慇懃無礼の意味|失敗しないための辞書に載っていない仏教の智慧

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

以前に「させていただく・させていただきます」という表現について話した事があります。
135182 また、「させていただきます症候群」という表現について、症候群という言い方はどうなんだろう、という話も致しました。

最近の風潮や流行なのでしょうか、なんでも行きすぎたものを「症候群」とか「シンドローム」と表現することは。



それに関連する言葉に、丁寧な表現をしようというあまりに敬語も度が過ぎる事を、
:慇懃無礼(いんぎんぶれい)
と言います。

なんでもかんでも「させて頂きます」「させていただく」と表現する事は、敬語の使い方としても間違いであり、丁寧過ぎる表現は無礼にも聞こえるということですね。



確かに、相手を馬鹿にするために、あえて丁寧すぎる表現や敬語を重ねすぎるという、本来的な意味での慇懃無礼な人もいることは確かです。

でも、単に丁寧に接しようとする思いやりのあまりに、慇懃無礼な表現になってしまう人もいますから、難しいところだと私は思うている部分もあります。

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そもそも慇懃無礼とは何ぞや?意味と事例を学ぶ

慇懃無礼とは何か、まずは意味を学びましょう。



慇懃無礼(いんぎんぶれい)とは、
:慇懃(丁寧であること、礼儀正しいこと)
:無礼(失礼、例を損なっていること)
という、二つの言葉が合わさっている言葉です。



一言で表現するなら、慇懃無礼とは
:丁寧過ぎて逆に失礼なこと
:丁寧の度が過ぎて、かえって嫌味に見えること
という意味です。

敬語も重ねすぎたり、あまりに丁寧過ぎたら、かえってなんだか無礼であったり馬鹿にされているように見えるとか、そのような意味の言葉です。



わかりやすい事例をあげるならば、例えば肩がぶつかったりしたときに「どこにおめめをおつけでいらしてあられるので御座いますか?」なんて言い回しは、慇懃無礼と言えるのではないか、と勝手に思うております。

ちなみにこの話は、「世にも奇妙な物語」の「ネチラタ事件」をヒントに思いついた例です。



私は、慇懃無礼と一口に言っても、これは受取る側の感じ方や思考も関係するという事も、忘れてはならないと考えております。

以前話した「させていただく・させていただきます」という表現も、受け取り側にとって反応も違うでしょう。

脊髄反射的な反応をする人ならば、「させていただくとは、国語的に間違っているし、慇懃無礼だ!」と感じて、気分を害す人もいらっしゃるでしょう。

相手がそういうヒトデあるかどうかと言うことを察するのも大切ですが、受け取る側としては、そのような脊髄反射的な反応をしないように、心がけたいものです。



仏教を学び、真宗・浄土真宗や近江商人の在り方を知っている人なら、「真宗のご門徒さんかな。」と、ワンクッション置くという配慮も出来ます。
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私ならば、こういう配慮が出来る在り方で、おりたいものです。



ゆえに、受け取る方の受け取り方や、言葉を受け取る度量も、無視出来ない要素であると、私は「慇懃無礼」の意味を学びながら、考えている事で御座います。

慇懃無礼により相手を傷つけぬために、使い方や事例から学ぶ事も確かに大切

言葉や敬語表現を受け取る側によって、慇懃無礼だと言われたりそうでなかったりするものですから、この辺りは難しいところです。

でも、だからといって学ばないでも良いかというと、そうもいかないものです。

相手を思いやる気持ち、慈悲の心を持って接していても、言葉で誤解を生み出したり、無礼な人、慇懃無礼な人とレッテルを貼られてしまうケースだってありますからね。



そこで、少しだけ事例を用いて一緒に学んでみましょう。



慇懃無礼の代表的な使い方の事例というのは、
:二重敬語や丁寧過ぎる言い回し
です。

よくある二重敬語となる使い方としては
「ご覧になられる」「仰られる」
等があります。



実は、今この文章を書いている時に、私はATOKを使っているのですが、「ご覧になられる」と入力したときに、「二重敬語」と警告してくれました。

「警告してくれた」というのも、人によっては慇懃無礼に聞こえるかもしれませんね、無機物に対して「~して頂きました」という表現ですから。

なんにせよ、最近では、ワープロソフトにもこのような機能があって、有り難い。



また、「お」や、敬称としての「さん」「様」の使い方も気をつけたいところです。

なんでもかんでも「お」をつけるのは、確かに違和感を覚える時もあります。

そのことについて、私の体験談として、このような実例も御座います。



私が子供の頃に、法事が終わってからの食事で料理屋に行ったのですが、そこで
「御ビール(おビール)で御座います。」
と、大人の人達へ提供していた仲居さんを思い出しました。

なんでも「お」をつければ良いわけでは無いと言う典型的な事例です。



また、これは私も京都の民ゆえによくやるのですが、無機物や企業に「さん付け」をする事があります。

京都の訛りがある人が「お豆さん」やら「おいもさん」やら「(会社名)さん」と言われる場合は「あ、京都出身の方だ」とわかりますから、私はむしろ嬉しくなります。
嬉しくなるのは私の煩悩ですが。



このような事例があり、風習やその土地独特の表現の仕方であり習慣という事も御座いますから、私は底まで目くじらを立てることはないと思うております。

「お日様」や「お天道さまが見ていらっしゃる」というのも、宗教的な意味合いなり慣習がありますから、それを「慇懃無礼だ」とは私は思えません。



それに、飲食物に「お」や「さん」を付けるのは、そしてそれに携わった数々のご縁へ感謝する事にも繋がります。

だから、私個人としては飲食物に「お」や「さん」を付ける事は、違和感を覚える事はあっても、全否定したりとがめたりはしておりません。



丁寧に相手を持てなそうという、その在り方そのものは大切にしたいものです。



しかし一方で、慇懃無礼の話に戻せば、相手の会社を言うときに「(企業名)さんのご活躍は云々」というのは、間違った敬語表現であり慇懃無礼だ、と感じる人もいらっしゃいます。

それに、相手を慮って、丁寧に持てなすという気概や在り方は大切にしたいけれども、それも「他者意識」と、相手との絶妙な距離感があってこそです。

その辺り、距離感を見誤った丁寧さやおもてなしは、押しつけがましい「雑毒の善」になってしまいかねません。



おもてなしにもサービス提供にも、距離感を意識する事が大切です。

それが無い上に、丁寧過ぎる対応や言葉遣い、表現などは、いやみったらしくて慇懃無礼だと捉えられてしまう可能性もあるものです。



風習や慣習については、それはそれとして理解しながら、現代社会の敬語表現や「正しい使い方とされている使い方」を学んでおくことは必要です。



慇懃無礼な表現になりやすい使い方を要約すると、
:二重敬語にならないように気をつける
:「お」や「さん付け」に気をつける
という意識を持っておくと良いでしょう。
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慇懃無礼の意味を学び、「させていただく」の使いどころと在り方を知る

慇懃無礼の意味と例文や有り様を学んだところで、以前に表題としてお話し致しました「させていただきます」「させていただく」についても学ぶ事に致します。



最近では「させていただきます症候群」と、揶揄しているかのような言われ方もしています。

揶揄しているような、というのは、あくまで私がそう感じているという色眼鏡ではありますが。



国語的な敬語表現としては、
「許可を頂き、お休みさせて頂く事になりました。」
というように、許可を頂いた恩恵を言い表すときに使う言葉です。

ゆえに、国語辞典的な使い方に厳しくなると、おいそれと使えず、「させていただく」という言葉の使い所も決まってきます。



でも、真宗・浄土真宗や近江商人の在り方でもある「させて頂きます」「させていただく」というこの表現と在り方は、私自身は凄く大切にしております。



確かに、敬語表現としては、なんでもかんでも「させていただく」という表現を用いる事は、間違っている使い方かもしれません。

それはそれで事例を学び、慇懃無礼にならない使い方をするべきではあるでしょう。

それこそ、相手に慇懃無礼になるような使い方をしないように、慈悲の心を持って相手を慮り、相手を敬う在り方を持ってして使うべき言葉です。



ただ、私は「させていただく」というこの言い方と理念・思想や在り方そのものは、現代社会を生きる上で大切だと思うております。



特に、謙虚さを無意識に端においやってしまったり、我利我利亡者が多い近現代社会においては、大切ではないでしょうか。

商い、現代では「ビジネス」と言う方がわかりやすいでしょうが、ビジネスの現場ではそれが顕著に見られる場面もあります。

お客様からお金を取った上に「お前をお客様扱いしない、本来安売りしない俺様のサービスを売ってやったんだ、ありがたく思え。」と、ふんぞり返っている我利我利亡者がいるのが、悲しい娑婆世界の現状です。

実際に、そのような痛々しい我利我利亡者になってしまい、ついには詐欺的行為を働いた若き自称コンサルタントを見たこともあります。



そのような現代社会において、「させていただく」という言葉と在り方は非常に重要である、私はそのように考えております。



確かに、「させていただきます症候群」と言われるように、敬語の使い方としては間違いだと言える使い方の事例もありますし、慇懃無礼だと捉えられる事も御座いましょう。

でも、国語辞典的には間違った使い方としての「させていただく」を発してしまった人に対して「慇懃無礼だ!」といきなり目くじらを立てるのも、受け取り側の姿勢としてはどうかと思うのです。

受け取り側の度量や器も、問われることであるというのが、私の「慇懃無礼」という言葉の意味と概念の味わい方であり、頂き方で御座います。

相手が例え慇懃無礼であっても、こちらが更に無礼な怒り方をして応酬するのは、これはこれで考えものである、私はそのように考えております。



それを踏まえて。



「丁寧に接しようとしているんだな、でも、ちょっとずれちゃってるな。」と、温かい眼差し、仏教の無財の七施にある教え「目施(がんせ)」の眼差しでまずは見守る。

その後に、優しく丁寧に「させていただく・させていただきます、の使い方としてはですね・・・」と「諭させていただく」という順序が望ましいのではないでしょうか。



慇懃無礼とは何ぞや、という、その意味を考える時、同時に「敬語や言葉を発する側と受け取る側の両方の視点」を考えるようにしたいものです。



慇懃無礼という言葉の意味と概念と、同時に学びたい事場に「無礼講」が御座います。

参照:「無礼講の意味を学び本当に無礼にならぬ智慧」



また、慇懃無礼な敬語の使い方になったり、正しい敬語という概念も、こちらで同時に学んで頂く事で、より理解を深めて頂けるかと存じます。

参照:「させていただく症候群|正しい敬語か慇懃無礼で間違いか」

参照2:「「させていただく」の使い方|正しい敬語と注意点」



合わせてお読み頂く事で、言葉の意味と概念を、より学んで頂けるかと存じます。



合掌

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