有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
前回は、ミニマリストとは何か、その意味と段階的な断捨離からの結果としてのミニマリストが良い塩梅であるとお伝え致しました。
いきなり「ミニマリストになる!」と意気込む前に、1度目を通して頂くと、断捨離と結果としての生活も捗るのではないかと思います。
参照:「ミニマリストとは断捨離の結果の在り方」
前回の表題では、ミニマリストと断捨離の関係を中心とした話を展開しております。
ミニマリスト生活を送る智慧といえはそうですが、どちらかというと方法論というよりは気をつけるべき事を中心にお伝え致しました。
今回は、ミニマリスト生活に行き着いた結果や、ミニマリスト生活に至るまでの過程で出る可能性がある弊害や注意点をお伝え致します。
ミニマリスト生活は良い面だけではなく弊害や落とし穴も
断捨離を実践していき、ミニマリストの生活が実現すれば、色々と良い面も出てくるというのは、自己啓発的なミニマリスト本や実践者達のブログからも読み取れます。私の場合、極端なミニマリスト生活をしてはおりませんが、必要な物以外は買わない暮らし、持たない暮らしを実践中であり、断捨離の結果論としてそうなりつつあります。
もっとも、どこかで歯止めは掛けますし、ミニマリストになるという目的ありきでは無い事は、前回お話しした通りです。
ミニマリスト生活の実現は、確かに
:物欲が減って物に惑わされなくなる
:シンプルライフも同時に実現出来る
などのメリット・良い面もあります。
シンプルライフという在り方や生き方を目指して断捨離を始めたら、徐々に持たない暮らしのミニマリスト生活となった、が理想的な境地でしょうか。
今気がつきましたが、「物欲に支配されないシンプルライフを実現するために断捨離から始めよう」という前提があり、その結果としてのミニマリスト生活の実現が理想的な気がします。
目指すのであれば、禅僧・雲水さん達の生活や持たない暮らしは究極的な境地として捉えて、丁度良い断捨離の結果としてのミニマリスト生活が、娑婆世界での良い塩梅に思えます。
さて、そうしてミニマリスト生活を目指して実践し始めた、あるいはある程度その生活が実現した場合の話です。
断捨離は、本当に生きていくために必要な物は何なのか、自分は何を大切にしているのか、という事も内観出来るきっかけとなります。
また、限りある少ない物を大切に使う習慣が身につけば、それは禅的生活の実践であり、禅的プチ修行とも言えます。
物を持たない暮らしによって掃除も楽になるという実利が、ミニマリストの生活に観る事が出来ます。
己の物欲に気づき、物やセールスに惑わされないシンプルライフありきのミニマリスト生活は、快適であったり、人によっては幸福感を得られるやもしれません。
でも、ミニマリスト生活にはこうした良い面もありますが、弊害や注意点もあります。
その事について、私からは仏教の智慧を拝借しながら2つに絞ってお伝えして生きます。
ミニマリスト生活の弊害や注意点1:断捨離の加減がわからないと生活に支障を来す
ミニマリスト生活で陥る可能性がある弊害や注意点その1は、:やり過ぎると生活に支障を来す
です。
以前に話した芸人さんのギャグにある話にもありましたね。
生活しやすくするために色々な物を捨てたら、生活出来なくなった、というやつです。
これは、断捨離がブームだからといって「よし、俺も断捨離だ!」「私も断捨離に挑戦!」と、勢い余って捨ててはいけない物を捨ててしまうという行動にも観られる現象です。
そもそもとして、断捨離もミニマリスト生活もシンプルライフも、ブームでやるもんじゃないと私は思うのですがね。
必要があってとか、一旦自分の持ち物や大切な物は何かを点検したり、生活改善の目的がある等の目的ありきでやるものです。
そういった目的意識なく、がむしゃらな勢いで加減が分からずにミニマリスト生活を一気に目指して断捨離を敢行すると、生活出来なくなる恐れがあります。
仏教には両極端を知ったり体験した上で「中道(ちゅうどう)」を目指すという考え方や教えがあります。
しかし、「中道」のために極端を知るという目的があるとしても、在家で娑婆世界にて仕事を持っていたりご家庭を持っていらっしゃる人が「ミニマリスト生活に入る!」と、なんでもかんでもいきなり極端に断捨離するのは考え物です。
確かに、究極的には冷蔵庫などの家電は無くても生活しようと思えば出来ます。
:食材はその日食べる分だけしか調達しない
:保存が効かない物は買わない
などの工夫で、確かに乗り切ることは出来ます。
私としては、この「その日食べる分だけを調達する」という生活の仕方そのものは、実践したいものですがね。
でも、多くの場合は仕事の関係や環境の都合上、それが難しい人もいらっしゃるでしょう。
そういう環境の人が無理に冷蔵庫まで処分してしまうと、生活に支障を来しかねません。
それに、特に家族がいらっしゃる場合は、それに付き合わされる家族はたまったもんじゃないという事態だって、あり得る話です。
確かに、中には夫婦で断捨離による持たない暮らしを実践し、ミニマリスト生活を上手い事やりくりされている例もあります。
そういった実例はありますが、それは夫婦が了承し合っている事によります。
次の話にも繋がりますが、自分も、そして家族も生活出来なるような本末転倒レベルのミニマリスト生活に陥らないように注意しなければいけません。
娑婆世界・現代社会の世を生きる人間としてのミニマリスト生活は「バランス・丁度良さ」が大切です。
生活出来なくなり、生活に支障を来すレベルのミニマリスト生活に陥らない工夫をしないと、こういった弊害にしてやられます。
工夫のこつとしては、段階的な断捨離する際に最初の段階で
:これは捨てない、これは必要だから
という、断捨離しない物や必要なものを見極めておく事です。
参照:「断捨離実践のコツと効果まとめ」

ミニマリスト生活の弊害や注意点2:至上主義に陥った時の宗教的な怖さと弊害
ミニマリスト生活で陥る可能性がある弊害や注意点その2は、:ミニマリスト至上主義に陥って、他人に自慢したり強要する怖さ
です。
これは、何事にも陥る可能性がある事柄で、特に自己啓発系や宗教に嵌まった人に垣間見ることが出来る現象です。
例えば、自己啓発本を読んで、それを実践中だったり、実践してなんらかの成果と運良くご縁があった場合に、自慢したりひけらかしたくなる衝動を感じたことってありませんか?
実際に自慢してしまったという経験を持っていたり、自己啓発本の知識を、さも自分の知識の如く吹聴する人もいるものです。
私にとっても耳が痛い話で、毎日の勤行時に反省させていた抱き続けるばかりであります。
ミニマリスト生活を実践し始まる、あるいは実践中であったり、ある程度実現出来た際に、この現象に陥っていないかどうか、定期的にチェックしておきたいところです。
さもないと、
「あいつ、ミニマリスト生活をやたら自慢してくる、うざい。」
なんて思われたり言われたりしかねません。
この「知識を自慢する」「実践者である自分は凄いと自慢する」という事を、私は
:智者の振る舞いをする愚者
と勝手に名付けております。
「智者の振る舞い」というのは、浄土宗の勤行をされている方ならば「一枚起請文(いちまいきしょうもん)」を毎日読まれるでしょうから、ご存じの言葉だと思われます。
私は、この「智者の振る舞い」を色々な頂き方をしておりますが、
:知識をひけらかしたり実践している事を自慢すること
このような頂き方もして、己の戒めとして毎日頂いております。
他には「智者の振る舞い」の解釈として「賢ぶる」「知識人ぶっている」という頂き方もしております。
今回の話で言えば
「ミニマリスト生活をしていないお前らは馬鹿だ!」
という、そんな事を言う人の事や、そのような態度で生きている人を指します。
また、酷い場合ですと、
「ミニマリスト生活は最高だ、お前もやれ!」
と、人に強引に勧めたり、強要したりする傲慢な事をしでかしてしまう恐れもあります。
このような振る舞いは他者意識の欠如のなせる業であり「慢(まん)」の煩悩に支配された憐れな振る舞いです。
もしあなたが、ミニマリスト生活を目指していたり、これから目指している、またはある程度成就していらっしゃるならば、一度今回の話を参考に、顧みられては如何でしょうか。
何事においてもそうではありますが、ミニマリスト生活を実践されるなら、己を顧みる「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という禅語を念頭においての実践が望ましいと、私は思うております。
今回は、ミニマリスト生活の弊害について話を展開致しましたが、メリットや具体的な方法論は、こちらにまとめておきました。
参照:「シンプルライフなミニマリスト情報まとめ」
合わせて学んで頂く事で、上手なミニマリスト生活の営みや、シンプルライフを実現出来るであろうと思われます。
合掌