有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは、傲慢な人や横柄な人を見かけると、「謙虚さが足りないやつだな。」「あの人は謙虚さが足りない!」と思う事って、御座いませんか?
かくいう私も、そう思うたびにしばしば己を省みて「謙虚さがない人間だなあ、今、人様を批判的に見てしまった。」と、反省することが御座います。。
謙虚の意味とは、「偉ぶらない、自分を偉いと思わずにいる姿勢」というのが、国語辞典的な意味です。
「謙虚な姿勢を保ったままでいたい!」「謙虚な人でありたい!」「謙虚な人になるにはどうしたら良いのだろう?」という願望を持つ人も多くいるように感じます。
そのような世相は、そうした関連の本も幾つも出版されている辺りからも、読み取る事が出来ます。
仏教には、慎みや謙虚さを身につける知恵が沢山あります。
今回は、謙虚な人になるにはどうしたら良いか、謙虚さを身につける方法論について、仏教由来のある一つの姿勢や在り方をヒントにお伝えしていきます。
謙虚な人になるには「おかげさま」という在り方がヒント
謙虚な人になるのは、どうすればよいのか。在家仏教者である私が常に心がけ実践している、謙虚さを身につける方法となるヒントが御座います。
それは、
:お陰様(おかげさま)
という言葉と概念です。
謙虚さを身につける方法や謙虚な人になる方法につきましては、、色々な方法論が巷に御座います。
謙虚な人になるには、「謙虚さ診断」とか「謙虚さがなくなる14の兆候」を学ぶべし、話も見聞き致します。
確かに、「謙虚さがなくなる14の兆候」を読んで観ると、「なるほどなあ」と私も思いました。
「謙虚さがなくなる14の徴候」の一部を紹介致しますと、
・挨拶が雑だったり、挨拶を全くしない
・他人、社会に対して批判しだす
とありましたが、確かに私も同感しております。
娑婆世界には、挨拶をせずにいる人も御座います。
中には、「毎朝、きちんと挨拶をしましょう。」と、子供や生徒に指導している立ち位置にいるのに、ご自身は挨拶を全くしないという教員もいたりするものです。
実際、私の高校時代にも、そのような学校教員・教師がちらほらおりました。
全くもって、反省材料として、我々は読んで字の如く「反面教師」として活用させて頂く次第で御座います。
このように、挨拶が雑どころか全くしない人は、言葉遣いも態度も姿勢も横柄で、とてもじゃないけれど謙虚な人とは思えなかったという事は、体験からも把握しております。
しかし、この私の言説は、他人への批判だから、これはこれで私も謙虚さが足りませんね。
ちなみに「挨拶」は禅語であり、仏教由来の言葉です。
「挨拶」という言葉の源流は、禅の書である「碧巌録」に出て来ます。
「碧巌録」には、
:一挨一拶、深浅(しんせん)を見んことを要す
とあります。
これは「挨」とおして、「拶」と押し返すという公案(禅問答のこと)の場面を表す言葉です。
それが時代と言葉自体のさすらいを経て、現在の「おはよう御座います。」「さようなら。」という挨拶になりました。
「挨拶」という言葉は、禅語の本や仏教用語の本には大体載っている言葉ですから、一度開いて観られると良いでしょう。
「挨拶」について長くなりましたが、挨拶をするという事は、謙虚な人になるには大切な概念であり、外せないことでありますから、外せない事柄であると思うたゆえに、丁寧に話をさせて頂きました。
逆説的に考えて、挨拶を丁寧にする事や他人をみだりに批判しないと言う事は、けんきょな人になるには有用な在り方です。
さて、挨拶の話を展開したところで、最初の話です。
挨拶に関連する事柄である、仏教の智慧をたった一つ実践するだけで、謙虚さの身に付け方を学び、一歩踏み出すことが出来ます。
それが、
:お陰様(おかげさま)
という考え方・概念です。

「お陰様(おかげさま)」という言葉自体は、あなたも見聞きされていることでしょう。
もしかしたら、すでに日常的に使われているやもしれません。
あなたも「お元気そうですね。」と言われた時に「おかげさまで。」と挨拶したりやり取りした経験は、御座いませんか?
その経験をお持ちであるならば、あなたはすでに、謙虚な人になる素地をお持ちであると、私はお見受け致します。
謙虚な人になるには、限定的なものではない「おかげさま」を学ぶべし
私が常日頃から心がけている、この「おかげさま」ですが、ここで「お陰様って、一体誰のお陰なの?」という疑問を持つ人もいらっしゃるでしょう。仏教における「お陰様(おかげさま)」は、「諸法無我(しょほうむが)」に通じており、仏様や人様、大自然への感謝を込めた言葉として伝えて下さっています。
それを踏まえて、私の場合の「お陰様(おかげさま)」は、
:生きとし生けるもの、この世の全ての現象
に対しての「おかげさま」です。
これは決して大げさなことでは無く、今まさに「当たり前」にやっていることを、つぶさに観ていけば、みえてきます。
例えば、今、こうしてこの文章を執筆させて頂いている事も、マウスやディスプレイ、コンピューターなどの機材を創ってくれた人の「おかげさま」です。
また、指を動かすエネルギー源となる食べ物を作って下さった方々の「おかげさま」とのご縁を賜ったから、こうしてこの文章を一文字一文字執筆することが出来ているのです。
もっと広げていけば、どれだけの「おかげさま」に支えられて、私たちは生きているのか、その「有り難さ」を感じ取ることが出来るはずです。
挨拶としての「おかげさま」は、どうしても目の前の相手だけに限定された挨拶になりがちです。
もちろん、目の前の相手とのご縁にも感謝して、「お陰様で」とお声がけすることも大切です。
仕事でも家庭でも「お陰様で、有難う」の一言は、無財の七施「言辞施(げんじせ)」の実践でもあり、円滑な人間関係と良縁を結ぶ事に直結します。
更に無財の七施である「和顔施(わげんせ)」を実践すれば、笑顔で感謝の気持ちを表した「おかげさま」となりましょう。
その上で、目の前の相手だけではなく、謙虚さを身につける方法や訓練として、
:生きとし生けるもの全てに感謝して「おかげさま」
という、仏教の智慧を大切にしていくのです。
そうすれば、謙虚な姿勢を忘れず、謙虚な人になっていくことが出来るのではないか、私はこのように「おかげさま」を味わい、頂いておる次第です。

謙虚な人になるには、特別な事をする必要は無い
人に不快感を与えない、謙虚な人であり続けるための姿勢や在り方は、何も特別な事をする必要はありません。社会に出れば社員研修などで、御辞儀の角度や名刺の渡し方に始まるマナー研修もあるでしょうし、形から入る謙虚さの身につけ方もあるでしょう。
仏教では「身・口・意」といって、「身」つまり身体を整えたり形から入る事の大切さも説いています。
それはそれで、娑婆世界で生きていくために必要な習わしではありますから、覚えておくことは大切です。
でも、そこにはやはり「意」「心」が入ってこそ生きてくるものです。
まずは実践しやすい「お陰様(おかげさま)」という、仏教由来の知恵を実践する事から始めて見ては如何でしょうか。
「お陰様・おかげさま」の意識を広げて、感謝申し上げる日暮らしは、お金を掛けずとも出来ますし、まさに今すぐ出来ることで御座います。
研修やセミナーに勤しんで、謙虚な人になるにはどうすべきか、その有り様を研究するのも結構な事です。
結構な事ではありますが、まずは身近なところへの「おかげさま」を思う事から始める事は、易しく始められて、優しく謙虚な人になれる一歩だと思うております。
合掌