有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは「高揚」という言葉について、どのような印象をお持ちでしょうか?
このブログ(お堂)でも、高揚感という言葉について、いつの日かお伝えした事も御座いますね。
「高揚感を覚える」とか「高揚している状態」というのは、何かしら興奮しているような印象が御座います。
高揚という言葉については、それ自体には善し悪しは御座いません。
ただ、人間はこの「高揚」という概念について、毒される危険もあるというのが、私が考えて気をつけたいと思う事で御座います。
高揚の意味
高揚という言葉の意味は、私が使っている語源辞典や国語辞典を紐解くと、そのままの意味が掲載されております。高揚の語源は、
:高(高い)+揚(あげる):気持ちがたかまること
とあり、意味もそのままですね。
気持ち・精神が昂ぶっている状態が、高揚という言葉の意味です。
「高揚」とは「昂揚」とも記しますから、何かしらの興奮状態であり、気持ちが昂ぶっている状態であることは、語感からも感じ取ることが出来ます。
私は、「高揚」よりも「昂揚」の方が、より気持ちの高ぶりが大きいように思います。
高揚という言葉の意味については、これくらいにしておきましょう。

高揚の注意点:高揚に毒されるのが人であると思うべし
高揚というのは、気持ちが昂ぶっていて、なんらかの興奮状態にある、という意味です。今回、高揚に毒されないための智慧を言う表題をつけておりますが、高揚そのものが悪いとはもうしません。
そもそもとして、高揚している状態や、高揚感を覚えている状態それ自体が、悪いわけではありませんし、高揚している状態や高揚感は、時として力を発揮する手助けにもなります。
例えば、試合前に大声を上げて気持ちを昂ぶらせる、高揚感を覚える状態にして試合に臨むボクサーの姿からも、それを感じる事が出来ます。
私は時々プロボクシングの世界戦を観戦させて頂いておりますが、ボクサーとセコンドが一緒に大声を張り上げてからリングに向かったり、リングに上がるシーンを見かけます。
大きな声を出すというのは、実は潜在能力を発揮したり、パニックの時は冷静さを取り戻す作用があると、大学時代にスポーツ科学の授業で教わったことがあります。
冷静な興奮状態を創り出す、という難しい事をやってのけるのが、洗練されたボクサーという見方をしていたりする私です。
このように、仕事やスポーツにおいて、何らかの高揚感なり気持ちの高ぶりを活用するというのは、最大のパフォーマンスを発揮するために重要な要素でもあります。
私も競技スポーツの経験が御座いますから、その辺りの体感を持っております。
確かに、高揚には人を力づけて力を発揮させる要素も御座いますから、一概に「高揚感は悪い」「高揚は悪の概念」とは私も申し上げる事は御座いません。
ただ、高揚した状態というのは時として毒となり、あなたを蝕むことも御座います。
高揚というのは、精神の動きであり、ある種の刺激です。
原始仏教僧侶であられる小池龍之介さん風に言うなれば「高揚という刺激は苦に通じる毒」と言ったところです。
高揚感や高揚している状態というのは、実は苦に繋がる毒となる刺激にもなり得るのです。
だからこそ、こうして私は高揚に毒されないように、という注意を呼びかけている次第であります。
高揚に毒されると色々なものを失ってしまいかねない事に注意する
高揚感全開であったり、高揚している状態は、力を発揮することもありますが、毒となるというのは、一体どのような事なのか。毒と言えば、仏教では「三毒(さんどく)」の教えがあると、このお堂(ブログ)でもたびたび申し上げております。
三毒とは「貪欲(とんよく)」「瞋恚(しんに)」「愚痴(ぐち)」です。
この中で、特に高揚と関係が深そうな毒と言えば、怒りの毒である「瞋恚」でありましょう。
高揚感全開であったり、昂揚している状態というのは、ちょっとした刺激に触れただけで爆発する、という事が御座います。
高揚している状態、高揚感が全開の時というのは、既に気持ちが昂ぶって刺激にまみれている状態です。
そこに更になんらかの刺激を加えたら、爆発するのは当然と言えるでしょう。
瞋恚以外にも、高揚している状態では冷静さを失っているために、貪欲や愚痴の行為もおかしてしまいやすいのです。
このような高揚という概念を悪用して、あなたから財を奪おうとしているのが、詐欺師や自己啓発セミナーなどです。
自己啓発セミナーなどでは、あなたを高揚した状態、高揚感全開にしておいて、財布の紐も全開にするという魂胆で開かれております。
必要も無いのに、わざわざ終わり頃にバックエンド商品を設置しているところに、その魂胆が見えます。
詐欺師の厄介なところは、似非であっても一応は心理学を学んでいたり、それを耐性の無い人達の高揚感を煽るくらいには、訓練されているところに御座います。
ゆえに、高揚という状態に精神を持って行かれたり、高揚感を煽りまくられて冷静な判断が出来なくなるストーリーに、耐性の無い人や防御する方法を身につけていない人は、簡単に絡め取られてしまうのです。
絡め取られてからでは時既に遅し、大切な時間と財産を、これらの詐欺師や我利我利亡者共に、奪われて後悔する羽目になります。
このように、高揚というのは一歩間違えれば毒と転じて、あなたの大切な財や時間などを奪ってしまいます。
そうして色々な物を失わないためにも、高揚の意味をしっかり学び、注意して付き合う必要があるのです。

高揚に毒されぬために意味を学び内観という智慧を学ぶ
高揚の意味と毒性については、一通り共に学んできました。人間にとって刺激は、苦に通じて毒と転じるものであると、仏教でも説かれております。
では、高揚という刺激と、どのように付き合っていけば良いのか、毒されぬための智慧は何なのか、ということです。
高揚に毒されぬためには、まずは高揚の意味を知る事からしっかり学びなおし、その上で
:自分が高揚している状態に気づけるように内観する
ことです。
内観とは、平たく言えば自己観察です。
自己観察の仕方については、このお堂(ブログ)でもたびたびお伝えしております。
瞑想や坐禅が、その代表的な内観法であり、上で少し話題にさせて頂いた、小池龍之介さんの瞑想法も、力を貸してくれますよ。
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最近出た本で、私が読みやすいと思ったのは、浄土宗僧侶の井上広法さんの「心理学を学んだお坊さんの幸せにミタされる練習」が御座います。
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私は、浄土宗という宗派の繋がりで、マインドフルネス瞑想も学べると言う事で購入して学ばせて頂きました。
この本には、小池龍之介さんも教えて下さっている食事の瞑想も盛り込まれており、平たい言葉で易しく書かれているという印象の本です。
イラストも掲載されて形もわかりやすく解説して下さっていますから、マインドフルネス瞑想や内観の瞑想法を学ぶ入り口の本、という気が致しました。
とにもかくにも、このような智慧を拝借して、内観をする癖を付ける、という智慧は、高揚に毒されぬ智慧で御座います。
内観をすると、己の身体の動きはもちろん、心の動きや精神状態、精神の高ぶりや沈みも感じ取れるようになってきます。
そうすると、高揚したときに「あ、今自分は高揚している、興奮状態に毒されようとしている」と、早い段階で気づく事が出来るようになります。
そうなれば、高揚に毒されずに、冷静な自己を見失わずに済むということに繋がるのです。
現代社会では、何かと我々を高揚させる仕掛けが多々ある時代です。
だからこそ、今一度「高揚」の意味を学びなおし、高揚感に毒されぬ仏教の智慧や仏法を学ぶ事が、大切なのではないでしょうか。
尚、高揚の意味や高揚感に毒されぬ智慧は、こちらも合わせてお読み頂ければ、より一層深める事が出来るかと存じます。
参照1:「高揚感の意味と使い方の例文から学ぶべきこと」
参照2:「買わない生活のコツは高揚感の自覚にあり」
高揚感に支配されないために、高揚を毒の刺激として認識させて頂ける仏法に、改めて感謝する次第であります。
合掌