引き寄せの法則|引き寄せノートの仏教的活用編

有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。

引き寄せの法則を実践する取り組みの一つに、「引き寄せノートの執筆」なるものがあります。
405233 引き寄せノートとは、最近は専門のノートも販売されており、道端ジェシカさんをはじめとした、有名人の引き寄せノートによる成功体験談も手伝って、知名度も上がってきているような気配も御座います。

道端ジェシカさんの本や引き寄せノート体験談もそうですが、有名スポーツ選手の実践例などからも、引き寄せノートの効果効能が証明されている、という話もあったものです。



私としては、引き寄せノートを活用しても成就に到らなかった例も随分あると思うのですが、それらは「真剣味が足りないからだ」と言う成功者サイドの言い訳で一蹴されそうな気が致します。

真剣味や念の力で何とかなれば、苦しむ事は無いのですがね。



私も、1日2回引き寄せノートなるものに、成就させたい目標を書き続けるというのを1年以上やりましたし、そのための活動・行動もしておりました。

また、「未来図」とか言って、コルクボードに引き寄せたい目標なども作ったりしたものです。

結局、成就するどころか、倒れて心療内科のお世話になったのは、どのように傲慢な説明をしてくれるのか、知りたいところで御座います。

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引き寄せノートによる成功は一要因に過ぎない

引き寄せの法則を実践する際、代表的な実践事例として「引き寄せノートを書き続ける」というのは、現在は自己啓発系ビジネスにおいては、よく言われる話です。

最近の自己啓発本、パッションテスト等も、それらの一例でありましょう。

私も手ほどきを受けたりしてやってみましたが、現在はそれらは全て捨てております。



私は、引き寄せノートの活用そのものは、否定致しません。

むしろ、自分が引き寄せたいと思う願望や欲望を、言語化して理解する事に一役買いますから、有用性さえあると思うております。



しかし、引き寄せノートに書いたことが、なまじ成功したり満たされたときに、危険な毒に浸食される恐れがあります。



引き寄せノートに書いた、書き続けたことが成就した場合、確かに引き寄せノートに書き続けたという事が、一つの要因であったやもしれません。

しかし、物事が成された事、つまり「果」には、様々な「因」と、その因に「縁」が結びついた事によります。

引き寄せノートによる引き寄せの法則が、その「果」の全ての因としてしまう風潮なり危うさが、私は引き寄せブログや、成功体験談から読み取っております。
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引き寄せノートの傲慢さと危うさ

例えば、引き寄せノートに書いたことが、何らかの形で成就したと致しましょう。

その内容を、わかりやすく「いついつまでに月収100万円」と、詐欺師や詐欺的コンサルタントがよく使うフレーズに設定しましょうか。



何らかの形で「いついつまでに月収100万円」が達成されたとして、それは果たして引き寄せノートの効能によるものでしょうか?



確かに、一要因ではあるかも知れません。

「いついつまでに月収100万円」を目標にと引き寄せノートに書き続けたことにより、常に意識するようになり、そのような行動を取るようになったというのも一理ありますし、要因ではありましょう。



しかし、上でも触れました通り、引き寄せノートの効能があったとしても、それは一要因に過ぎずに、数多の因と縁による果「因縁果」の一つでしかありません。

「いついつまでに月収100万円」が成されたのには、他にも色々なご縁があるはずです。

今流行の「パソコン1台で」とかいうのでも、そのパソコンを作ってくれた人、届けてくれた人、マウスを作ってくれた人、等々、あげればきりが無いほどの数多のご縁があるわけです。



それらの縁を無視する、あるいは見えておらずに「自分が引き寄せノートによって引き寄せた、自分の実力だ」等という思考に到ってしまっては、傲慢で危険である、私にはそのように思えるのです。



引き寄せノートは、確かに目標を明確化したり、言語化・具現化するために有用性はあるでしょう。

しかし、それによって未来を固定化する危険性・危うさがあることも、見逃してはなりません。

生真面目な人は、それで私のように倒れたり、睡眠障害やうつ病になる危険も御座います。

また、引き寄せノートに書いたことが成功した場合、それが傲慢な人になってしまうという危うさも御座います。

引き寄せノートの使い方は、慎重になって謙虚に取り組まねば、引き寄せ教信者・引き寄せの法則狂信者となり、詐欺師や傲慢な個人主義に走りかねません。

引き寄せノートの活用は結構ですが、危うさもきちんと知っておくべきでありましょう。



今話した、危うさと傲慢さが孕んでいることを踏まえた上で、そのような毒に浸食されないための智慧が、仏教に御座います。
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引き寄せノートの仏教的活用法:己の煩悩を言語化

引き寄せノートとは、引き寄せたい事を出来るだけ具体的に、しかも現在進行形か過去形、すでに叶っているかの如く書く、という書き方が御座います。

上の我利我利亡者的な例で言えば「いついつまでに月収100万円で、このような家に住んでいる」などです。

なんとも、自分都合しか頭に無い、我利我利亡者の引き寄せたい目標ですこと。

仏教的な引き寄せノートの書き方は、ここまでは引き寄せの法則セミナーや自己啓発系詐欺的ビジネスの講師が教える事と同じです。



そして、ここからが、仏教的な引き寄せノートの活用法です。



例えば、上の目標「いついつまでに月収100万円」などは、はっきり言って、自分都合の欲望、平たく言えば「煩悩」です。

引き寄せノートの作業とは、この煩悩を、とにかく書き連ねていく作業です。



よく、この引き寄せノートを活用する方法と同時に教わるのが「ブレインダンプ」なり「ブレインストーミング」というやつでありましょう。

なんでも横文字にしてしまうのが、現代的であると感じます。

日本語にするならば「煩悩の連想羅列=ブレインダンプ」「ブレインストーミング=こねくり思考」といったところでありましょうか。

ブレインダンプして引き寄せノートに書くことは、仏教の視点、仏教者で宗教者である私から観れば「煩悩の羅列」です。



なんだか辛辣な言い方をしておりますが、現段階においては、煩悩の羅列で良いのです。

その羅列した、言語化された煩悩は、すなわち「引き寄せたい事柄」であります。

引き寄せノートに書き連ねた言葉は、言語化された煩悩なのです。



そしてそれはつまり「今、自分はこのような煩悩にまみれている、このような煩悩が燃えさかっている」と、自己を言語的に認識する事が出来る、という事に繋がります。

自分の欲望・煩悩から、己の現在地が見える、というわけです。



その後、その言語化された煩悩を、なりふり構わず実現するか、煩悩に支配されずに、己を律していくかは、各々にお任せするしか御座いません。

ただ、まだ地獄餓鬼畜生・我利我利亡者に堕ちておらず、まだ娑婆の人であるならば、どちらがより人らしき道を歩んでいけるかは、自ずと理解出来ましょう。



引き寄せノートとは、現在燃えている煩悩を知る手がかりとして活用する、それが仏教的な引き寄せノートの活用法で御座います。
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引き寄せノートは現在地を知るために使うのが仏教的

引き寄せノートによって、己の今の煩悩を知るという事は、すなわち「己の現在地を知る智慧」であると、私は味わい頂いております。



仏教は、自分の現在地を知る事について、大切に説いて下さっています。

仏法は、煩悩まみれの愚かな凡夫である私達を、今どのような状態であるかを照らして下さる光明であります。

このような観点から、引き寄せノートを仏教的に活用すると、自分の煩悩が言語化され、自分の煩悩・欲望がどのようなものか、どのように執着して、その強度はいかなるものかを知る手がかりになります。

「ああ、自分はこんな煩悩を持っているのだな。」と、反省材料にしたり、謙虚な姿勢で引き寄せノートを活用する事により、上でお伝え致しました、傲慢なやからになる危うさにも対応しやすくなるものです。



引き寄せノートや、引き寄せの法則それ自体は、否定は致しません。

しかし、それが全てになってしまったり、それが狂信者的で傲慢な毒になってしまっては、自他共に滅びの道を歩む事になります。



そうならぬために、引き寄せノートは仏教的な活用をして、謙虚に取り組むのが、日本的な在り方と使い方ではないか、そのように感じるもので御座います。



尚、引き寄せの法則についての基本的な事は、こちらにも記しております。

参照:「引き寄せの法則とは鵜呑みにすると危険な概念」

参照2:「引き寄せの法則の体験談に観る傲慢」

参照3:「引き寄せるより寄り添い寄り合う」



引き寄せの法則が持つ危うさや傲慢さに毒されぬ智慧を身につけて頂けましたら、幸いで御座います。



合掌

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