物欲がないのは危険か|善悪よりも物欲との距離を問うべし

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

物欲というと、世間一般では「悪い欲や煩悩」というイメージで、認識されている事が多いかと存じます。
405730 物欲に支配されたままでいると、お金も貯まりませんし、不要品で家が散らかるなど、確かにあまり良い結果となるとは思えないのも理解出来ます。



一方で、最近は物欲がないことや、欲しいものがない事の方が悪である、という論調も出て来ております。

貪欲であることや欲張ることが大切である、等の論説は、自己啓発系の本やビジネス書でも、しばしば見受けられます。

それが行き過ぎるから、具合の悪いことになるのですがね。



物欲は悪と言い過ぎてきた事に対するアンチテーゼ(反証・反論)も、一方ではあって宜しかろうとは思いますが、これだとダブルバインドという状態になる人が出て来かねません。

結局どっちだ、と、混乱していらっしゃる方がいても、不思議ではない状況になっているような、そんな気配を感じます。



そこで、物欲は危険であったり悪か、善悪はいかに、という事も含めて、仏教の視点から物欲を改めて観ていくことと致します。

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物欲は悪い欲で危険であるか?

物欲は悪いもの、と言うイメージなり認識を持っている人は、現代社会において結構いらっしゃるのではないかとお見受け致します。

一方で、現代の娑婆世界では、お金を出せばオッケー、という消費者体質が根付いている人も多いでしょうから、物欲を悪と思わない人も、また多かろうと思われます。

白黒はっきりさせて割り切る事が推奨されている現代社会においては、その間(はざま)で揺れ動いている人は、この「物欲の善悪」を決めかねているために、悩んでいたり苦しんでいたりするのであろうと、私は考えております。



私なりの結論から申し上げますと、
:物欲に善悪はない
という立ち位置におります。



物欲は、仏教の視点から観ると、「欲」とあることからも、仏法が説く人の根源的な煩悩の一つである「三毒」の一つ「貪欲(とんよく)」に分類出来ます。

「貪欲」とは、読んで字の如く、欲望のままに貪る、という意味です。



この煩悩に支配されているのが、このお堂(ブログ)でもたびたびお伝えしております、我利我利亡者や餓鬼の類いです。

私は、人の姿形をしていても、最早人ならざる者として観る色眼鏡を自覚的に使っております。

言うなれば、「人間辞めますか、我利我利亡者・餓鬼辞めますか」といったところです。



確かに、貪欲なり物欲に支配されている状態、際限なく物を欲しがる事は、現代社会においても悪と見なされるのは致し方有りません。

ただ、物欲そのものは生理的欲求なり生存するために必要な部分もあるので、一概に悪とは言い切れません。

欲は悪とみられがちですが、禅的な思考であったり、仏教の視点を拝借すれば、物欲それ事態を人の賢しらな物差しで、善悪と二元論的に割り切る事は出来ないものです。

仏教の基本的な教えの一つ「少欲(しょうよくちそく)」に、このことを垣間見ることが出来ます。

「無欲」ではなく、あくまで「少欲」としているところからも、おわかり頂けるかと存じます。



例えば、食べ物に対する物欲は、食欲という生理的欲求と密接に関わってきます。

それゆえに、食べ物が欲しいという物欲まで悪だと否定しまうのは極端でしょうが、そうなると生存できなくなります。

また、出家した修行僧ではなく、我々は娑婆世界で暮らしている在家の日暮らし者でありますから、必要最低限の物を揃えるくらいの物欲まで悪とすれば、これまた生活出来なくなります。

もしも「物欲が旺盛な私は悪い奴だ、危険な輩だ」と自己嫌悪に陥っている人は、まずは「そもそも物欲を持つことは悪いことか」と、問うことからはじめてみては如何でしょうか。
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物欲がないのは悪で危険か?

物欲は悪い、という認識を持っている人も多いかと思いきや、現在は「物欲がないことは、実は危険である」という見方も御座います。

ご丁寧に、その事に関してNEVERまとめなどで、物欲がないことがいかに危険か、心の闇が反映されている状態だとか、まとめて下さっている人もいます。

物欲がないことを危険視して、物欲を取り戻す方法を教えて下さる方もいて、なんとも物欲という欲は、捉えどころがなさそうに思えてきます。



私なりの結論から申し上げますと、これも
:物欲がないことに、善悪はなし
というところです。



確かに、物欲が完全になく、製造に必要なものさえ欲しがらないというのは、生活出来なくなりますから考え物です。

お笑い芸人のヒロシさんが、「生活しやすくするために、ものを捨てていきました。生活出来なくなりました。ヒロシです、ヒロシです・・・」というネタを披露されたことがありますが、それを実際にやると笑えなくなります。

恐らく、物欲がない事、物欲を完全に失うということが危険だという人は、このような事も想定されての事でありましょう。



また、自己啓発的な物欲がないことの危険性を色々と読んで観ると、このような感じでした。

:物欲がないと、お金がかからないがつまらない
:諦めや妥協が含まれていて、積極性が失われるから危険
:手に入らない言い訳をしているだけ
:気力がなくて疲れている事の現れ
:罪悪感を感じて自分に価値がないという事の表出

ざっと見渡してみたところ、物欲がないことを危険である理由は、こんなところです。



私の見方としましては、「これは物欲だけの問題か?」と思うたものですが、あなたはどのように思われたでしょうか。

中には、なんだかこじつけ的な事も感じるなあ、と思おうたものです。

物欲がないとつまらない、というのは、なんだかこじつけのような気が致します。

物欲を持ってお金を掛けなくたって、つまる生き方や在り方の人もいらっしゃいますからね。



大体、物欲がない事が危険でしたら、己の煩悩や欲と正面から向き合って煩悩との適切な距離を保ったり、本当に滅した修行僧や僧侶は、危険だと言われかねない話です。

もしも、己の物欲と向き合う機会があり、物欲について調べている時に「物欲がないことは危険」という話にいきついたら、それこそ危険だとも思えます。

だって、それが己の物欲を肯定したり、酷い場合は「物欲旺盛な自分は正しいんだ」と、更に物欲に支配されかねません。



物欲を悪だと決めつけるのも、物欲がないことを危険視する事も、偏りすぎてはどうやら具合が悪そうです。
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物欲は悪であったり危険かという二元論ではなく、大切なのは距離感

物欲それ自体について、私は善悪はない、善悪を勝手に決めているのは人間の物差しでの見方である、というのが、今のところの結論と言いますか、立ち位置で御座います。



私だって物欲はありますし、物欲を完全になくしてはおりません。

周囲の人から「君は物欲がないな」と、言われている事からも、出来るだけ小さくはなってきておるという実感は御座います。

元々、物を欲しがらない性格も手伝って、仏教と再会してからは、特にそうなってきました。



ただ、だからといって「物欲がないと言われる私は素晴らしい」なんて傲慢な事は申し上げません。

私は「ただ、物をあまり欲しがらなくなっている」という状態であるだけで、そこに善悪は御座いません。

新聞やテレビCMなどの広告が眼に入る事はありますが、それらに流されないように訓練しているため、巷で流行っている商品・製品に興味を示さないだけの話です。

その反動ではありませんけれども、仏教に関連する本を中心に、本は結構な頻度で購入させて頂いておるから、物欲ゼロではない事を自覚しております。



私は、大切な事は、
:物欲という欲との距離感
であると、考えております。



「貪欲」という煩悩に支配された上での物欲全開な状態は、確かに危険です。

各々の財源も限りが有るでしょうし、生活空間を物で溢れかえらせてしまったら、それはそれで生活出来なくなります。

「物欲がない事は、積極性や生きる気力がない証拠だから危険だ」と、それを鵜呑みにして物欲を肯定しすぎるのも、確かに考えものです。



かといって、物欲は悪だと決めつけて、物欲を完全になくして、生活必需品まで全て捨て去る事は、それはそれで考えものであります。



極端を知って中道を探るというのも、仏教的な方法ではありましょう。

実際、禅寺で修行をされる雲水さんや、原始仏教が息づいている地域の僧侶達は、生きる上で必要最低限の物しかもたない暮らしをされていますからね。

自分はそれが出来るからやる、と言い張るのであれば、止めは致しませんが、日本社会の在家として、娑婆世界で働きながらという人は、かなり難しくて現実的な方法とは言いにくいことでありましょう。

いくら断捨離ブームだからと言って、全てを捨てきるのは、現代社会では現実的とは言えません。



断捨離について触れましたから、断捨離の話と絡めますと。



このお堂(ブログ)でお伝えしております、断捨離を実践したり、シンプルライフなミニマリスト生活を心がけるには、物欲との距離感を知って置く事は大切です。

断捨離をしながら、あるいはシンプルライフなミニマリスト生活を探りな、己の物欲と向き合うと言う事は、物欲という煩悩との距離感を掴む、よいきっかけにはなります。

どれくらいの断捨離が、自分にとって最適なシンプルライフなりミニマリスト生活になるかは、物欲との距離感を知る事は、欠かせない事であろうかと存じます。

参照:「断捨離の意味とコツを仏教から学ぶ」

参照2:「断捨離実践のコツと効果まとめ」

参照3:「断捨離実践のコツと効果まとめ|個別事例編」



大切な事は、物欲を悪だと決めつけてなくすことではなく、かといって物欲がないのは危険だからと言い訳がましく肯定することでもなく、適切な距離感を保つ事です。



物欲に善悪なし、距離感や大小・濃淡をきちんと把握しておく事。



これが、上手な物欲という煩悩と共に生きる術として力となる概念ではないか、そのように私は頂いております。
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物欲がない事に悩み、そのことで自分は悪いと落ち込んでいる人へ

今回は、物欲の善悪と、物欲がない事は危険であるか否か、と言う事について、私なりの考え方や頂き方をお伝え致しました。

ここへ行き着かれた方の中には、「物欲がない自分は、どこかおかしいのではないか」と、自己嫌悪の果てに来られたかもしれません。



上でお伝えしております通り、「物欲そのものにも、物欲がないことそのものにも、善悪はなし」と言うのが、現段階における私の立ち位置です。

大切な事は、物欲との距離感です。

物欲の大小や濃淡を知る事、と言い換えてもよろしいでしょう。



そして、物欲がないことに悩んでいたり、逆に物欲にまみれていることに悩んで、この文章を読まれているあなたは、悪くありません。

あなたは、悪くない。



そもそもとして、己の物欲と向き合ったから、なんとなく自覚が芽生えたからこそ、このお堂(ブログ)を訪れて下さった事とお見受け致します。

それはつまり、この時点で「己の物欲と向き合う、自覚する」と言う事を果たしている事でもあるのです。

この段階で、すでにあなたは、物欲に関する悩み、物欲がない事の悩みについて、きちんと己を問う事が出来ているのですから、そこは安心材料と思って頂いて差し支え御座いません。

仏教の言葉で言うなれば、「安心(あんじん)を得る」ということです。



大切な事ですから、もう一度言います。

「己の物欲と向き合い自覚されたあなたは、悪くない。」



シンプルライフなミニマリスト生活についても触れましたから、その話もこちらでお伝えしております、と情報を提示しておきます。

参照:「シンプルライフなミニマリスト情報まとめ」

参照2:「断捨離とミニマリストとシンプルライフの関係性」



また、物欲を刺激する高揚感という感覚感性や概念についても、学ばれておくと力となるかと存じます。

参照:「高揚感の意味と使い方の例文|知っておくべき注意点」

参照2:「高揚の意味と学んでおくべき注意点」

参照3:「買わない生活のコツは高揚感の自覚にあり」



このお堂(ブログ)が、適切な物欲という煩悩との距離感を保ち、貪欲に支配されぬ智慧を頂かれることの一歩目となれましたら、大変嬉しゅう御座います。







合掌

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