人の話を聞く大切さと仏法

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

あなたは、人の話を聞くことが得意であったり、聞き上手な方でしょうか。
016179 「自分は聞き上手です」「人の話を聞く事が得意です」と、自己主張したり宣言する人は、自称聞き上手と冷ややかな目で見る傾向がある私であります。



人の話を聞く大切さというのは、そりゃそうだと認識されている人が大半であり、表だって反論されることも少ないのではないかとお見受け致します。

しかし、人の話を聞く大切さについて、大切であると頷けても、なかなか実践出来ないのが、自意識や煩悩から逃れられない煩悩具足の凡夫である我々である、そのように頂いております。

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人の話を聞く大切さを認識しても、人の話を聴くにも聞くにも難しい

人の話を聞く大切さを説かれた場合、「そんなことわかっているよ」と、おっしゃる方もいらっしゃるでしょう。

特に、人の話を聞く仕事と呼ばれるような職業、カウンセラーやアドバイザー、医療関連の仕事に従事されている方ならば、心得たものかと存じます。



それを承知の上で、人はどこまでいっても、人は他人・他者の話を聴いたり聞いていないものである、原理的に不可能性がくっついてまわる、と考えております。



そもそも、現代社会において、人の話を「ありのまま」「そのまま」に聞いている人は、どれだけいらっしゃるでしょう。



人は、自分が聴きたい音や言葉だけを聞くというフィルターがあります。

音の大きさ一つとってもそうです。



例えば、AさんとBさんがいて、一つの音を同じ大きさで聞いているかというと、聴力や聞こえ方、聞く位置によっては全く違った聞こえ方を致します。

電車の中でうるさい音に囲まれていても、声を聴こうとしている人の声は良く聞き取れて、その他の人の声や電車の音は遠めに聞こえる、という経験をしたことがある人も多いと思います。

テープレコーダーと人間の聞き分ける力の違いの例え話が、それを象徴しております。



このように、「ありのままに聞く事」や、人の話を聞く事の難しさを把握して頂けるかと存じます。



また、言葉の意味や捉え方、解釈についても、AさんとBさんとでは違っている事もありましょう。

どんなに言葉の意味を共通させようとしても、どこかで差異が生じるものであります。

人の話を聴く大切さを思っていても、相手の話してくれる言葉を、自分勝手に解釈しがちであるのが人という生き物の性(さが)です。

相手の発する言葉(聲でも手話でもボディランゲージでも)を、自分の都合の良いように歪めるフィルターをかけているのが、人であります。



もちろん、それはこうやって偉そうに宣っている私も含みます。



これについて、禅僧であられる玄侑宗九さんは

「ヘタすると、聴いたことに対する、自分の頭の中の批判を聴いたりする」

と仰い、なるほどなあ、と学ばせて頂いたものです。


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人の話を聞く大切さは、どんなに認識していても、原理的に実践する事は難しい、と、念頭に置いておく必要がありそうです。
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人の話を聞く大切さを認識すらしていない者の多きこと

人の話を聞く大切さを、認識はしていても、なかなか実践する事は難しい事を、感じ取って頂けたかと思います。

だからといって、「ああ、人の話を聞く事は、原理的に不可能なんだ。」と、絶望するのはまだ早い。



大切な事は、「人の話を聞く難しさと人の話を聞く大切さを認識する事」であり、それに気づいただけでも、素晴らしい進歩であり深化であると、私は味わいを頂いております。



現代社会においては、特に自己主張なり自己顕示欲の強い人が多くなってきている傾向を感じます。

近現代社会では、積極性が重要視されて、人の話を聞くという概念すら落っことしているような人も、しばしば見受けられるものであります。



典型的なのが、まだ相手がしゃべっているのに、口を挟むという事を平気でやってしまう輩でありましょう。

某テレビ番組、討論番組などは、まさに反面教師勢揃い、といった感じであります。

誰も、人の意見、人の話を聞いていないし、自分がしゃべりたいことばかりしゃべりまくるという始末です。



ああは、なりたくありません。



このように、人の話を聞く大切さという事柄の認識すら出来ていない輩もいるのが現状であります。

人の形をしているでしょうが、「人間(じんかん)」という、間柄をきちんと紡いでいるのかどうか、はなはだ疑問で御座います。

我々人は、「人間(じんかん)」になるためにも、人の話を聞く大切さを認識し続けたいものであります。
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人の話を聞く大切さと仏法の話

人の話を聞く難しさと、人の話を聞く大切さについて、仏教・仏法からどのような事が学べるのか。



仏教には、人の心や在り方を表す概念として「十界(じっかい)」が御座います。



「十界」とは、地獄道から天界の六道と、それに悟りの界を四つ加えた世界観です。

六道については、以前もお伝えした事が御座いますね。

参照:「六道珍皇寺の井戸と地獄の話」

参照2:「餓鬼の意味と餓鬼道」

六道のおさらいを致しますと、「地獄・餓鬼・畜生」の三悪道と「修羅・人間・天界」を合わせた道・世界です。



そして、悟りの四界は、「声聞(しょうもん)」「縁覚(えんがく)」「菩薩(ぼさつ)」「仏(ぶつ)」といいます。

この「声聞」という、聞く事が悟りの世界に分類されるというのが、私は大切な事であり、人の話を聞く大切さを教えて下さる味わいがあると、頂いております。



声を聞く事、相手の話を聞く事が出来るという事柄が何故、悟りの世界に分類されるのか。



人の話を聞く大切さは、言われればそりゃそうだ、と思われる事で御座いましょう。

しかし、他者の話というのは、どんなに真摯に傾聴し、相手の心の声が聞こえてくるという境地に達する事は、容易では有りませんし、原理的には不可能と言えるレベルです。



人が他者に物事を伝える時、伝える方法は大半が言語、筆談でも声でも手話でも良いのですが、言語的な伝え方をするのが殆どでありましょう。

しかし、言語というのは個体によって認識が微妙にずれているものであり、どうしても言い損なうものであります。



人の話を聞く大切さもそうですが、人に物事を伝える大切さと難しさも、この辺りからもおわかり頂けるかと存じます。



そして、人には聴いた事は、「ありのまま」聴いているのではなく、自分の主観で解釈するという厄介なフィルターが御座います。

自我なり自意識がある人であり、また煩悩具足という生き物である以上、どうしようもなく逃れられない事柄です。

フィルターを通して伝え、フィルターを通して聴くわけですから、どうしようもなくどこかで歪みが生じてしまうのは、原理的にご理解頂けるかと存じます。



伝える難しさと聴く・聞く難しさがあり、完全に物事を伝えきる事と、完全に相手の意図をくみ取りきる、傾聴して聴ききり、そこから聞ききる難しさは、想像して頂けたかと思います。



厳密な話をすれば、原理的に不可能とも思える事柄であるがゆえに、仏法では、わざわざ「声聞」ということ、人の話を聞く事が出来る事を悟りの界としたのではないか、私はそのように頂くようにしております。

ゆえに、玄侑宗久さんが「聴く能力・聞く能力だけで、六道を超えられる」と仰ったのも、頷ける話であると、味わっております。
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人の話を聞く大切さを認識し、正聴から正聞へ

人の話を聞く事がいかに難しいかという前提があるから、人の話を聞く大切さという概念がある、私は仏法からこのように学んでおります。

原理的に、人の話を聞く事を完遂しきる事が不可能であるために、人の話を聞く大切さが強調されることもあるのでしょう。



では、原理的に不可能だからと言って、絶望するという意味の「諦める」に達しても良いのかというと、それはまだ早いと、私は思うております。

伝えきる事や人の話を聞く事を完遂することは、確かに原理的には不可能であっても、完遂に近づこうとする事は出来そうです。



そのためには、仏教の言葉としての「諦める=明らかにする」事から始めて、ありのままに相手の話を聞いて意図をくみ取ろうとする「正聴(せいちょう)」を目指してみることが、大切であると考えております。



もちろん、これは容易なことではありません、どうしたって聴いている側には、自意識や主観などのフィルターに、相手の言葉が引っかかっていくのですから。

しかし、だからといって絶望するのでは無く、「これはどうしようもなく発生する現象だ」と諦め、その上で話し相手に真摯に接する事で、「正聴」を目指すのです。

そうすることで、自然と相手の声なき声さえも聞こえる「正聞(しょうもん)」という境地も目指す、これが、人の話を聞く大切さを認識した者の矜恃ではないか、これが現段階での私の頂き方で御座います。



恐らく、この事には終わりが無く、一生涯続く挑戦ではあるでしょうが、人の話を聞く大切さを認識し、その認識を大切にし続けるならば、精進しがいがあるかと存じます。



尚、今回の話と共に、こちらの話も学んで頂く事で、人の話を聞く大切さを、より認識して頂けるものかと存じます。

参照:「聞く力|傾聴と聴聞」

参照2:「聞き上手になるには特徴とコツを学ぶべし」

参照3:「人の話を聞く仕事と資格を活かした3つの職業」



人に物事を伝える事は難しく、人の話を聞く大切さを認識していても、難しくてなかなか完全には成せないものであります。

だからこそ、その不可能性へ挑み続ける事は、ある種仏道を歩む事である、そのような味わいを頂いている今日この頃で御座います。



合掌

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