休日の過ごし方を探すのをやめる

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

2016年のゴールデンウィークは、大型連休となりやすい日程であり、旅行に出かけたり計画的に連休を満喫する過ごし方を堪能されている人も多いであろうと思われます。
Printまた、お盆休みやシルバーウィークなども、なかなか休みが取れないと言われている現代社会においては、楽しみな長期連休期間ではないかとお見受け致します。

ゴールデンウィークやお盆の過ごし方として、最近はインターネット上に「ゴールデンウィークの過ごし方の理想」「お盆休みの過ごし方」など、色々な情報が飛び交っております。



ご丁寧に、五月病にならないゴールデンウィークの過ごし方や、お盆休みや正月休み明けの「休みぼけ」にならない休日の過ごし方を、紹介して下さっている親切な方もいらっしゃいます。

これはこれで参考になる意見であります。

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休日の過ごし方の前に、連休に繁盛記である業界の人々に感謝する事

待ちに待ったゴールデンウィークや、お盆休みなどの大型連休を無駄なく楽しむために、それぞれの楽しみ方や過ごし方といった情報は、インターネットにも情報誌にも溢れています。

大体4月に入った辺りから、「今年のゴールデンウィークの過ごし方ベスト10」「大型連休の過ごし方はこれで決まり!」など、色々な「連休の過ごし方の型」が紹介されます。



こういった情報を観るとき、特に温泉地や遊園地などの施設が紹介されている特集を、本屋で見かけるたびに、私はしばしば考える事が御座います。
私は、「このようなゴールデンウィークや連休の過ごし方で紹介されている施設や観光地で、お客様を持てなして下さる従業員の方々に感謝奉る。」と、思うのです。



温泉地や遊園地などの施設では、そこで働く人達がいらっしゃらなかったら、その土地に訪れた観光旅行客は、楽しむ事が出来ません。

そのような施設で働いて、私達を出迎えて下さる従業員の方々がいらっしゃるからこそ、休日の過ごし方も充実するというものです。



これは在家仏教者でなくても、ゴールデンウィークなどの連休を楽しむ貯めに支えて下さる従業員の方々に感謝申し上げたいところです。

休日の過ごし方を、あれこれと悩む前に、まずは連休中に働いて下さる仕事人達に、感謝すべき事ではないかと、私は感じるところで御座います。



それを形にするために、旅行先や店の従業員の方々に対して、お支払いをする際に、「ありがとう」と笑顔で言葉を書けるという「顔施(げんせ)」「言辞施(げんじせ)」のお布施をしたいものです。

「顔施」と「言辞施」は、「無財の七施」と呼ばれる、財がなくても出来るお布施の事であり、仏教の布施波羅蜜と呼ばれる事柄に御座います。

ただ事務的に、旅行を楽しんでお金を払うのではなく、このような心遣い・気遣いを持った休日の過ごし方でありたいものです。

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休日の過ごし方に型や決まりは無いのに・・・

私は、「ゴールデンウィークの過ごし方特集」とか「今年のお盆など連休の過ごし方はこれだ!」というような特集が目に付くと、上記以外に思う事があります。



それは、
:休日の過ごし方を型にはめすぎていないか
という事です。



5月の連休、ゴールデンウィークは特に、「今年はどうやって過ごそうか、無駄にしたくないし。」と、やたらめったら「休日の過ごし方」と、検索されてはいませんか?

雑誌を早い段階から読み漁ったりと、さながらクリスマスシーズンに展開されるクリスマス商戦を彷彿とさせます。

「休日の過ごし方商戦」とでもいいましょうか。



しかし、そもそも休日の過ごし方に、型ってあるのでしょうか。



最近は、確かにゴールデンウィークやお盆休みなど大型連休の過ごし方は、探せば情報が溢れかえっています。

情報は充実していますし、それになぞって過ごす事は容易になりました。

「ゴールデンウィークこそ一人で過ごす、一人旅へ出かける。」「連休には、出来なかった趣味をしまくる。」などなど、色々と休日の過ごし方の指南がなされております。



それはそれで役に立つでしょうし、参考にはなるでしょう。

しかし、そのような事柄に対して、私には「あまりにも計画的過ぎる」ような、そんな感じがしております。
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休日の過ごし方を探すということをやめてみる

私は仏教徒であり、坐禅も毎日していると言う事もあって、もしかしたら休日の過ごし方を探している人は、その関連の行事を期待してこのお堂(ブログ)に来られたかも知れません。

それこそ「休日やお盆こそ、仏教に触れる過ごし方をば!」「連休は座禅会に参加すべし」とか、そんな事を言うのだろうと、思われる人がいるのもわかります。



そう言うと思ったら大間違い、私が提唱する事は
:休日の過ごし方を探す事をやめる
です。



そもそもとして、休日の過ごし方に型や決まりはありません。

むしろそういった方法論を探して、いざやってみて出来なかった場合、自己嫌悪に陥ったら精神衛生的にも宜しくありませんし、休日にストレス発散するどころか、逆にストレスが溜まります。



そこで、休日の過ごし方について、いっそのこと方法論を探さないで過ごしてみてはどうでしょうか。
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休日の過ごし方は、「自由(自らに由る)」という在り方で過ごしてみる

私が「休日の過ごし方を探す事をやめる」と申し上げておるのは、「ゴールデンウィークの過ごし方はこの温泉地」とか「お盆休みはここにいこう」とか、そういう具体的過ぎる方法論を探す事をやめる、という意味です。

連休が近くなってきたときに、自分の頭で考えずに「2016年のまとまった休日の過ごし方」と検索したり雑誌を読み漁ったり、そういう事から一旦離れてみる、という提唱です。



連休の過ごし方など、巷で紹介されている休日の過ごし方は、確かに参考にはなります。

折角の連休に、旅行に出かけたりしないと、人によっては罪悪感すら覚えられるかもしれません。

ゴールデンウィークやお盆休みには遠出しないと勿体ない、とか、正月休みはスキーに行かないともったい無い、などと思った事、あなたも経験ありませんか?



でも私は、そもそもそのような罪悪感めいた感覚って、錯覚だと思うております。



そのような錯覚に陥るのは、「休日の過ごし方について型にはめすぎている」という事も原因の一つだと考えられます。

あくまで私の主観的な意見ではありますが、思い当たる節があるという人もいらっしゃるんじゃないでしょうか。



そこで私は、
:休日の過ごし方を探す事をやめる
:情報から離れて「自由」に過ごす
と提唱しているのです。



ここでいう自由は「自分勝手」ではなく、仏教用語としての自由です。

仏教における「自由(じゆう)」は、
:自らに由る(みずからによる)
という読み方です。

その意味は「自ら(己)を拠(よりどころ)として、他を拠としないこと)」です。



休日の過ごし方を探して、その情報通りに計画して進めるのって、どこか「他を拠にしている」という部分や感覚って、御座いませんか?

情報過多の現代社会において、他の情報を拠にしすぎているために、型にはまった過ごし方が出来なかったら、罪悪感なりざわついた気持ちという錯覚を感じてしまうのです。

ならばいっそ「情報という他から離れて自由に過ごす」と言う事を体験されてみるのも、一つの休日の過ごし方ではないか、そのように思います。



あ、これって私なりの「休日の過ごし方」の提唱になっておりますね。

ただ、これはあくまで「休日の過ごし方に対する在り方」であり、旅行先などを探すと言う話とは別の事です。



現代社会の価値体系なり価値観から離れた話と言う事で、ご容赦頂けたら幸いに存じます。



合掌

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