謙虚の意味は「卑屈」ではない|二つの実践例と注意点

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたの周りに「あの人は謙虚な人だなあ。」と思える、実に謙虚な人はいらっしゃるでしょうか。
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人とお付き合いをするならば、傲慢な人よりも謙虚な人の方が良いというのが、恐らく一般的な価値観でしょうし、私もそう思う一人です。



謙虚な人になるにはどうしたらよいのか、その需要は現代社会でも一定数あるようで、謙虚になる人になる方法を書いた本も結構あります。

私が読む仏教の本、禅の本にも、謙虚な人になるにはどうすれば良いのか、その方法や心構えなども沢山指南されています。

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謙虚の意味

「謙虚な人になるにはどんな方法があるのか?」「謙虚さを身につけよう!」
と、克己心を発す(おこす)事は大変結構な事です。



仏教の言葉を言うならば「発願心」「求道心」に該当するかと頂いております。



では、「謙虚な人」「謙虚さ」、そもそも「謙虚」とは何であり、どのような意味でしょうか。

この辺りの意味や概念をしっかりと学ばずに、漠然とした観念や定義でしか捉えてず、「謙虚そうに見える人」「傲慢さを隠すためのごまかし」になってしまっては危険です。



私が思う謙虚さや謙虚な人というのは
:奥ゆかしさ、奥ゆかしさがあること
です。



控えめな人という頂き方も出来ますが、「控えめで奥ゆかしさがあり、尚且つ強さも同時に兼ね備えた人」が謙虚な人だと私は考えており、現段階ではそのように定義づけております。

私は全然なっておらず、まだまだ修行が足らん煩悩具足の凡夫でしかありませんから、私も精進致します。



謙虚な人になりたい、謙虚さを身につけたい、というのであれば、
「控えめで奥ゆかしいさを身につけている人」
このような人物像を目指す事になります。

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謙虚の意味を知り、謙虚な人になるには難しい事をする必要はない

謙虚さや、謙虚な人という意味・定義を踏まえた上で、次の話です。



「傲慢な人にはなりたくない!」「謙虚な人になるにはどうしたらよいのだろう?」という疑問や願望って、あなたにもあるかもしれません。

このお堂(ブログ)に来て下さった時点で、多少なりとも謙虚な人になりたいと思い、「謙虚な人になる方法」に興味をお持ちではないでしょうか。



謙虚な人になるには、別段、複雑で難しい事をする必要はありません。



現在では、謙虚な人になるための講座なりセミナー、研修も充実しています。

それこそ、謙虚な人になる方法と言いますか、そのように見える方法を説いた本やセミナーは探せばあるものです。

謙虚さを身につけるためには、確かに講座やコンサルタントから技術論や形から入る方法もあります。

ありますが、わざわざそのようなコンサルタントのセミナーや講座にお金を掛けなくても、日常生活で意識するだけで身につける事が出来ます。

謙虚な人になる方法その1:食事の挨拶を丁寧にする

謙虚さを身につけた謙虚な人になる方法として、私も実践している事が
:食事時、合掌と「いただきます」「ごちそうさま」を丁寧にする
というのが、一つ目の方法です。



この食事時の挨拶、合掌しながら「いただきます」と「ごちそうさま」をおろそかにしている人っていませんか?

特に、外食先では気恥ずかしさもあってか、なかなか出来ないという事もあるようです。



私の場合は、食前には浄土宗の「食前の言葉」を合掌して唱えてから、食事を頂く習慣でおります。

「ごちそうさま」も、浄土宗の「食後の言葉」を合掌しながら唱えます。



参考までに浄土宗の「食前の言葉」をお伝えさせて頂きます。

:われここに食をうく、つつしみて天地の恵みと人々の労を謝し奉る(十念)いただきます
:われここに食を終わりて心豊かに力に満つ、おのがつとめに勤しみ誓ってご恩に報い奉らん(十念)ごちそうさまでした

「十念」とは、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)を十回称えるという、浄土宗の特徴的なエトス(行為様式)です。



それに加えて、私は食事を頂く前に、まず仏さん用の器に盛って、仏壇に食事を持っていき、そこでも念仏を称えさせて頂いております。

先に阿弥陀様やご先祖に食して頂いてから、そのお下がりを有り難く頂戴する、という事です。

果物などお供えできるもの、土産物や頂き物は、うちではまず仏壇にお供えしてから、お下がりを頂くという習慣をつけており、食事の際もそのようにしております。

ご自宅に仏壇がある方は、ここまでやられると良いかと思います。



その時に、ただ形式上仕方なくやるのでは無く「丁寧に食前と食後の言葉を思いながら唱える」という事が大切です。

浄土宗の言葉にある通り、目の前にある食事は、天地の恵みと幾重もの労というご縁によって頂く事が出来る、大変有り難く尊いものであります。

その事に対して「全てのご縁に感謝致します。」という、感謝を常に忘れぬ事、それは謙虚さであり、謙虚な人になる事に繋がるのだと、私は味わい頂いております。



以前でも話しましたが、これは「おかげさま」を常に忘れぬ在り方です。

参照:「謙虚さの身につけ方と謙虚な姿勢を忘れない仏教の知恵」



「おかげさま、という謙虚な心」という言葉があるくらいに、「おかげさま」の心を大切にすることは、謙虚さを兼ね備えた謙虚な人に繋がるのです。

そのために、まず毎日の食事において「いただきます」「ごちそうさま」を丁寧に合掌して行う、ここから始めることを提案致します。
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謙虚な人になる方法その2:傲慢な人になりそうな瞬間を見逃さず観察して制御する

謙虚な人の対極的な言葉や概念と言えば、「傲慢な人」です。

謙虚な人になる事を目指すのは結構ですが、一方で傲慢な人にならないという工夫も必要です。



「いただきます」「ごちそうさま」も、きっちり出来るようになっても、色々な縁や時節によっては傲慢さが顔を出すことがあるのが、煩悩まみれである人間、煩悩具足なる凡夫の性です。



仕事で上手く行ったり、突発的に稼げたり、調子が良かったりすると、ついつい傲慢さが顔を出す事ってありませんか?

そういうときに「俺の実力だ」と勘違いや錯覚をしてしまい、それを周囲に出してしまうのが、傲慢な人の特徴です。

まさに、謙虚な人の対極である特徴であり、傲慢な人の在り方です。



そこで、謙虚な人になる方法の二つ目は
:傲慢さが顔を出して、傲慢な人になりそうな瞬間を見逃さずに観察して制御する
という事です。



仕事の成功や上手く行った時、自慢したくなる衝動が発生する事もあるでしょう。

人間である以上、どうしても「自分が最も可愛い」という性質があるために、それは仕方ありません。

このことについては、釈尊(ゴーダマ・ブッダ、お釈迦様のこと)も説いていらっしゃることで御座います。



問題は、その後の振る舞いや言動です。



自慢してしまったら、奥ゆかしさが感じられませんし、謙虚な人とは周囲の人も思わないでしょう。

そういう場面に出くわしたら、「あ、今自分は傲慢さが顔を出している。」と、冷静に観察する事です。



そして「この成果、成功は、確かに私も関係者であることは事実だが、色々なご縁や時節、私以外の人々の協力や労に助けて頂いたから、今がある。」と、「おかげさま」に目を向けます。

そうすることで、自慢したがる傲慢さを制御するのです。



ここで重要なポイントは「私なんて・・・」と、自分はその成果に無関係と決めつけないことです。

その仕事の成功は、あなたが関わったことも事実なのですから、その事実をねじ曲げる行為は謙虚な人のする事ではありません。

自慢も鼻につきますが、安易に自分を否定する行為や思考も考え物です。



それに「詐欺師症候群の特徴や症状」で話した、詐欺師症候群の重度なところに陥る可能性がありますからね。

卑屈である事と、謙虚さや奥ゆかしさとは違います。



己の関係も認める、でもおかげさまを決して忘れずに感謝奉る、そうして傲慢さを制御していく、このことが重要です。
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謙虚な人になる方法は、謙虚の意味を知り今すぐ出来る事から始める

謙虚な人になる方法をまとめると
:食事の時の挨拶を丁寧にする
:傲慢さが顔を出しそうなときは「おかげさま」を思い出す
です。



謙虚な人になるには、無駄とは言いませんが、関連本を買い漁ったりセミナー通いする必要はありません。

それよりも、今すぐ出来る事を着実に行い、そして継続して自然な振る舞いになるまでに習慣づける事です。
(私への戒めとしての言葉でもあります。)



「おかげさま」を常に意識できるようになれば、自ずと謙虚さが身についた謙虚な人であり続けられる、そのように私は思います。



合掌

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