「いただきます」と「ごちそうさま」を言わない時代?

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは食事の際「いただきます」と「ごちそうさま」を、合掌と共に言葉を発されるでしょうか?
261172以前、サンマルクカフェという珈琲店で、友人と店に入ったときのことです。

私は外食の時、宗教の自由がありますから、浄土宗の食前の偈や禅宗の「五観の偈」を無理に付き合わせることはありません。

一人で「み光のもとに感謝して頂きます、南無阿弥陀仏」と、簡略化した食事の偈を称えさせて頂いてから、食事を頂いたり珈琲を頂くようにしております。



そんな折、友人は別に私の真似をするわけではなく、自然と合掌して「いただきます」と食前の挨拶をしてから、珈琲に手を付けられていました。

その姿を見て、改めて「いただきます」と「ごちそうさま」について、この言葉は継承していきたい、そのような事を思うたものです。

スポンサーリンク

「いただきます」「ごちそうさま」を言わない時代と言われている

私は、大切な事だと思うておりますから、改めてもう一度あなたに問います。



あなたは、食前と食後に合掌して「いただきます」「ごちそうさま」を言われますか?



最近は、インターネット上のニュースや色々な書籍でも、
「最近は子供も、大人でも「いただきます」「ごちそうさま」を言わない時代だ」
なんて情報を目にする事があります。

確かに、外食時に「いただきます」「ごちそうさま」と言わない人を見聞きすることはあります。

外食時は、気恥ずかしい、とか、そんな錯覚が邪魔をしているからでしょう。



私自身、全然外食しないから観る機会が滅多にないだけでしょうが、それでも外食では「いただきます」も「ごちそうさま」も言わない人は多いように思います。

だからか、店員さんに店を後にする時「ごちそうさま」とお客様を見かけると、なんだかほっとします。

ほっとするのは、私の煩悩、分別によるものでしょうけれども、その自覚があっても、意図せずほっとするのです。



現在は、「いただきますとごちそうさまが死語に」という話さえあります。

本当かどうかわかりませんが、中には
「給食費を払っているのに、いただきますとごちそうさまを言わせないで頂戴!」
というクレームを言う人もいるという話も御座います。

食事の挨拶は言わないけれども、クレームは言うのですね。



ちなみに、このクレームについて、J.W.ニコルさんは「それは違うだろう。」と、呆れられていましたし、私も同じような感性を持っております。

092757

「いただきます」と「ごちそうさま」を大人が言わないから、子供も言わないように育つのではなかろうか

大人が子供の前で「いただきます」「ごちそうさま」を言わないでそのまま食事に手を付けると、子供も言わない習慣が身についてしまうと言うのは理解出来ます。



現在は、子供のための食事教育「食育」が盛んに叫ばれていますが、まずは大人に食育を施す必要があるのやもしれません。



「いただきます」「ごちそうさま」について、言う言わないの議論は水掛け論になりますし、私が強制する事は出来ません。

でも、あくまで私個別の意見としては、
「いただきます、ごちそうさまって、綺麗な日本語だと思う。それを言わないで伝承が途絶えるのは、なんだか勿体ない。」
と、思うところであります。



私は、大人がしっかりと「いただきます」「ごちそうさま」と言う習慣を付けて、子供達に継承していきたい文化だと考えております。

しかし、大人がきちんとそこから始める習慣が無いと、子供達にもなかなか根付かないし、継承していく事ができません。

そして、そういう大人が増えているから、どんどん「いただきます、ごちそうさま、を言わない時代」と言われている、そんな気がします。
スポンサーリンク

「いただきます」と「ごちそうさま」の意味を学び直す

そもそもとして「いただきます」と「ごちそうさま」という言葉は、どのような意味かご存じでしょうか。



国語辞典的な意味は、それこそ辞書に訊くなりWikipediaにもなっていますから、調べればサクッと意味は調べられます。

「いただきます」は「頂きます」と、「ごちそうさま」は「ご馳走様」と言う漢字をあてまして、これは仏教伝来の言葉とも言われています。



「いただきます・頂きます」は諸説ありますが、
:命を頂戴する時に感謝の意を表す
:食という恵みを与えて下さる神仏・人に対して食物を掲げていた事に由来する
などの語源や意味があります。



細かいことを言えば「いただきます」が食材への感謝を表す意味とする由来は、浄土真宗にあるという説もあります。

私が御法話で教えて頂いた真宗の食前の言葉「みひかりのもとに、我今幸いにこの浄き食を受く、頂きます」というものがあります。

真宗・浄土真宗には近江商人の話にあるように「させていただく」という独特な言い回しもありますから、真実である可能性は十二分にあります。



「ごちそうさま・ご馳走様」の意味は、
:食事を調えるのにあちらこちらと走り回る(馳走)から
というのが語源です。

そこから「食事を整えて下さった方へ感謝申し上げます。」という意味になっています。



このことから「いただきます」「ごちそうさま」には、食材・食物と、食事に関わって頂いた全ての物事や人・言うなれば「天地の恵み」に感謝する言葉であり、意味があります。



私が「美しい言葉」と感じるのは、そのような文脈がDNAに刻まれ受け継がれてきたからかもしれません。

「いただきます」「ごちそうさま」を言わない時代らしい

上でもお伝え致しました通り、現在はなかなか「いただきます」と「ごちそうさま」を言わない時代であると言われます。

全てのご家庭を回ったり、全ての人の食前食後を観たわけではありませんから、確実な事は言えませんが、確かに合理性や効率化の叫ばれる現代社会では、あり得る話です。



私の友人は、お寺関連の保育園で過ごし、そこでは確実に「いただきます」と「ごちそうさま」を合掌してお唱えしていた、と、話てくれたことがあります。
098923
大切な事は、幼稚園だけではなく、身近な大人である親御さんが習慣化して、家庭の食卓でもきちんと子供に見せることではないか、そのような事を私は考えております。



現代社会において、新聞でもよく「食育は大切」「子供にしっかり食育を」と、食育の大切さが叫ばれています。

食育インストラクターという資格もあり、宣伝されていると言う事は、それだけ人気もあるということなのでしょう。

しかし、確かに野菜の栄養価などの知識も大切ですが、それよりも食に対する在り方」から、大人側が学びなおす必要があるのではないかと、私は頂いております。

その上で、大人が見本となる背中をみせて、子供と一緒にそのエトス(行為様式)を習慣づける事が大切ではないでしょうか。

エトス(行為様式)というのは、もちろん「合掌、いただきます」「合掌、ごちそうさまでした。」ということです。



私は、食前にはまず仏壇にご飯をお供えさせて頂き「われここに食を受く、つつしみて・・・」と称えた後に十念と「いただきます」と浄土宗の食前の言葉を申し上げます。

一旦、阿弥陀様・仏様やご先祖様に食して頂いてから、そのお下がりを頂く、という行為様式です。

「ご馳走様」も「われここに食を終わりて、心豊かに力身に満つ・・・」と十念の後に「ごちそうさま」です。



流石に、ここまでするのは宗教的行為様式であるがゆえに、全てのご家庭では無理があるかもしれません。

でも、合掌して「いただきます」「ごちそうさま」は、直ぐにでも出来る行為です。



合掌「頂きます」「ご馳走様」から始まる食習慣を身につけて、食に感謝する在り方を子供と共に身につける事は、大切な食育の始まりではないか、私はそのように思うのです。



そうする事で、食材に感謝して食事に謙虚で居られる、そこから更に感謝と謙虚さを兼ね備える、そのように子供が育つ事に繋がるのではないか、私はそう考えております。

あくまで、可能性ではありますが、ゼロとは言えないでしょう。



「いただきます」「ごちそうさま」を言わないのは、食育への影響としてもよろしくなく、そして何より、美しい言葉と合掌の姿が継承されず廃れてしまうのは、なんだか勿体ない気がします。

食への感謝の言葉を言わない日常から、きちんと合掌して称える食習慣・食生活を身につけた日常へ、そのように見直される時代であって欲しいものです。



合掌

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加