有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
あなたは「ホラ吹き・大法螺吹き」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
ホラ吹きという言葉は、現代社会では「嘘つき」という意味なり文脈で用いられます。
「大法螺吹き」と言うと、大げさな事を言っているという意味で使われます。
現代的な言葉で「ホラ吹き」を表現するならば、「かまし」といったところでしょうか。
実はこの「ホラ吹き」という言葉は、元を辿ると仏教用語であり、意味もそれに伴うものが御座いました。
「ホラ吹き」も、随分とさすらった言葉であると感じるもので御座います。
ホラ吹き・法螺吹きの現代的な意味
ホラ吹きという言葉の意味を、仏教用語として改めて学ぶ前に、まずは現代的な意味のおさらいをしておきます。現代の「ホラ吹き」という表現の意味は、
:嘘つき、虚偽を語ること、物事を大げさに言うこと
であります。
この時点で、仏教用語としての「ホラ吹き」からは、随分とさすらったものであると感じ、言葉の変遷や諸行無常を感じるものであります。
そして、現代的なホラ吹きは、まさに仏教の戒としてある、言葉に関する「戒」を連想するものであります。
仏教では、言語についてはかなり厳格な態度も観られまして、言葉に関する戒が御座います。
「五戒」や「十戒」が有名ですが、そのどちらにも言葉に関する戒があり、「十戒」には言葉に関する戒めが4つもあるのです。
それだけ、言語・言葉に対して厳格な在り方を示しているのであろうと、私は頂いております。
口業、言葉に関する戒を観てみると、
:不妄語(ふもうご):嘘をつかない
:不綺語(ふきご):中身の無い言葉を発さない
:不悪口(ふあくつ):悪口や乱暴な言葉を使わない
:不両舌(ふりょうぜつ):二枚舌や仲違いとなることを発さない
が御座います。
現代的な意味の「ホラ吹き」は、この戒を全て破っている事、律していないことになります。
現代社会で使われているホラ吹きさんは、仏道を歩む事とは真逆を行っているような、そのような事を感じるもので御座います。
こうならないように、現代的なホラを出来るだけ吹かないよう、注意したいものであります。

「ホラ吹き・法螺吹き」の仏教用語としての意味
現代的な「ホラ吹き」という言葉の意味を復習したところで、仏教用語としての「ホラ吹き」の意味を学んで観ることと致しましょう。仏教におけるホラ吹き・法螺吹きという言葉は、経典では「法華経」に登場致します。
法華経には、「大法を説き、大法の雨を降らし、大法の螺を吹き」と御座います。
また、これは浄土真宗本願寺派の先生が書かれた仏教用語辞典に書いてあったのですが、
「大法雨をふらし、大法憧を建て、大法螺を吹き、大法鼓を撃ちたまえ」
という言葉も御座います。
この「大法螺を吹き」というのが、意味はさすらいながらも現代まで伝わった言葉「法螺吹き・ホラ吹き」です。
インドでは、人を集めるときに、法螺貝が使われていたという話があり、このことから、釈尊の説法が始まる時に吹かれたのでは無いか、と思われます。
また、「大法螺を吹き」や「大法の雨を降らし」という事から、釈尊の説法や仏法は、堂々と遠くまで響いているという事を称えているという味わいも、私は頂いております。
仏教用語としての「ホラ吹き・大法螺吹き」は、釈尊の説法を称える意味があり、釈尊の説法、仏法の尊さを表現したものであったのです。
日本でも、修験者が山中で居場所を知らせたり、獣を遠ざけるために使われていて、とても嘘をつくような使い方では御座いません。
現代でも山へ入られる修験者は、法螺貝を持って行かれます。
このような話からも、現代的なホラ吹きの意味と、仏教用語としての法螺吹きの意味は、全く違っていることがおわかり頂けるかと存じます。
法螺吹き・ホラ吹きにまつわる豆知識
法螺吹きについて、仏教用語としての意味を学んだところで、少しだけ豆知識をば。仏法が広く伝わっていたり、堂々と遠くまで伝わり響いている事や、尊さを表現している言葉は、色々と御座います。
今回の表題で御座います「法螺吹き・大法螺吹き」も、「大法の螺を吹き」とある通り、法の偉大さや尊さを表しているという解釈も出来る表現であることが、おわかり頂けるかと存じます。
その他にも、私も毎日勤行で称えさせている「四誓偈(しせいげ)」にも、仏法を尊ぶ表現が御座います。
「四誓偈」は、浄土宗と真宗・浄土真宗で称えられる偈文であり、その中に
:説法獅子吼(せっぽうししく)
と御座います。
「獅子吼(ししく)」とは、「SISIKU(シシク)」という台車等の運搬用品を扱う企業ではなく、獅子の咆吼です。
まさに堂々としていて、遠くまで響いていると言う事を表した言葉であると、私は味わい称えさせて頂いております。

ホラ吹きの意味が現代にさすらった経緯
仏教用語としての法螺吹きの意味は、説法・仏法を尊ぶ表現であったのに、現代社会の意味を考えて観ると、なんともさすらいまくったものであるなあ、と感じるところで御座います。一体、何故にこのようなさすらいを経たのか、興味深いものであります。
幾つかの本を読んだり、言葉の変遷を辿って見たところ、「仏教語豆辞典」や「さすらいの仏教語」などに、興味深い話が御座いました。
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それが、「釈尊のように振る舞ったり、悟ってもいないのに偉そうなことを言う」という意味に、段々とさすらっていった可能性があります。
悟ってもいないのに、釈尊ではないのに、釈尊のように悟った者として振る舞う事は、いうなれば「かまし」であり、嘘をついていることといっても間違いではないことでありましょう。
そこから、悟っていないものが、あたかも悟ったかのように偉そうに説法したり、大げさな事を言う者を揶揄する形で「ホラ吹き」だとか「大法螺吹き」いうようになった、との事です。
釈尊でないのに、釈尊との自己同一を錯覚してか、悟った振りをしたりするのは、嘘つきと言われても仕方ありません。
法螺貝が吹かれたから、集まってみれば愚者が智者の振る舞いをしていた、なんてことは、狼少年のような有様とも言えましょう。
そのような事があって、段々と現代的な意味に「ホラ吹き」という言葉の意味がさすらったというのは、なんだかわかる気が致します。

現代社会はホラ吹きな我利我利亡者が沢山いる
ホラ吹きという言葉について、仏教用語としての意味からは、随分とさすらったものであると、改めて感じるところで御座います。そして、残念な事に、現代的な意味の「ホラ吹き」は、容易に見つかります。
容易に見つかる場所は、現在ではインターネット上であります。
特徴と致しましては、なんちゃらビジネスとか、ネットビジネス系の詐欺師、大抵が高額塾講師やコンサルタントを名乗っていたりしますが、あれが典型的な現代的な意味の「ホラ吹き」です。
サービス開始前から、高額なコンサル費用を請求してくる自称コンサルタントや、実態の無い概念遊びで金をかすめとってくる自己啓発系ビジネスの類いが、特に酷い大法螺吹きです。
あれら我利我利亡者・有財餓鬼共の勧誘やセールスレターは、まさに現代的な意味でのホラ吹き合戦と言えましょう。
ああはならないように、我々は反面教師として、戒めるようにしたいものです。
私が経験したホラ吹きの事例では、実は無かった「三種の神器を教える」を教えると宣い、「このコンサルで稼げなかった人は一人もいない」と大嘘をついて、こちらを揺さぶって人様からお金をだまし取るというケースが御座いました。
実際に、成果が出なかった人の方が多かったと言う事は、後でわかったのですがね。
だいたいにして、「三種の神器」という言葉を詐欺に用いるとは、日本神話を舐めている態度で、頂けない。
それに「稼げなかった人は一人もいない」とか、大嘘つきであります。
閻魔様に舌を抜かれるどころか、未来永劫無間地獄に堕としておくべきでありましょう。
しかし、こういうやからは人からお金をだまし取ることを四六時中考えているだけのことはあり、ホラ吹きとしての技術が高い事が厄介であります。
気が弱かったり、冷静な判断が付かない精神状態の人でしたら、お金をだまし取られてしまいます。
そして、人ではないから人の心を持たぬゆえに、罪悪感を微塵も持ち合わせていないというのが、悲しく憐れなもので御座います。
そして、お金をだまし取っておき、成果が出れば「教えた俺のおかげ」と言って、お客様の成果をちゃっかり自分の成果にする「アレオレ詐欺」であることが殆どです。
このようなホラ吹き亡者は「成果が出たのは、お客様が踏ん張って下さったから、成果が出ないのは、自分の教え方や在り方に課題がある。」という謙虚さや奥ゆかしさは皆無という特徴が御座います。
成果が出なければ、「言われた通りにやらないから」「お前の環境や考え方が悪い」と、お客様に全責任をなすりつける始末。
そのような亡者に騙された人達を自己責任論で追い詰めて、命を絶つに到るようないたぶり方をしている現代社会に、私は警鐘を鳴らしたく、そういう我利我利亡者にならぬために、仏法という現代社会の価値基準とは違う視点を問うております。
「コンサル生を稼がせました自慢」や「稼がせるのが得意」「稼がせる天才」とか自称している我利我利亡者は、大抵が人間辞めたホラ吹きです。
口業の戒を初っぱなから破っている無明な輩ですから、出来れば近づかない事です。
しかし、娑婆世界での縁は、己の計り知れぬ事でありますから、出会った時に騙されないように、注意するしか無いのが、はがゆい。
我々人間(じんかん)は、現代的なホラ吹きにはならず、仏法に我が身を照らして頂き、脚下照顧(きゃっかしょうこ)の在り方にて、ホラを吹かぬように戒めたいものであります。
「人間やめますか、現代的な意味のホラ吹きやめますか」と問われた場合、生き方として、態度としてどちらをとるか、です。
仏教用語としての「大法螺吹き」か、現代的な意味での、詐欺師や嘘つきの類いである「ホラ吹き」か、見極められるようになりたいものです。
合掌