有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
前回と前々回は、ミニマリストという概念について、弊害や注意点についてもお伝え致しました。
現在は、ミニマリストという言葉や概念と共に「シンプルライフ」という言葉と概念もよく見聞きします。
これも、本屋に行けば専門書や専門家の本が並んでいるほどですから、見聞きした人も多いのではないかと思い受け致します。
私は、ミニマリストもシンプルライフも、どちらも断捨離と親和性がある概念であると考えております。
どちらも、断捨離の末に実現される在り方なり生き方、生活の仕方ですからね。
ここで一度、ミニマリストとシンプルライフと断捨離について、その関係性を観ていくとします。
また、私の仏教視点からの感覚的な意味や捉え方・頂き方も、お伝え致します。
ミニマリストとシンプルライフは断捨離によって実現出来る生活様式の一つ
ミニマリストについては、以前も取り上げましたし、現在は本やインターネットで「ミニマリストとは」と検索すれば、すぐに国語辞典的な意味を学ぶ事が出来ます。参照:「ミニマリストとは断捨離の結果の在り方 」
簡単にだけまとめておきますと、
:ミニマリスト・ミニマリズム:必要最低限や最小限の物で生活する人、考え方
(「minimal・ミニマル」は「最小」という意味)
:シンプルライフ:簡素な生活または生活様式
というのが、現代的かつ国語辞典的な意味でしょうか。
どちらも、現代的な意味やニュアンス(感覚・感性)としては、物質社会に対する警鐘的な意味があると、私は感じております。
ゆえに、主眼が置かれている項目は、主に「いかに物を減らすか、物に囲まれない生活をするか」というところにあります。
また、よくあるミニマリスト生活の本やブログ、シンプルライフの指南本にも、必ずと言って良い程、物欲を断捨離するなり物を断捨離する大切さと方法が語られている事からも、このような意味を読み取れます。
このような背景を紐解いて行くと、
:ミニマリストとシンプルライフは断捨離実現出来る生活様式
という関係性が見えてきます。
見えてきます、と言いますか、あくまで私が見出した、というだけの話ではありますから、一般論化したような言い方はまずいかもしれませんが。
とにかく、ミニマリストとシンプルライフと断捨離というそれぞれの概念は、相互に補完し合あえる親和性の高い概念である、私はそのように捉え頂いております。

ミニマリストとシンプルライフは似ているが違う私の感覚的意味
ミニマリストとシンプルライフは、少なくとも物質的な側面からは、親和性があって意味や概念も共通している部分があります。「断捨離をして実現出来る生活様式」という共通点がありますから、親和性の高さがあると言われて頷いて下さる人も、いらっしゃるのではないかと思うております。
親和性はあるとは思いますが「ミニマリストとシンプルライフは似て非なるもの」と言うのが私による意味の捉え方であり、感覚です。
ミニマリストは、最終的には本当に「最小」を目指していくものです。
対して、シンプルライフはあくまで簡素な生活をするものである、という意味と概念として、私は頂いております。
ニュアンス・感覚的には、シンプルライフよりもミニマリストの生活の方が、より物が少ない、そのような感覚があるのです。
「ミニマリスト・ミニマリズム」の方が「シンプルライフ」よりも、より物を減らす・断捨離をするという度合いが強いという感覚があるのです。
図式にすると、物質的分量は「ミニマリスト<シンプルライフ」というのが、私の感覚的意味です。
更に言うならば、物質的にはミニマリストの生活の方が極端で、シンプルライフはそれよりも柔らかい感じ、といったところでしょうか。
これは言葉と概念の捉え方、感覚・感性の話ですから、なかなか上手い事伝えられず表現しきれず、言語化しきれなくてもどかしいところです。
このような考え方や感覚的意味、概念の捉え方を踏まえたところ、私は現代社会の娑婆世界で生きるなら、シンプルライフの方が生きやすいかな、という勝手に思うております。
ただ、ミニマリストの生活を否定するわけではありませんし、ミニマリスト生活が一番快適という人はその生活様式を取り入られるのでならば、それを応援致します。
ミニマリストまで断捨離してシンプルライフに戻していくという方法
ミニマリストとシンプルライフと断捨離の関係性と、それぞれの感覚的意味を理解したところで。ここからは「自分に丁度良いシンプルライフを目指す、あるいは実現するにはどうすればよいのか?」という人の参考になる話を致します。
例えばあなたが、家に物が増えていて、出来れば物を断捨離してすっきりさせて、それを維持する生活をしたい、とします。
その上で、シンプルライフという生き方や生活様式を知り、シンプルライフを目指すこととなりました。
その時に、私が考える方法は、大きく二つあります。
その一つが
:一旦ミニマリストレベルまで断捨離して、そこからシンプルライフに戻していく
という方法です。
これは、ミニマリストの生活とシンプルライフを両方実現、あるいは体験する事により、自分にとって丁度良い塩梅が見つかる方法です。
そしてこれは、禅僧・雲水さんの修業時代の智慧をヒントにした方法論です。
雲水さんは、禅寺にこもって修行をされる期間中は、娑婆世界とは一切関係を断ち切って修行に入られます。
持ち物はもちろん、修行期間中は一切外に出られず、外部との連絡も絶ちきられますから、究極的な断捨離ですね。
禅寺に入るときに、物だけではなく人間関係まで断捨離しているわけです。
感覚的には、準備無しでいきなりミニマリスト生活に突入する、といったところです。
このような生活を体験した禅僧の話によれば「本当に大切な物事を知る」「人間は最小限の物で生きていけるという事を実感する」そうです。
この禅僧・雲水の智慧を活かした方法は、究極的な方法であり、最も手っ取り早いミニマリスト生活への道です。
ただし、以前もお伝えしました通り、これを娑婆世界・現代社会の生活でやると、大変な事になります。
参照:「ミニマリスト生活の弊害や注意2つ」
生活出来なくなるレベルまで断捨離し尽くしてしまうと、生活そのものが成り立たなくなります。
そこで、「生活に必要な物は最低限何なのか?」が見えてきて、そこからシンプルライフに移行するという次の段階へ移るのです。
移るのですが・・・。
上でお伝えした通り、これは生活出来なくなるほどのレベルの生活をする期間が出来てしまい、本当に生活が成り立たなくなってしまうという危険が伴う方法でもあります。

シンプルライフまで一旦断捨離してミニマリスト生活にしていく方法
上で紹介した「ミニマリスト→シンプルライフ」という方法は、現代社会においては、ちょっと現実的とは言いがたい方法論にも思えます。娑婆世界・現実社会での生活をなるべく壊さずに、段階的な断捨離によって徐々に物を減らしていき、その結果としてシンプルライフやミニマリスト生活に入る方が理に適っています。
極端を知り、仏教の「中道(ちゅうどう)」を学べる方法ではあるのですけれどもね、やはり現実社会の生活も大切です。
そこで、実生活を壊さずにシンプルライフとミニマリスト生活を目指すなら、
:シンプルライフを目指して断捨離する
:一旦そこでストップして、余裕が出て来たら徐々にミニマリスト生活にする
という、段階的な方法があります。
これだと、断捨離は段階的ですから、生活出来なくなるというリスクも回避した上で、シンプルライフとミニマリスト生活を目指す事が出来ます。
シンプルライフが一番快適だと直観したら、そこからミニマリストの生活を無理に目指す必要もありませんから、そこで断捨離を終了すればよいのです。
また、そこから更に禅僧の如くミニマリスト生活を目指すとしても、想像もしやすくなっていて、計画も立てやすいでしょう。
良い塩梅を探りながらシンプルライフを実現し、更に断捨離した方が快適だと思うならミニマリスト生活を目指していく。
これが今のところベストな在り方や生活様式の立て方ではないか、私はそのように思います。
「両極端を知って中道を知る」も、仏道であり仏教の教えではあります。
また「コツコツと積み上げていく」事の大切さも、仏教では説いております。
そのどちらが自分にとって最良の方法か、一度考えて観ては如何でしょうか。
在家・娑婆世界で、シンプルライフやミニマリスト生活を目指す人にとって、今回の話や考え方をヒントになれましたら、嬉しゅう御座います。
その他、ヒントとなる話を、こちらにまとめておきました。
参照:「シンプルライフなミニマリスト情報まとめ」
併せてご覧頂ければ、より深めて頂けるかと存じます。
合掌