ミニマリストとは断捨離の結果の在り方

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは、ミニマリスト(minimalist)という言葉をご存じでしょうか?
437078 ミニマリストとは、「ミニマル(minimal)」の意味が「最小」ですから、「最小の人」という直訳になります。

これだと、体格的に小さい人という意味になってしまいますから、現代社会においては「最小単位の暮らしをしている人、または目指している人」と訳した方がわかりやすいでしょうか。



断捨離やミニマリスト・ミニマリズムは、ある種ブームになっているという風潮もあり、専門雑誌や本も色々と出ております。

物欲を断つという仏道を歩んでいると、結果としてミニマリストになっていく、私はそのように頂いております。

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断捨離の結果論としてのミニマリストが理想的

現代社会では、何かと物欲を刺激されるものです。

そうして、己の物欲を思い知り、過去の物欲や物のしがらみから自己を解き放つべく「よし、ミニマリストになろう!」と決意される人がいても、不思議ではありません。



その時に役立つのが、断捨離という概念とその方法論です。

参照:「断捨離実践のコツと効果まとめ」



さて、ここで「卵が先か、鶏が先か」ではありませんが、目的と結果の話が出て来ます。

それは、
:ミニマリストになるために断捨離するか
:断捨離した結果、ミニマリストになったのか
です。



世の中の風潮を見てみると、こういう「ミニマリスト」という概念や生き方、在り方が提示されると、目指す人が出て来ます。

断捨離ブームの時も「断捨離する事が目的」となった人は、「そういえば・・・」と思われたことだろうとお見受け致します。

これは「ノマドブーム」の時と似ている現象だと、私は勝手に解釈しております。

ノマドになるのが目的なのか、仕事の仕方をあれこれ試行錯誤した結果のノマドワーカーなのか。



私はミニマリストそのものではありませんが、そちら側に向かっている気がしている自覚はあります。

物欲を減らす修行や生き方として、物との関係を出来るだけ減らしていき、持たない暮らしや買わない暮らしを実践しておりますからね。

その時に、ごっそり断捨離した経験もありますし、ゆくゆくはミニマリストの在り方や部屋になる可能性も十分に秘めております。



そのような経験から言えるのは、
「ミニマリストとは、断捨離の結果、断捨離実践の先にある結果」
という頂き方をするようになりました。

そして、そのような頂き方の方が、ミニマリストである事の弊害や不都合にも見舞われにくいのではないか、そのように考えております。
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ミニマリストになることそれ自体が目的で目指すのは危険や弊害も

ミニマリストという言葉と概念が出てきたら、実際にミニマリストを目指す人も出てくるものです。

上で紹介した、ノマドワーカーの現象ですね。



ミニマリストという概念、また憧れる対象となる生き方が提示されることそれ自体は、さしたる問題はありません。

最近でしたら、ミニマリストとなった人達によるブログもあり、参考になる資料として重宝するものです。

実践者のブログは、実践に基づいているから生の声なり参考文献としての力がありますからね、大いに活用されると良いでしょう。



でも「ミニマリストになることがゴール、目的化されている」という状態でミニマリストになろうとすると、失敗なり後悔する可能性が高いのではないかと考えております。



またノマドで例えますが、ノマドワーカーに憧れ、会社を辞めてコーヒーショップやフリースペースと呼ばれる施設で仕事をし始めるという現象を連想してみて下さい。

大体、現代社会のノマドって、ノートパソコン片手に、優雅にキーボードを喫茶店などで叩いている姿を連想するんじゃありませんかね。

そうして、ノマドワーカーになるために、会社を辞めてノートパソコンを買ったまでは良いとしましょう。

では、マドワーカーとしてどんな仕事をするのでしょうか?

収入の当ては、どこでどう仕事をする、軌道に乗るには、軌道に乗るまでの生活は、などなど、色々と考えなければならない事も出て来ますし、弊害や問題も出てくるものです。



憧れたり目的・目標を持つのは結構な事ですし、勢いでやる事の大切さは否定しません。

勢いや、すぱっと物事を始める事で力を発揮する人もいますからね。

ただ、そうではない人、段階的に物事を進める人にとっては、こういうやり方と在り方は考え物ですし、勢いや即決即断は、なんでもかんでも通用するわけではありません。

その辺り、勘違いしたり、憧れや射幸心を揺さぶられたりして乗せられ、勢いだけで突っ走ると、大変な事態に直面して右往左往します。



そういえば、最近特にありますよね、なんちゃらビジネスのセールスレターなどで。

「会社に縛られた人生で良いのですか?」「自由な生き方やお金の稼ぎ方を教えるから先に100万円払え」という詐欺師や亡者共の謳い文句を真に受けたら、偉い目にあいますよ。



これを踏まえて。



例えば、現役ミニマリストのブログや雑誌を見て、憧れるとします。

そうした場合、ただ憧れたから勢いで突っ走るのではなく、ミニマリストとは何か、その意味や概念と共に、上で話してきた思考を巡らし思案すべきだと、私は思うております。

ミニマリストになるためという目的だけが先行して、捨ててはいけなかったものを捨てたりして、生活出来なくなったなんて、笑えない話です。



昔、ピン芸人のヒロシさんが
「ヒロシです。生活を楽にするために、色々な物を捨てました・・・生活出来なくなりました。」
というネタを披露されましたが、ギャグやネタで留めて置くべきです。
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段階的に断捨離した結果としてのミニマリストが丁度良い塩梅

物欲を断ちきるという、仏教的な生き方の実践として、一気に断捨離する事は、それはそれで一つの有効な方法です。

でも、「いきなりはちょっと・・・。」という人の方が多いのではないでしょうか。

そういう人の場合は、いきなりミニマリストを目指して、なんでもかんでも断捨離してしまうと、激しく後悔する要因となります。



この話を踏まえ、私は社会で生活する上でのミニマリストやミニマリズムというのは、
:段階的な断捨離の結果、断捨離の先に結果としてついてくるもの
と言う頂き方をしております。

物欲や煩悩を減らすため、丁寧に断捨離を始めると、本当に必要な物や要らない物が見えてきます。
(丁寧に、というのがポイントです。)

その過程で、自分が生活するために必要なものも見えてきます。

そこまでの段階に来たら、一旦断捨離をやめて、そこからは極力物を増やさない生活を維持するという物との付き合い方を生きるのです。



以上の事から「断捨離の結果や断捨離の先にあるミニマリストという在り方」が、現代社会・娑婆世界で生きる上での良い塩梅ではないか、私はそのように思うております。



必要な物まで、間違って断捨離してしまわない工夫でもありますから、断捨離の結果論としてのミニマリストが丁度良いと勝手に思うておるのですが、如何でしょうか。

禅寺の雲水さんや修行僧は究極的なミニマリストだと思うけど

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現在の日本において、究極的なミニマリズムの実践者、ミニマリストだと思う人達と言えば、私は「雲水さん・禅の修行僧」を連想致します。

禅寺に修行のために訪れ、入門を許された際、その時から所持が許されているものは、生活するために必要最低限のものだけだそうです。

禅僧が修業時代を書いて下さっていた本で知ったのですが、修行中の禅僧・雲水さんが基本的に持つ事が許されるのは「三衣一鉢(さんえいっぱち)」と呼ばれるものだけです。

在る北陸のお寺にいらっしゃる禅僧の話によると、持ち物検査も厳しいそうですよ。

禅宗の雲水さんの他にも、宗派や原始仏教なり上座部仏教も、生活に必要最低限の物しか持たずに修行をされているところもあります。
ただ、これはお寺という環境や修行僧達が共同生活をしている事や、「修行僧が修行に専念するため」という目的など色々な要素があり、生活出来る仕組みが長い歴史を経て確立されていますから、これだけの少ない物でも生活出来るという側面も観ておく必要があります。

修行僧的なミニマリストを最終的に目指してみる、視野に入れておくくらいは良いと思いますが、娑婆世界に居る私たちが、いきなり真似出来る事とは思えません。

いきなりそれを実現しようとして、生活出来なくなったり周囲に迷惑が及べば本末転倒です。

修行僧が持っていらっしゃる持ち物は、生活するには必要最低限、何があれば良いのか、という指標なり参考にはなりますから、そのような見方をすると良いでしょう。



それを思うと、やはり「断捨離を段階的に実践した結果としてミニマリストになった」というのが、現代社会での上手なミニマリストの在り方ではないか、改めてそう思います。



上手なミニマリストとなるための話を、こちらにまとめて御座います。

参照:「シンプルライフなミニマリスト情報まとめ」

合わせて学んで頂ければ、捗ると思います。



合掌

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