映画「今を生きる」は名言も題名も仏教的な響きを感じる

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

私は中学生の時に観た映画「今を生きる」が大好きでして、心に残る映画や好きな映画を聞かれたときに、一時は毎回「今を生きる」と返答していた時期があります。
movie3 映画「今を生きる」は、2014年に他界された俳優、ロビン・ウィリアムズさんが出演された映画で、ジョン・キーティング先生と生徒達、そして詩の物語です。

私が今を生きる事の大切さを知り、今を生きる事を意識し続けるようになったのも、この「今を生きる」という映画と出会ったご縁のお陰様です。



最近でしたら、Apple社のiPadAirのCMで観たという人もいらっしゃるのではないでしょうか。

私はiPadAirのCMは観ておりませんが、CMという形であっても「今を生きる」という映画が人目に付くことは、なんだか嬉しくなります。

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映画「今を生きる」の大まかなあらすじ

「今を生きる」という映画は、あらすじを今でもうっすらと覚えておりますが、あらすじに関しては映画を実際に観て頂く方が手っ取り早い事は、予めご了承頂ければ幸いです。

だからといって、著作権の課題があるから、ここに映画の動画を載せたりはしませんからね。

ここでは、大体のあらすじだけ紹介しておきます。



大まかなあらすじは、ジョン・キーティング先生(ロビン・ウィリアムズさん)が、劇中の学校に入学してきた生徒達と出会うシーンから始まります。

キーティング先生は生徒達に「キーティング船長」と呼ばれて親しまれ、授業では詩ばっかり取り上げます。

その教育方法は、お役所からは批判されるような教育方法で、教科書を破り捨てさせたりするような進め方です。

でも、それはキーティング船長の自分の頭で考えることを教えていく教育であり、生徒達が先生から教わった詩のサークルを復活させたりと、信頼関係が生まれていきます。



そんな中で、役者を目指す生徒が、自らこの世から去るという事態が起こります。

そして、その事態の責任を取って、キーティング先生は学校を去るのですが、最後に教室に立ち寄ったときに、生徒達は机の上に立ちます。

かつて、最初の授業でキーティング先生がやってみせたように。

そして、生徒達が叫びます。「キーティング船長、我らが師よ!」



大まかなあらすじは、こんな感じです。

ちなみに私は、この映画を観てからしばらくの間、座右の銘の欄や「何か一言」という記入欄には「今を生きる」と書くようになりました。
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映画「今を生きる」の名台詞や名言と言われるものを仏教的・禅的に捉え解釈する

「今を生きる」という映画は、派手さが無く地味な青春ものの映画ですが、私はこういう地味な映画が大好きだったりします。

そしてこのような映画には、えてして名言となる名台詞があるようですね。

そして、在家仏教者となった今の私は、関連する禅語や仏教の言葉を、その名言から連想したり結び付けたりする事があります。
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映画の題名と名言「今を生きろ若者たちよ。すばらしい人生をつかむのだ。」

映画「今を生きる」の題名に直結する名言と言えば、これです。

:「今を生きろ若者たちよ。すばらしい人生をつかむのだ。」
(英語:Seize the day, boys. Make your lives extraordinary.)

Apple社のiPadAirのCMでも使われたらしいこの名言、関連する名言にこんな台詞もありますね。

:「バラのつぼみはすぐに摘め。」ラテン語で言うなら「カーぺディエム」だ。意味が分かる者は?「いまを生きろ」です。

若者達、キーティング先生の生徒達に対して、今を生きる大切さを伝える大切な台詞であり、確かに名言であると私も感じておるところです。

そして、禅や仏教を学び続けている私は、この「今を生きろ」「今を生きる」という言葉を聞くと、この禅語を同時に連想するようになりました。



それは
:而今(にこん)
です。



「而今(にこん)」とは、「この瞬間は二度と戻らない、過ぎ去りし時は戻ることはない」という意味です。

そこから「生きているのは、今、この瞬間であり、今を生きる、今を生ききる事が大切である。」という解釈が為され、「今、この瞬間」を生きる事の大切さを教えてくれる禅語です。

これ、まさに映画「今を生きる」の題名そのものですし、名言を一言で表した禅語だと思うのですが、如何でしょうか。



そして、それと同時に思い出す禅語が
:即今・此処・自己(そっこん・とうしょ・じこ)
です。

「今、ここで、己は何をすべきか」という意味の禅語で、これも今を大切に生きる事を教えてくれる禅語です。



特に現代社会を生きる我々は、この「今を生きる」という感覚や行動が希薄ではないでしょうか。



予定を立てることや未来の青写真を描いたりする事は結構ですが、それにしてもあまりにも、未来ばっかり見過ぎてはいませんか?

未来に予定していることのために、しっかりと準備をすることは確かに大切です。

商い・ビジネスの現場では、お客様に誠心誠意尽くすために、未来に向けて準備をする事は大切ですからね。



でも、その準備をやるのも「今、この瞬間」であり、その積み重ねの結果にあるのが未来です。

未来を観るのは否定しませんが、未来を見過ぎて今をおろそかにする事は、今を生きていないことに他なりません。



「今を生きる」という言葉や名言、そして「而今」「即今・此処・自己」は、過去や未来に忙しない現代社会に大切な言葉のように思えます。



iPadAirのCMが、何故「今を生きる」という映画と名言を起用されたのか、理由や意図は私にはわかりかねます。

でも、もしかしたら「今を生きる」というメッセージや「而今」「即今・此処・自己」の大切さを感じ取って欲しかったからかもしれませんね。

今は亡きスティーブ・ジョブズさんが禅に傾倒されていたといっても、流石に考えすぎでしょうけれども。

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「今を生きる」という映画には、他にも仏教的・禅的な名言が色々とある

あまり羅列すると、読んで下さっている人が消化不良になる可能性もありますから、あと少しだけ名言を紹介するに留めますね。

それも、仏教的であったり、禅的な響のある名言や台詞です。

:「人は静かな絶望の中に生きる」という。甘んじるな。前進しろ。

人は生きていると、どうしようもなく逃れられない苦しみの中に生きている、という事があります。

逃れられない苦として、仏教では「四苦八苦」を教えています。

また、仏教の基本的な教えとして「一切皆苦」があります。

「忍土で生きる事の一切は皆、苦である。」という教えです。

その事と「絶望の中に生きる」という事に、何かつながりを感じております。(私個別の感覚ですけれども。)

そして、その後に続く「甘んじるな、前進しろ」は、「それでも人は生きていかなければならない」という教えであり、スッタニパータの言葉「犀の角のようにただ独り歩め」を思い出します。

流石にこれはこじつけだったり、強引過ぎるかもしれませんが。

このような仏教的な事柄を見出して学ぶ事もある、という捉え方をして頂ければ幸いです。
もう一つだけ、映画「今を生きる」の名言を紹介するならば、

「僕達には、人と同化したいという欲求がある。だが、自分を信頼しなければならない。カラかわれたり、バカにされようとも。」

という言葉を紹介させて頂きます。



特に日本人の特徴として、周りと同調しようとしたり、人と同じ事をしたり、社会や組織や身近な人に同化したいという欲求は少なからず持っているのではないかと思います。

もちろん、そうではない人もいらっしゃるでしょうが。



この名言を改めて読んだ時、
:自灯明
という仏教の言葉、禅語としても紹介されている言葉を思い出しました。

「自灯明(じとうみょう)」は、仏法を拠とする「法灯明(ほうとうみょう)」という言葉とセットで教えられる言葉です。



「自灯明」とは、「自らを灯とし、自らを拠にすべし」という意味の禅語です。

人と同化したいと言う欲求が強い人や、自分を信頼出来ない人にとって、覚えておいて欲しい禅語です。

自信過剰で増上慢の煩悩に支配されるのは考えものですが、あまりに周囲に流されすぎても、己の人生の主導権を手放す事になってしまいます。

この「今を生きる」の名言と「自灯明」も、大切にして生きていきたいものだと、私は思うております。



合掌

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