有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは「一期一会(いちごいちえ)」という四字熟語をご存じでしょうか?
人によってはどのような知り方をして、意味を理解されているかは、まちまちかもしれません。
国語の授業で四字熟語を習う際に知ったという人も、結構多いように思えます。
茶の湯、茶道の世界に触れたことがある人ならば、茶道の精神や井伊直弼という人の「茶湯一会集」で知ったという人もいらっしゃるでしょう。
井伊直弼氏は、茶号も持っている人で「茶湯一会集」は一期一会の理念がかかれていますからね。
映画が好きな人でしたら、トム・ハンクスさん主演の「フォレスト・ガンプ一期一会」を連想するところでしょうか。
私のような仏教徒でしたら、禅語として意味を学び、実践している人もいらっしゃるのではないかと重い受け致します。
四字熟語「一期一会」の意味を改めて学ぶ
現代社会においては、一期一会の意味は:人と人との出会いの大切さ
として使われる風潮がありますし、そのように理解されている節も感じます。
「チャンスの女神は云々」とか、機会損失がどうのこうのとか、焦らせてこちらの理性を奪って、お金を搾取する詐欺師に使われる事があるのが、残念で悲しい事ですが。
一期一会という四字熟語の意味は、国語の授業でも習ったから今更・・・と思うかも知れませんけれども、この仏教ライフハック堂では、改めて意味を学び実践する場と致す次第であります。
最初に辞書的な意味を申し上げますと、
:一期(一生涯)+一会(一度会う)」
:一生に一度しかない貴重な機会
です。
戦国時代や、武士が刀を腰に装備していた時代は、いつ位後が尽きるか分からないという時代でありました。
ゆえに「今日、共にお茶を飲んだ人と、二度と会うことがないかもしれない。」という事が実際に起こる確率が、現代よりも高い時代でしたから、より当時は意味に重みがあったことでありましょう。
茶の湯や茶道の世界では「この1回の茶会で相手を最高におもてなしする」という、おもてなしの精神性と作法が洗練され、受け継がれてきたものだとお見受け致します。
現代社会においては、同じ日常が続くという錯覚を覚えやすいこともあり、一回きりの出会いも大切にする事への呼びかけと共に、家族もそのように過ごしなさい、という戒めとしても使われる事があります。
毎日顔を合わせている家族でも、もしかしたら明日には・・・と言う事は、確率としては低いかもしれませんが、無いとは言い切れません。
原理として、全く同じ日はありませんし、全く同じように次の日も過ごせるとは限らないのです。
そう思えば、今一度「一期一会(いちごいちえ)」という四字熟語の意味を改めて学び考え、実践する生き方は、あなたの人生にとっても、むろん私の人生にとっても有意義ではないでしょうか。
一期一会の意味を、わかりやすく理解し実践する禅語の知恵「而今(にこん)」
一期一会の意味は、現代の国語辞典的な意味はわかりやすくて、理解そのものは簡単にできるでしょう。でも、わかりやすく理解出来たとしても、やはり実践してこそなんぼですし、仏教では実践を大切にしておりますから、一期一会の意味は体感覚として。
一期一会の実践は、別に茶道を学びに行く事や、禅寺へ修行に行くことを言っているのではありません。

それは、
:今、ここ、を大切に生きること
です。
それを最もわかりやすく表した禅語が
:而今(にこん)
です。
仏教の基本的な教えに「諸行無常(しょぎょうむじょう)」があるのはご存じだと思いますが、意味は「この世の諸行は常ならず」つまり常に動いているという教えです。
つまり、この一秒一秒一瞬一瞬、一刹那事の時間も、直ぐに過ぎ去っていきます。
こうしてこの文章を表すために私はキーボードを叩いていますが、その動作一つ一つ、もう二度と再現することが出来ません。
つまり、一つ一つの動作、一つ一つの心の動きや変化も全て「一期一会」という意味として捉えると、どうでしょう。
この一瞬を、二度とかえってこない一瞬を大切にしようという思いや考え、決意が表れるのではないか、そのように考えております。
そして、同時に覚えて共に学んで欲しい禅語が
:即今・此処・自己(そっこん・ここ・じこ)
です。
これは「いま、ここ、じこ(わたし)」という意味の禅語です。
一期一会で流れゆくこの一瞬において
「今、ここで、私は何が出来て何をすべきか。」
と言う事を考え抜き、実践する事を教えてくれる禅語です。
特に現代社会においては、過去に縛られ未来を夢想する、という事が多々あります。
もちろん、過去と未来を視界に入れて、疎かにしないという事は、それはそれで大切です。
しかし、その度合いが「執着(しゅうじゃく)」と言うレベルにまでなってしまうと、「今、ここ」が、疎かになってしまい、地に足を付けて生きるどころか、浮き足立っている状態になってしまうのです。
それが常となってしまうと、一期一会のご縁で出会った目の前の「今、ここ」や、時空間を共有している目の前の相手を疎かにしてしまう事に繋がります。
人生は「一期一会」の連続ですが、代わり映えの無い、変化を感じにくい現代社会では、ついつい「今、ここ」や、目の前にいる人さえも忘れがちになります。
一期一会の意味を、紹介させて頂いた二つの禅語と共に学び、日常生活で実践する事で、自然とおもてなしも身につくのではないか、私はそのように思うております。

一期一会の仏教用語としての意味は、目の前の相手を大切にする仏教の智慧
一期一会の意味を、仏教用語として学ぶと、まさに「諸行無常(しょぎょうむじょう)」を感じる事が出来るという人も、いらっしゃるやもしれません。また、一期一会は、相手を思いやるおもてなしの精神を学べる意味も御座います。
それらを踏まえた上で、私はこの一期一会という言葉と、その意味から学べる事に「目の前の相手を大切にする丁寧な生き方を教えてくれる言葉」と味わっております。
特にこのことは、現代社会において、人付き合いをする上で大切にしておきたい言葉と意味であると、頂いております。
例えば、大切な友人と食事をしに言ったとき、あなたは目の前の相手に対して、丁寧に接しているでしょうか。
目の前に、親しい友人がいるのに、いえ、親しいが故に、ついついその親しさに甘えてしまし、相手を疎かにしていないか、私も反省することがたびたび御座います。
私は、仏法を学んでから特に注意して、もうしなくはなりましたが、友人と会食中に、やたら携帯電話やスマートフォンを弄ったり、それに気を取られたりと、そのような光景をメニすることが多々あります。
あなたも、レストランやカフェに行った時に、友人知人をないがしろにして、電話やスマートフォンに夢中になっていたり、それに興じている人を目撃したことがあるかと存じます。
もしも、そのような事を、相手にされたらどう思われるでしょう。
もし、自分がしてしまっている立場であったら、この一期一会という仏教用語と、仏教の意味によって改めて己を照らし、悔い改めて行為を反省してみては如何だろうか、そのように思うのです。
次の瞬間には会えなくなるかも知れない目の前にいる大切な相手とのご縁は、まさに「諸行無常」の娑婆世界における「一期一会のご縁」であります。
数多の因と縁による繋がりによって、目の前にいる人と出会えたという果を大切にするのであれば、目の前にいる人と共有している「今、ここ」の時空間を、お互い丁寧に過ごすべきではないでしょうか。
そのために「一期一会」という仏教用語・禅語としての意味と味わいは、大切にしていきたい、そのように思う今日この頃に御座います。
合掌