。

私の周囲にも、ガジェットをちょくちょくと買い換えたり増やしたりしている人がいて、2年もたてば「新しいパソコン、欲しいなあ。」なんて言ってます。

その友人の家にはパソコンが何台もおいてあって、家族よりパソコンの数の方が多いと言う状態だそうです。

とてもじゃありませんが、物を使い切る暮らしとは言えませんね、こういう状態は。

そして、なかなか捨てる事も面倒ということで放置してあるから、持たない暮らしからも外れてしまいます。



耐久消費財さえも使い捨ての感覚で買い換えるようになっている現代社会では、使い切る暮らしからほど遠い気がするものです。



そして、物を使い切らないうちに買い物をするから、また使い切る暮らしと持たない暮らしから遠ざかる、というスパイラルに陥ります。

物をきっちり使い切らない、だから持たない暮らしがなかなか実現しない、実現しにくいのが現状であると、私には感じられるのです。
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物を使い切る暮らしの練習を始めて見よう:鉛筆の例

「そうは言っても、物を使い切るって、どういう事を言うの?」と、疑問を持たれるやもしれません。

何かを使い切るというのは、現代社会ではなかなか難しく、なかなかみえにくいことであるかもしれないというのは、私も感じるところであります。



「物が無くなるまで使う、それを繰り返す」というのが、私が頂いておる「物を使い切る暮らし」の概念です。



では、それはどういう事を言うのか、鉛筆を例にとってお伝え致しましょう。

最近は、物を自分の手で、しかも鉛筆で書くというのがなかなか遠ざかっているようですが、物を使い切る暮らしの練習としては、もってこいですよ。



例えば、私が子供の頃、学校でもよく使っていた道具に、このような物があります。


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これは、鉛筆が短くなって、いよいよ持てなくなってしまったときに、鉛筆のしっぽの部分を、この銀色の棒の頭にセットして、ネジを回して固定します。

すると、短い鉛筆でも長い状態と同じように持つ事が出来て、使い切る暮らしの一端を担ってくれたものです。

回る部分が滑り止めになって良いのか、結構長めの状態から使っている同級生もいましたね、私はそこまでやりませんでしたけれども。



シャープペンシルは、確かに便利ですし太さも一定していて書きやすいけれども、使い切る暮らしの練習となるのは、私はやはり鉛筆だと思うのです。

そういう私は、現在は自筆の場合はもっぱらボールペンなのですが、ボールペンもインクを使い切るまで使っております。



また、最近では下に紹介したような、本当に最後まで「使い切る暮らし」を実践出来る練習に最適な道具も開発されております。

これは、鉛筆と鉛筆を繋いで、先にくっついている方の鉛筆を、読んで字の如く「最後まで使い切る」目的で作られた鉛筆削りです。

シャープペンシルやボールペンでは味わえない、鉛筆ならではの使い切る暮らしの実践ですね。

これは色鉛筆でも応用出来そうですし、鉛筆を多用する仕事なり学校に通っていらっしゃる方にとっては、重宝するのではないでしょうか。



鉛筆というと、銀色のつなぎ棒でも掴めなくなったら、どうしても使い捨てなければならなかったのが今までの時代です。

でも、このような道具があれば、使い切る暮らしを鉛筆で練習して、結果としてあまり物を買わない生活による持たない暮らしにも繋げていける、そのように私は味わっております。



こういう道具って、「使い切らないともったいない」という、日本人が昔から継承してきた「もったいない精神」によるものなのかな、なんて妄想している私であります。
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使い捨てではなく使い切る暮らしを実践して持たない暮らしを実現する

使い捨てされるものがやたらと多い現代社会においては、確かに便利な物が安価で手に入る、生活の道具の側面においては大変利便性があり、有り難い世の中になりました。

私は、全ての物を使い捨てでは無く、無理をしてでも使い切らなければならない、と申し上げているわけではありません。

衛生上、どうしても使い捨てなければならない道具もあるのは、私も「おたべ(現在は美十)」という食品企業に勤めていたときに体感しておりますから、理解しております。

使い捨てマスクを、リサイクルして使うにしても、限界がありますし、衛生面では使い捨てざるをえませんでしたからね。



でも、「これは本来は耐久消費財なのに」というようなものも使い捨てにしてしまうのは如何なものであろうか、そのように私は思うのです。



それに、使い捨てる物をそのまま使い捨て続け、使い切る暮らしから遠ざかると、また買い物をする必要が出て来て、買わない生活にならないし、結果として持たない暮らしが維持出来ません。

挙げ句の果てには「これは使い捨てだから、ストックをしないと」と、買いだめして持たない暮らしとは遠ざかる、という状態に陥ります。



「タカコさん」という漫画の、ある1エピソードにもありましたが、それで家の収納棚がぎゅうぎゅうに詰まっている、なんてことって、ありませんか?


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使うのは結局3ヶ月後よりも後になるくらいまで、洗剤を買い置きしていたり。

物によっては、中の成分が変質して、全く使い物にならないものだって在りますから、消費財の買い置きも考えないと行けません。

全く無いのは問題が生じるでしょうが、だからといって買い置きしまくるのも、持たない暮らしに逆境します。

そして、「まだあるから贅沢に使っちゃえ」なんて油断をして、使い切る暮らしからも遠ざかりかねません。



「持たない暮らしは使い切る暮らしの実践によってなす」または「使い切る暮らしの実践により、持たない暮らしを維持する。」

私は「持たない暮らし」と「使い切る暮らし」は、両立させるべきであると、頂いております。
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物を使い切る暮らしによる持たない暮らしを「サチのお寺ごはん」の智慧に見る

物を使い切る暮らしによって、持たない暮らしを維持するというエトス(行為様式・習慣)を身につける事は、私は色々とメリットもあると考えております。

経済的な効果もその一つですし、何よりも、
:物を使い切る暮らしを意識する事で、物を大切に、丁寧に扱う精神も育まれる
という味わいを、私は頂いております。

物を使い切るために、耐久消費財はもちろんの事、使い捨てレベルの消耗品も大切に扱う精神が育まれるのではないか、私はそのように思うのです。



物を使い切る暮らしを実践するために、物を大切に扱うようになりますし、結果として長持ち致します。



例えば、安価で手に入れたものでも、壊さないように丁寧に両手で扱うようになり、そのために買い換えの機会も減り、むやみやたらと物を買わない生活に繋がります。

例えば、サランラップ。

サランラップは、うちにはあるにはありますが、出来るだけ使わないようにと、調理した食べ物はきちんとその時に食べる用にしております。

そして、サランラップを使う必要が出て来たときも、上手く使い切れるように工夫しますし、使い終わった後の芯は子供達が遊ぶ道具として再利用されます。

以前、甥っ子達が実家に遊びに行ったとき、仮面ライダーの剣だとかなんとか、そんな玩具をこしらえて遊んでいたのを見たことがあります。

サランラップの芯も「使い切る」というわけです。



また、サランラップの芯って、工夫次第で一人暮らしに便利な、「一人暮らし用物干し竿」にもなったりするのですよ。

高いおもちゃを買わなくて済みますし、経済的でもありますが、如何でしょう、この智慧。



芯といえば、「サチのお寺ごはん1巻」にあった、「とうもろこしの芯も食材として使い切る」というのも、まさに「使い切る暮らし」の実例です。


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とうもろこしの芯って、出しも取れるし、柔らかくなるまで煮込んでミキサーに掛けると、コーンスープにもなるんですよ、夏は冷やして頂くと味わい深い涼しげな飲み物になります。

ゴミも減りますし、「使い切る暮らし」は「持たない暮らしの実現」である上「エコ暮らし」でもあるのです。



「サチのお寺ごはん」にもある通り、お寺の食事、特に修行道場である禅寺では、食材はきっちりと使い切ります。

このお堂(ブログ)でも、この話は何度かしておりますが、大切な事だから何度もお伝えしておるのです。

食材の皮もしっかりと使い切って頂く事は、命に、そしてそこまで食べ物を頂くに至までの数多の労に感謝し、ねぎらうことでもあります。

「使い切る暮らし」とに、私が尊さを感じて、今回長々と話す事になったのも、こういった理由も御座います。



物を使い切る暮らしによる持たない暮らしの実践は、禅僧・雲水の生き方・在り方に、もの凄くヒントがあると頂いております。



大量消費社会と言われている昨今、「使い切る暮らし」と「持たない暮らし」の両立を、改めて考えて見ては如何でしょうか、と、思う今日この頃の私で御座います。



持たない暮らしを使い切る暮らしで実現するための智慧は、こちらにもご用意してあります。

参照:「シンプルライフなミニマリスト情報まとめ」

具体的事例も掲載しておりますから、あなたの一助となれば嬉しゅう御座います。



合掌

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