有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
前回は、物欲の善悪についてと、物欲がないことは危険であるかどうか、についてお伝えしております。
物欲は、日本の現代社会で教育を受けて育ってきたならば、どうしたってある程度は持ってしまうものであろうかと考えられます。
現代の娑婆世界では、お客様の物欲を喚起する、物欲を刺激して高揚感を得ている間に一気にたたみかけてお金を奪い取ろうとする輩がはびこっておりますからね。
「奪い取ろうとする輩」という表現を使っているのは、私の悪意によるものであるという自覚はあります。
とにもかくにも、消費勧告するような宣伝が渦巻いている現代社会において、物欲を持たずに生きろというのが、難しい世の中で御座います。
更に、お金を出せば物欲を満たせるというシステム(仕組み)が構築されておりますから、ますます物欲とは離れがたい煩悩であり、この煩悩が燃えさかる仕組みが出来上がっておると、感じる事に御座います。
だからこそ、物欲に支配されない、物欲に振り回されないための智慧から知恵を身につけておくことは、大切な事であろうかと存じます。
物欲に振り回されず支配されない智慧というと、現代社会では物欲を抑える智慧と言い換えても、通用しそうです。
今回は、前回の話と共に物欲について学び、物欲に振り回されず、良い塩梅に物欲を抑える智慧を、お伝え致します。
物欲を抑える方法の前に基礎知識を学ぶ
物欲を抑える方法を早く知りたい、と、はやる気持ちをお持ちかもしれません。しかし、仏教的なアプローチと言いますか、順序や段階を踏む事も大切であります。
ここでは、まずは「物欲とはなんぞや」から、もう一度おさらい的に問い直してみる事に致しましょう。
はやる気持ちに気づいて、じっくり順序立てて待つ訓練をするのも、実は物欲を抑える方法に繋がりますから、実はここからすでに、物欲を抑える智慧を頂きながら訓練する事が始まっております。
まず、物欲とは何か、と申しますと、意味は字面からもおわかり頂けるかと存じます。
物欲の意味は、
:物を欲すること
です。
このことを、もっと的確にした文字が「物慾」です。
物を欲する心、物を欲しいと思う心、という事が、この漢字が表してくれています。
私は「物欲」は「物慾」と読み解いた方が、より物欲を抑える力になり、同時に心の動きをきちんと把握する事に繋がる、という味わいを頂いております。
ただ、ここではわかりやすく「物欲」にとういつしておきますから、概念として念頭に置いて頂ければ幸いです。
物欲は、現代社会で在家として生きていると、どうしても周囲の環境や教育によって、大なり小なり個体差はあっても持ち合わせる事でありましょう。
絶対にいない、とはもうしませんが、物欲が完全にゼロという人は、殆どいないであろうと思います。
ゆえに、「物欲は悪」とすれば、殆どの人が悪となってしまいます。
最も、浄土仏教ではこの「悪人性の自覚」を大切にしている教えが御座いますから、「物欲は悪、を悪と見なす」というのも、これまた問う事になるのですがね。
この辺り、仏教の揺さぶりや問いを立てて下さる智慧という事に、私は深い味わいと有り難さ、そして尊さを感じるところで御座います。
話が逸れそうですから、ここで一旦区切りますが、「物欲とは物を欲する心(物慾)であり、物欲それ自体は悪ではない」という意味付けを、まずは知っておいて欲しいところであります。

現代社会は物欲を抑えるのが難しく振り回されやすい状態
物欲は、現代の日本社会で生まれ育ち、何年何十年と教育を受けて、日本のシステム(仕組み)に乗っかって生きてきたならば、どうしたって物欲を持ち、その物欲もある程度は育つものであろうと、私は考えております。浄土真宗本願寺派の僧侶であられる釈徹宗さんは、「消費者体質」という言葉を用いて、今回の話に関連する事柄を、的確に説いて下さっています。
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お金を出せば物欲を満たせるというシステム(仕組み)は、物欲を抑える事が難しいという事と、全く関係のないことではないだろうと、私は観ております。
ちなみにこの「お世話され上手」は、釈徹宗さんの自分語りの本であり、その上で仏教の話もされていますが、とても受け取りやすい形にして届けて下さっていると、私は感じた本で御座います。
もちろん、受け取り側の受け取り方に、最終的には委ねるところでありますがね。
ただ、冒頭で「仏教を原液で飲むのは危険であり、怖い」と書かれている通り、その怖さを上手いこと和らげて仏教の話や仏法を届ける事を為される辺り、流石、釈徹宗さんと思いました。
話を戻しまして。
そもそもとして、道具という物を使って生きているのが人であり人間ですから、どうしたって物を欲しがる心も、ある程度は芽生えてくるものです。
そうではない人もゼロではないでしょうけれども、この文章を読んで下さるあなたは、少なくとも大なり小なり物欲をお持ちでありましょう。
だからこそ、物欲について向き合うために、このお堂(ブログ)を尋ねて下さったのでありましょうし。
そして厄介な事に、現代社会は特にその物欲を抑えることが難しい社会となっております。
これは、あくまで私の勝手な考えですけれども、物質的に豊かになりすぎたからこそ、物欲を抑えるのが難しくなるような状況に陥っている、という事も考えられます。
現代社会は、物質的に豊かでありますし、もうすでにこれ以上物がなくても、生きていく上では困ることは殆ど御座いません。
だからこそ、もっと儲けたり利益を追求しようとなると、物欲を刺激したり高揚感を覚えてくれるように煽らなければならなくなってきます。
そうすると、物を売るため、お金を出させるための技術なり方法が開発され、それが上手な人なり企業も出て来ます。
読んだだけで買いたくなるセールスレターなど、その典型でありましょう。
プロフェッショナルや専門家は、物欲なり高揚感を刺激する事を四六時中研究開発していますし、ビジネスパーソンも同じようなものであろうかと思います。
彼らは日々研鑚し、物欲や高揚感を刺激して煽り立てる手法に、磨きを掛けているのです。
それが彼らの仕事・業務ですし、そうしないと生活の糧を得られないから、一方では致し方ない事情もあろうかとは察します。
詐欺師が人を騙すことを四六時中考えて研究しているのと同列にするのは無礼かと存じますが、根っこには共通する部分も御座いましょう。
そのようなプロフェッショナルに、素人が物欲を抑える事を付け焼き刃で学んでも、太刀打ちできないのはやむを得ません。
このような事から、私は現代社会は、物欲を抑える事は難しく、物欲に振り回されやすい状況であると、考えているわけです。
ただ、だからといって完全に丸腰の無防備でいていい、というのは早計であろうかと存じます。
そこで、物欲に振り回されず、何とか物欲を抑える方法を身につけるために、仏教から智慧を借りてみましょう。
物欲を抑える方法1:自己の物欲を問う
物欲を抑える方法は色々ありますが、ここでは仏教の智慧と共に、三つにしぼってお伝え致します。物欲を抑える方法の一つ目は、
:まずは自己と物欲の距離感を問う
ことです。
要するに、「一歩目として自己の物欲をきちんと問う事」です。
この文章を読んでいるあなたは、これは恐らく既に為されております。
「え?まじで?」と思われるかも知れませんが、断言出来ます、あなたはすでに物欲を抑える仏教の智慧由来の方法の一つ目を、きちんと為せています。
だって、物欲について調べていらっしゃる過程で、このお堂(ブログ)に来て下さっているのでありましょう。
それはつまり前提として、「自分の物欲」と向き合われたか問われたか、が為されているからこそ、ここにいらっしゃるのです。
だから、すでに一歩目は踏み出していらっしゃることを、誇ると言いますか、自信を持って頂いても宜しいかと存じます。

物欲を抑える方法2:欲しがる時を見逃さない観察眼を養う
物欲を抑える方法の二つ目は、:物を欲しいと思ったその瞬間を見逃さない観察眼を養う
ということです。
物欲が沸いたその時を見逃さない観察眼を、鍛え養うというと、なんだか仰々しいことを言っているかと思われるかもしれません。
ただ、修行なり訓練を専門的に出来れば、それに越したことは御座いませんが、そこまでしなくても「気づく事」を大切にして生きていれば、自ずとなせていきます。
これは、例えば町を歩いていて何かが眼についたり、通販番組を観ていて、思わず「欲しい」と思ったときに、一旦立ち止まって己の物欲や衝動、刺激されている高揚感に気づきましょう、という事です。
気づきや自覚は、仏教が大切にしている概念で、その方法として瞑想がありますし、現在でしたら宗教色を極力薄めたマインドフルネスなども御座います。
そこまでしなくても、何かを欲しいと思ったときに、ふと立ち止まって一旦自分を見つめ直しましょう、ということです。
方法1で、己の物欲と向き合ったり問い直す事が出来ている人ならば、わりとすんなりと出来ていくことではないかと思われます。
もちろん、直観と直感は大切ですし、二念を継ぐ前に物事を見極めるという事の大切さは、仏法を学べば到達する事でも御座います。
人間の賢しらな物差しで観る前に、直観する事は大切な事であります。
ただ、それはきちんと訓練なり修行が為されたり、観察眼をしっかり磨いたという土台があってこそ、というのが、私の持論であります。
もちろん、このことさえも私という人間の勝手な色眼鏡による物差しということは、自覚しておかないと行けませんがね。
修行や訓練をしておらず、娑婆世界で日常生活を送っている人でしたら、その観察眼を始めから持ち合わせているとは考えにくいことです。
そうであるならば、物欲を抑える方法としては、まずは物欲を刺激されたり心を動かされている自己を見逃さない観察眼を養うことから始めるのが順序よいのではないか、と存じます。
通販番組でしたら、観なければ良いのですが、仕事の行き帰りなどで町を出歩くと、どうしても何らかの刺激物と遭遇することが御座います。
その時に、どこまで自己の物欲を抑えるための気づきをなせるかが肝要です。
この辺りは、高揚感や刺激について学んで頂くと、より理解が深まります。
参照:「高揚感の意味と使い方の例文|知っておくべき注意点」
参照2:「高揚の意味と学んでおくべき注意点」
参照3:「買わない生活のコツは高揚感の自覚にあり」

物欲を抑える方法3:必要な物か欲しい物かを見極める
物欲を抑える方法の三つ目は、:本当に必要な物か、単に欲しい物かを見極める
です。
是は、一つ目と二つ目の智慧から続いてくる事柄ですね。
例えば、私の場合でしたら、私はPC(パソコン)は、業務上どうしても使いますから、壊れたりすれば買わねばなりません。
物欲がどうのこうのではなく、生活するために必要な業務をするわけですから、「必要な物」です。
また、本についてですが、特に仏教関連の本は「欲しい物」でありますが、同時に私の場合は業務にも関わるから、「必要な物」でもあります。
「必要な物」という要素があるために、購入する事にしております。
「必要な物」は、人によっては全く違ってきますから、これは各々できちんと見極めて頂く事になります。
そして、必要な物という要素が全く無く、単に「有ったら便利」とか「なくても良いけれども欲しい物」は何かを、きちんと見極めておくべきです。
何かが眼に入ったときや情報が入ってきたとき、「これは本当に自分にとって必要であるか、単に有ったら便利なだけで欲しいと思っているだけか」という、自分の心の動きや物欲の在り方を問うのです。
そうすることで、物欲を抑える事に繋がり、物欲に振り回されず、余計なお金も使わずに済みます。
物欲を抑える振り回されるあなたは悪くないが、物欲を抑える事は大切
物欲を抑える方法として、仏教の智慧を用いるならば、その根本であったり支えとなる教えに、「少欲知足(しょうよくちそく)」が御座います。「少欲知足」につきましては、このお堂(ブログ)でも、伝え方を変えてたびたびお伝えしております。
参照:「シンプルライフなミニマリスト情報まとめ」
参照2:「断捨離実践のコツと効果まとめ」
参照3:「持たない暮らしによるシンプルライフの参考本3冊」
消費者体質を植え付けられやすく、消費者体質で物欲を抑えることが難しくなってきている物質社会においては、肝要な教えでありましょう。
「少欲知足」の在り方を実践する事は、物欲を抑える事に繋がりますし、そこから色々な煩わしい欲、煩悩に支配されない智慧となります。
ただ、「自分は全然少欲知足になれない」「自分は物欲を抑えることが難しい、物欲まみれだ」と、自己嫌悪に陥っている方も、いらっしゃるやもしれません。
その人に、私は申し上げたい事が御座います。
「あなたは、悪くない」
上で申し上げました通り、現代社会は、物欲を抑えるどころか、物欲を刺激して消費を喚起する事が研究され実践されています。
実践者は、それを四六時中研究して上手に使ってくるのですから、素人が太刀打ちするのは難しいというのは、仕方のない部分も多々御座います。
「悪霊がいっぱい・ゴーストハント」という作品の主人公、渋谷一也というキャラクターは、「詐欺に引っかからない一番の方法は、詐欺の手口を知り尽くす事だ」という台詞を発しています。
それはそれで、確かに聞くべき意見ですが、その追いかけっこをしてみたら、四六時中研究している人に追いつけるとは、とても思えません。
これは、一つの方法論として認識しつつ、自分の根本から物欲を抑える智慧を学び、実践する方が、現実的で御座いましょう。
こちらの物欲や高揚感を刺激してくる輩は、それだけの労力と時間を使って磨きをかけています。
敵わなくても無理もない話です。
ゆえに、それに煽られる事自体、あなたは悪くありません。
ただ、だからこそ防衛手段なり物欲を抑える方法や智慧を身につけて置く事を、大切にする、このような塩梅が宜しいかと存じます。
合掌