有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
引き寄せの法則や、その系統の自己啓発本・自己啓発セミナーにおいては、大抵が「お金と仕事の成功」を引き寄せる事がいわれます。
そのような本やセミナーでは「今、月収100万円の生活をしている」など、現在進行形で引き寄せノートに書いたり、強く願い念じる事を教えられるのではないかと存じます。
かくいう私も、「私は、自由だー」とか言って、ダンスをして高揚感を煽る自己啓発セミナーでも、引き寄せの法則の手法を詐欺のために使った事例を目撃したものです。
フリーダムという意味の自由を得る、という事に縛られている時点で、私には何とも不自由であるか、と観えるのですがね。
引き寄せの法則で、現代社会では特にお金と仕事の成功を引き寄せる事ばかりに偏っている事柄について、その事に毒されぬように、仏教の智慧と視点から探っていきます。
引き寄せの法則は自分都合なお金と仕事の成功に利用する事に偏りがち
引き寄せの法則は、大雑把に言えば「自分都合の未来を引き寄せたい」という思いから、手を出す人が多い野では無いかとお見受け致します。かくいう私も、自己啓発の世界に嵌まっていたり、その辺りを研究していた時代は、自分都合の未来ばかりで、今を生きておりませんでした。
禅語には「而今(にこん)」や「即今、当処、自己」という、今を大切に、そして丁寧に生きる事を教えてくれる言葉があります。
しかし、当時の私はそれとは対照的な生き方をしていたものであります。
自己啓発や詐欺師達の「未来のために」という言動は、今を疎かにしてしまう怖さがあるという事を、知っておくべきでありましょう。
引き寄せの法則は、接し方を間違えると、成功したい未来ばかりに目を向けて、今を疎かにしてしまう怖さもあるのです。
それを踏まえた上で、引き寄せの法則によって手に入れたい未来とはどのようなものか。
自己啓発が好きなビジネスマンが引き寄せたい未来というと、大抵が「自分都合にお金を引き寄せる未来、仕事で成功している未来」辺りではないかと存じます。
現代社会において、お金と仕事は大切なものでありますし、それ自体は否定致しません。
それに、どうしたって不安をあおり立てられて、個人主義的な空気の漂う娑婆世界においては、「自分が一番可愛い」という在り方になりやすいのも頷けます。
しかし、あまりにもその傾向が強くなると、引き寄せの法則を、単に自分都合によるお金と仕事の成功という、煩悩に毒された未来ばかりを見がちになります。
そのような引き寄せの法則が持つ毒性に浸食されて、それに気づかぬまま突っ走れば、人徳を損なうあまり孤立してしまったり、引き寄せる事なく失敗に終わった場合、全てを失ってしまっている危険性もあるものです。
引き寄せの法則を利用しようと、引き寄せノートに書きまくって安心していたら、いつの間にか地獄に堕ちていた、なんて事になるのは笑えません。

引き寄せの法則によってお金と仕事の成功を手に入れたという傲慢さ
そもそもとして、私は引き寄せの法則によって、お金と仕事における成功をおさめた、という考え方については、思うところが御座います。例えば、引き寄せノートを書き続けたりと、引き寄せの法則を実践した上で、お金と仕事の成功と観られる未来に到達したと致しましょう。
その場合、実力主義とか個人主義という概念が一人歩きしている現代の娑婆世界においては、このお金と仕事の成功(と見える状態)を「自分が引き寄せの法則によって引き寄せた」と思い込みます。
また「自分の実力」とも考えがちです。
錯覚と言っても良いかも知れません。
確かに、引き寄せの法則を実践したという事柄も、そのお金と仕事における成功の一要因であることは否定出来ません。
その人の実力も、一要因として加味する事はありましょう。
しかし、本当に自分の身に起こったこと、体験したお金と仕事の成功は、果たして引き寄せの法則や、自分の実力による事だけが、要因でしょうか。
お金が巡ってくるという事は、お金を手放したり巡らせて下さる方々のご縁があるからです。
仕事があるのも、仕事を発注して下さった方や、仕事に関する様々なご縁があったからです。
それをないがしろにしたり、ご縁に見向きもしないで「引き寄せの法則によって、自分はこれだけのお金と仕事の成功をおさめた」というのは、傲慢であるように私にはみえるのです。
そのように浸りたい気持ちも、わからなくはありません。
引き寄せの法則を実践した自分の実力と思いたい、その煩悩を持っているのが人の性であります。
しかし、ご縁に感謝する事なく、自分の実力や、引き寄せの法則で完結してしまうのは、ご縁をないがしろにした傲慢さである、私はそのように頂いております。
そういったご縁をないがしろにした在り方は、臨済宗の禅僧であられる故・松原泰道さんの御言葉をお借りすれば「人徳を損じている」という事になります。
一時的にお金や仕事の成功を収めたと思われる状態にいる時に、そのような傲慢な人は、人徳と共に、お金も仕事も引き寄せるどころか、離れていくこととなりましょう。
引き寄せの法則ではなく、お金と仕事にご縁があったという在り方
引き寄せの法則によって、お金と仕事を手に入れたと思いたいのは、わからんでもありません。それも一要因ではあると申し上げました通り、実践したのであれば無視出来ない要因の一つではありましょう。
ただ、それでなまじ成功してしまって、引き寄せの法則の毒に浸食されぬためには、智慧を知り智慧を実践する事も大切です。
その智慧が、このお堂(ブログ)でも何度もお伝えしております、「ご縁への感謝」であります。
上で申し上げた通り、お金と仕事があなたに巡ってきたと言う事は、そのお金と仕事を巡らせて下さった人や事柄があります。
引き寄せの法則によって、もしかしたらそのご縁が引き寄せられたと言う事も、確かに否定出来ませんし、私も完全否定は致しません。
しかし、それにしたって、ご縁の起こり「縁起(えんぎ)」となって下さった人や事柄があるからこそ、あなたに引き寄せられたという事も見逃してはならないのです。
そのようなご縁を無視する事は傲慢ですし、何よりも、お金と仕事を自分都合で引き寄せるためにがっつくのは、場合によっては強奪になってしまいます。
お金と仕事を強奪するような我利我利亡者に、人徳がありましょうか。
そもそも亡者である段階で人ではありませんし、人徳のありようも御座いません。
そうならぬために、引き寄せの法則の実践をすることはとめませんが、必ず「お金と仕事を巡らせて下さった方々へのご縁への感謝」は、持っておきたいものであります。
お金や仕事において成功した場合、その時には、仕事に関わってくれた同僚や部下や上司のご縁も忘れてはなりません。
自営業や個人事業主であるならば、お客様を始めとした、協力して下さった方々のご縁を忘れてはならないのです。
まだまだありますよ、大切にすべきご縁は。
仕事をするための肉体を維持するために、食を提供してくれた会社周辺の弁当屋やレストランの人達とのご縁も、見逃せません。
営業回り中に休憩でお茶を飲むために立ち寄ったコンビニで働く人や、その飲んでいるお茶に関わって下さった人達へも、感謝を忘れないようにしたいものです。
関わる全ての人達に、ご縁の感謝を想うのです。
そのどれか一つが欠落しても、お金と仕事のご縁がなかった、故に全てのご縁に感謝申し上げる、そのような在り方を持ち合わせる事が、引き寄せの法則の毒にやられぬ仏教の智慧である、私はそのように味わい頂いております。

引き寄せの法則を盲信せず、お金と仕事をご縁による賜り物として感謝する食事の偈の智慧
お金と仕事の成功が目的で、引き寄せの法則を利用する場合、なまじ「成功した状態」に到達すると、お伝えしてきましたように、傲慢になってしまう恐れが御座います。仏教の言葉で表すならば、「慢」の煩悩に犯された状態、「増上慢」が燃えさかっている心の状態となりやすいものです。
仏教では、そのような慢の煩悩にやられないための智慧が、幾つも伝えられております。
引き寄せの法則によって、特にお金や仕事の成功を願う場合、その毒に当てられないための智慧を、一つ紹介致しましょう。
日本の各仏教宗派では、それぞれ称える言葉は違いますが、食事の際に「食前のことば」「食後のことば」を称えます。
私は浄土宗の食事の言葉を称えておりますが、禅宗の食事の偈を毎朝仏壇の前で称えさせて頂いており、ことある毎に口をついて出て来ます。
「お金と仕事における引き寄せの法則」に毒されぬためには、この禅宗の食前の偈「五観の偈(ごかんのげ)」の一つ目と三つ目が、特に有り難く頂ける智慧であると味わいを頂いております。
五観の偈の一つ目は、
:一・計功多少量彼来処(一つには功の多少を計り彼の来処を量る)
です。
これは、「この食事がこうして運ばれるまでには、幾多の人々の労やご加護、ご縁によるものである事に感謝致します。」という意味・解釈です。
ご縁を大切にしていると言う事を表す、尊い御言葉であると私は頂いており、また仕事やお金の事柄についても、大切にしたい御言葉でもあると味わっております。
お金や仕事も、あなたの手元にご縁があったと言う事は、人々の労など数多のご縁、幾多の働きがあったからこそであります。
それを忘れぬために、私も毎朝業務に励む前に、仏壇の前でこの偈文を称えさせて頂いております。
五観の偈の三つ目の偈文は、
:三・防心離過貪等為宗(三つには心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす)
です。
これは、「心を正しく、間違った行い・過ちをおかさぬように保ち、貪等(貪・瞋・痴の三毒のこと)の厭う心を起こさぬように誓います。」という意味・解釈です。
これは、まさにお金と仕事の成功を夢見て、引き寄せの法則を自分都合で利用しようとしている人にとっては、耳の痛い、心の痛む偈文ではなかろうかと思います。
仕事で成功したり、それでお金を稼げると、ついつい貪りの煩悩が強まりがちです。
また、次にその成功やお金がちょっとでも遠ざかると、怒りの煩悩にやられてしまいかねません。
そうならぬように、引き寄せの法則と適切な距離を保ち、お金と仕事への貪りの心を起こさぬ智慧として、この偈文は光明である、私はそのように頂いております。
引き寄せの法則によって、お金と仕事の成功を引き寄せようと画策している人は、この「五観の偈」をかみしめて、味わって頂きたい、そのように思う今日この頃に御座います。
尚、引き寄せの法則に毒されぬための智慧は、こちらにも御座います。
参照:「引き寄せの法則とは鵜呑みにすると危険な概念」
参照2:「引き寄せの法則の体験談に観る傲慢」
参照3:「引き寄せの法則|引き寄せノートの仏教的活用編」
参照4:「引き寄せるより寄り添い寄り合う」
合わせて学んで頂く事により、毒にやられた傲慢な人にならぬ智慧を味わって頂けるものかと存じます。
合掌