「いただきます」の意味を改めて味わう

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

このお堂(ブログ)では、何度か「いただきます」「ごちそうさま」について、お伝えしてきております。
432254 私は、「いただきます」と「ごちそうさま」のエトス(行為様式・習慣・風習)と、その意味は、とても大切にしたいと考えている次第で御座います。



近年は、その「いただきます」のエトスや意味が、継承されていかないのではないか、という危惧もあり、それにまつわる話も聞いたことがあります。

先日も、西本願寺の聞法会館で浄土真宗本願寺派のお坊さんから、まつわる話を頂きました。

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「いただきます」のエトスも意味も継承されるどころか・・・

私が先日伺った、浄土真宗本願寺派のお坊さんから聞いた話は、このようなものです。



東京のどこかにある小学校の話だったのですが、給食の時に「いただきます」の代わりに、「ピー!」と先生が笛を吹いて、その笛の合図で一斉に食べる、という事になっているそうです。

なんでも、「いただきますって、誰に頂きますと言っているのか分からない」とか「宗教行為を、うちの子に強制しないで欲しい」など、そのような事が事から、笛の合図による食べ始めとなったとか。



また、実家が真宗・浄土真宗のお寺さんである永六輔さんの話にも、こんなのがありました。

「給食費を払っているのだから、いただきます、を言う必要無し、言わせるとは何事だ。」と、そのような親御さんもいらっしゃったとか、そのような話です。



私は最初「ほんまかいな。」と思うたものですが、そのような話がちらほらと出てくる以上、本当にある場面も御座るのでしょう。

火の無いところに煙はたたんとは、よく言ったものであります。



私としては、冗談であって欲しい、本当はそんな話は無かった、と、思いたいところです。
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「いただきます」が、本当にこのような形で消滅していくとは、私は考えにくいとは思いますが、合掌して「いただきます」というエトス(行為様式)を持たぬまま育つ人もいるという可能性が見出されます。

「給食費を払っているのだから、いただきますを言わせるのはいただけない」という事については、私の頭と精神が未熟ゆえか、よくわからない理論であったり致します。

「給食費を払っているのだから」という思考でしたら、「お金を払っているからレストランで「いただきます」「ごちそうさま」を、わざわざ言う必要は無い。」とおっしゃる可能性もありそうです。



この思考でしたら「お金を払っているのだから」で、全て解決されてしまいそうな気が致しますがね。

その親の姿を見て「お金を払ったのだから、何をやってもよい」という子供が育ち、大人になってもそのような在り方でいくとすれば、何とも言えん恐ろしさも感じるところであります。



私は、レストランやカフェでも、食事を頂く際には、店員さんに合掌して御礼申し上げ、浄土宗の「食前のことば」を称えさせて頂いております。

ゆえに、そのような私の姿を見たら「キモい」と、ひそひそと、あるいは指さして笑われるので御座いましょう。

指を指すのは、月だけにして仏法を学ぶ機会にして頂きたいものであります。

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「いただきます」の意味は「いのちをいただきます」という意味

合掌して「いただきます」というエトス(行為様式・習慣)が、身についていない人でしたら、そもそも「いただきます」の意味も考える機会も無いのでは、そのように私には思えます。



そもそも「いただきます」の意味とは、一体何でありましょうか。



私は、各宗派の食前・食後の言葉に、それが集約されているとも考えており、特に禅宗の食前・食後の言葉が、本質を教えて下さっていると味わい、頂いております。



私は基本的に食事の際は、浄土宗の食前・食後の言葉を称えさせて頂いておりますが、朝の勤行では仏壇の前で、仕事に向かう前に禅宗の「五観の偈(ごかんのげ)」を称えさせて頂いております。

また、「いただきます」という言葉には、「命を頂くという御縁」という意味も教えて下さっている、そのように感じております。



給食でもレストランでも自宅での食事でも、目の前にご用意頂いた食事・食べ物は、自然の慈しみであります。

自然の慈しみは、自然界の全ての事柄であり、肉や魚だけでは無く草木にも命があり、それを頂いています。

日本には自然信仰のパトス(精神性)・宗教性が根付いてきた歴史がありますから、植物も大切な命であると頂くのは、自然な事に感じます。



そして、この事から「自然界の全ての大切な命をいただきます」という意味が、「いただきます」に込められている、私はそのように味わい、頂いておる次第であります。



仏教の言葉に「山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)」があります。

この言葉は、「いただきます」とは違う文脈で語られる言葉であり、禅語としても紹介されることが御座います。

しかし私は、「いただきます」の意味を味わい、感謝して食べ物を頂く際には、この言葉を大切にしたいと思うております。

「いただきます」には、「仏性有りき草木の命を、こうして頂ける事の有り難さに感謝致します」という意味が込められている、と、「山川草木悉有仏性」から見出しております。
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消費者体質が染みつき、合理性に偏重して、合掌「いただきます」のパトスが失われていないか

現代社会は、特に合理性や我利を得るために偏重してきていないか、そのように感じる事がしばしば御座います。

上で取り上げた例「給食費を払っているのだから」「お金を払ってるから」という下りは、まさにその典型でありましょう。

消費者体質が染みついて、それこそ物言わぬ金銭に「お金に物を言わせる」というような事をしでかしている気が致します。



合理性を追求することは、進化発展のためにやむを得ないこともあるでしょうし、それが良い方に作用することも確かに御座います。

しかし、あまりにも合理性に偏重しすぎて、全て合理的なシステムにしてしまうと、パトス(精神性)を育む事も、パトスを育むエトス(行為様式)も廃れてしまわないか、その事を危惧しております。



合理的に考えましたら、確かに食事をする際、わざわざ「いただきます」と合掌して挨拶してからよりも、省いて締まった方が速く食事にありつけることでありましょう。

しかしそれだと、合掌して「いただきます」の意味や精神性を学ぶ機会が失われてしまいます。



食べ物を粗末にしない、食べられる事に感謝するというパトス(精神性)を、合掌して「いただきます」というエトス(行為様式)によって育む。

昔から培ってきた日本的な食事の在り方として、私は継承していきたい、そのように思う事に御座います。
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「いただきます」の意味を改めて味わいたい

学校では「いただきます」というエトスが排除され、「いただきます」の意味を教える機会も減っているような、そんな話を聞いたときには、幾許かの寂しさを覚えてものであります。



確かに、食事の様式は個々に由るところでありましょうから、「いただきます」を強制する事は、私には出来ません。

しかし、それでも「いただきます」というエトスと、その意味を子供達が学べる機会が失われてしまうのは、なんとも言えぬ寂しさを感じるものであります。

そうならぬためには、大人が合掌して「いただきます」というエトスを、確かな形で続けていき、その背中をみせることが大切では無いか、私はそのように考えております。



そして、もしもその姿を見た子供が「ねえねえ、どうして手を合わせて、いただきます、って言うの?」と聞いてくれたら、命の大切さや、命を頂いている事への感謝を、伝える大切な機会となるのではないかと思います。

この「命の大切さ、命に感謝するいただきます」については、曹洞宗の禅僧であられる、枡野俊明さんも「禅と食」で伝えて下さっています。

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枡野俊明さんは「禅と食」にて、

「いただきます」は、私達の生を支えてくれている、あらゆる命に対する感謝をあらわすもの

と、伝えて下さっています。



自然の慈しみ、自然界のあらゆる命が、私達の「生きる」を支えてくれている、その事への感謝の言葉と行為様式が、「合掌、いただきます」という意味です。

私も、枡野俊明さんが伝えて下さる、この「いただきます」の意味に共感しており増して、大切に味わわせて頂いておる次第であります。



私の「生きる」を支えてくれる命に、感謝申し上げる。

このことは、謙虚さや奥ゆかしさも育む、大切な在り方ではないかと、私には思えるのです。



もしも現在、「いただきます」が習慣として根付いていないならば、改めて「いただきます」の意味や行為の意味を、考えないしたいものであります。

また、「いただきます」の習慣がある人も、今一度その意味を改めて味わってみては如何でしょうか。



尚、「いただきます」については、このお堂(ブログ)でも何度か取り上げて参りました。

参照:「「いただきます」と「ごちそうさま」を言わない時代?」

参照2:「「いただきます」で謙虚な人の心を育む食育の智慧」

参照3:「「いただきます」の英語表現は「らきすた」から学んだ」



「いただきます」の意味を改めて考え、味わうきっかけになりましたら、嬉しゅう御座います。



合掌

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