有難う御座います、ようこそお参り下さいました、当庵(ブログ)住職の真観です。
以前、引き寄せの法則について、その危険性の一つとしてお伝えした事が御座います。
引き寄せの法則とは、自己啓発系の世界では、特に良く見聞きする言葉であります。
よく聞く話が、「イチロー選手の小学校時代の作文」や、サッカー選手の本田圭佑選手辺りでしょうか。
また、道端ジェシカさんの引き寄せノート、確か夢引き寄せノートという名前だったと思いますが、本にもなっております。
引き寄せの法則とは、それはそれで一つの考え方でありましょうが、それを鵜呑みにすることの危険も、経験的に感じ取っております。
そもそも引き寄せの法則とは何か
引き寄せの法則の危険性について考える前に、まずは「そもそも引き寄せの法則とは」という事を学ぶ必要があります。そもそも論と言いますか、まずは根っこを探るのが、仏教的であると頂いておりますし、大切な事で御座います。
引き寄せの法則とは、正直なことを申しますと、私もよくわかりません、よくわかっておりません。
私も、一時自己啓発を研究するかの如く、自己啓発セミナーに行ってみたり、自己啓発系の本を読み漁り、実践しまくっていましたけれども、結局よくわからなかった、と言うのが現状です。
なんだか引き寄せの法則自体が、勝手に概念が肥大化されて、色々な手法が飛び交い、一人歩きしている気がするといいますか、そういう風潮を感じたものであります。
恐らく、ちょっとした「スピリチュアルブーム」に、ビジネス的予感を感じた人達が、色々と手法を広めていったことにより、引き寄せの法則が一人歩きしたり概念だけが肥大化したという事もあるのではないか、と観ております。
丁度、引き寄せの法則の体験談を延々と語る「ザ・シークレット」という自己啓発系コンテンツや、スピリチュアルブームの時期と引き寄せの法則人気が重なりますし。
例えば、自己啓発の世界で有名な某T氏の本や、その周辺の人達が書いている「アファメーション」も、引き寄せの法則に関連した手法でありましょう。
某M・K氏の、目標や夢を書いたクリアファイルを持ち歩くとか、詐欺的自己啓発セミナーを主宰している某A.I氏の「私は、自由だー」とか言うのも、その類いと言えます。
が、結局、方法論にしても概念そのものも「で、引き寄せの法則とはいかに?」という話から脱することは出来ません。
私も、クリアファイルとか毎日目標や夢をノートに書き続けて、具体的な行動に落とし込んでやっていく、というのもやりましたが、全く成就しませんでしたし。
講師に教わって私も実践した事は御座いますが、結局何だったんだろう、というのが正直なところであります。
逆説的に申し上げれば、もうこの時点で、そんな曖昧な引き寄せの法則なるもの、引き寄せ理論を鵜呑みにすること自体、危険ではないか、という事も見えてくるものです。

引き寄せの法則とは危険も伴う概念だと思う理由1:現実逃避にまでなってしまうと危険
引き寄せの法則は、大宇宙の原理原則なり宇宙法則という人もいらっしゃいますが、私には全くそのような事は感じられませんでした。仏教徒・宗教者である私が言うのも変かもしれませんが、なんとも宗教じみたスピリチュアルな話です。
それで救われるならば、それはそれで有り難い部分もあるのでありましょう。
しかし、これを鵜呑みにして盲信してしまい、現実逃避レベルにまで信奉してしまうのは、大変危険であると私は感じております。
例えば、よくある引き寄せの法則で「成功したい」「お金持ちになりたい」という願いを成就させるという目的が御座います。
自己啓発系のセミナーでも、お金の話はよく出て来ます。
「お金をもっと稼ぎたい!」と、引き寄せノートに書き続けたり、「私は、お金持ちです!」とアファメーションしたりとか、そんな事をやるわけです。
具体的な数字を入れる事で、より現実的になるから「月収1000万円稼ぎたい!」とか、そのように指導する本や自己啓発セミナー講師もおります。
でも、現実的な話をすれば、お金を稼ぎたかったら、自己啓発とか引き寄せの法則に頼るのでは無く、淡々と経済活動をすることです。
アファメーションなり引き寄せの法則といって強く念じるよりも、淡々と経済活動をした方が現実的に金銭・財を引き寄せると思うのですが、いかがでしょうか。
そりゃ、何らかのヒントやカンフル剤、やる気を起こさせる力くらいには、作用するやもしれません。
しかし、経済の課題は経済活動にて、生活の課題は日々の生活の中で解決する事が現実的であります。
仏教の話を致しますと、経済や生活の苦は、仏法を聞いたからと言って、魔法にかかったように解決するわけではありません。
苦が多少は減るという副次的作用はあるかもしれませんが、最終的に生活の課題解決は、生活においてすべき事で御座います。
卑近な例をいれば、部屋が散らかっているからと言って、仏法を聞いたら部屋が片付く、なんてことはありません。
禅や断捨離など、仏教の智慧を学んで、それが掃除に活かされる事はあっても、実際に掃除をするという暮らし方をしないと、部屋が片付かないという事は、把握して頂けるかと存じます。
これを踏まえ、「引き寄せの法則を勉強して、実践しているから大丈夫だ」と、現実逃避や言い訳のために、引き寄せの法則に毒される危険性は、知っておくべきでは無いかと、私は頂いております。
引き寄せの法則とは危険も伴う概念だと思う理由2:未来に縛られて「今、ここ」が疎かになるかも
引き寄せの法則とは、大体が「将来はお金持ちになりたい」「仕事で成功する未来を引き寄せたい」という、未来の成功を願い、その未来の成功を引き寄せるために用いられる概念です。そして、未来の成功を引き寄せるために、今すでにその成功を手にしている自分であると念じる、紙に書く、などの手法があります。
これは、あくまで私の視点でありますが、このような有様は「幽霊の所業」であると観ておるのです。
そして、上でお伝えした現実逃避とも関わってきます。
まず、こうなりたい、という思いがあり、願掛けをするくらいは結構ですが、その未来に縛られているというレベルにまでなってしまったら、具合が悪いのです。
そもそもとして、一寸先は闇の娑婆世界において、来るかどうか分からん未来に縛られている状態は、「今、ここ、自分」を疎かにしているようにも見えるのです。
以前に幽霊の話を致しましたが、幽霊とは「過去」と「未来」に縛られている状態であり、地に足が付いていない姿を現しております。
未来を願う事自体は悪い事ではありませんが、その場合は、「今、ここ」に地に足を付けた上で、という事が大切であります。
また、現在は成功していないのに、もう成功しているような気でいることは、上でお伝えしましたように、現実逃避に繋がりかねません。
これも、地に足が付いていない状態です。
引き寄せの法則とは、鵜呑みにして盲信してしまうと、このような「幽霊化」してしまう恐れもありますから、適度な距離感を保ちたいものであります。

引き寄せの法則とは危険も伴う概念だと思う理由3:傲慢になる
今から話す事は、以前の「引き寄せの法則の傲慢さ」でも話した事でありますが、大切な事ですから改めてお伝えしておきます。例えば、アファメーションや引き寄せノートの活用など、引き寄せの法則の手法を実践したと致しましょう。
そして、その引き寄せたい未来に到達したと致します。
私は、この「到達した」「成功した」という成果を出したときが、最も危険であると観ておるのです。
引き寄せの法則を実践して、たまたま引き寄せたい未来に到達したとき、「引き寄せの法則のおかげだ」と、ここまでは心情としては理解出来ます。
ただ、その後で、引き寄せの法則を盲信するようになったり、「引き寄せた自分の実力だ」「自分には引き寄せの法則を使いこなす力がある」と、錯覚する危険性が御座います。
確かに、引き寄せノートに書き続けることで、ぶれない自分を作った事によって、欲しがっていた未来に到達出来たというのも、一要因ではありましょう。
しかし、欲しがっていた未来に到達出来たのは、引き寄せの法則だけの力でしょうか。
また、自分一人の力だけで、欲しかった未来なり願望が叶ったのでしょうか。
仏教においては、「縁(えん)」を大切に説きます。
「縁」を語る以上、引き寄せの法則を実践した自身の作用、それによって生じた「縁起」も無視出来ません。
しかし、それ以外のご縁があって、自分が動いたことに呼応してくれたご縁の働きもあります。
欲しかった未来に到達出来た時、それら「数多のご縁のはたらき」も見逃してはならない、私はそのように頂いております。
引き寄せの法則に関する手法をやめろとは言えませんし、全否定もしませんが、それで成功したときに、きちんとご縁に感謝出来るかどうか、ここが大切であります。
「引き寄せの法則によって、俺がこの成功を引き寄せたんだ」なんて言う人を、あなたはどう思われるでしょうか。
謙虚な人と思われますか、それとも、思い上がった傲慢な人だと思われますか。
少なくとも、私には謙虚な在り方には観えません。
私としては「自分が引き寄せた」ではなく「引き合うご縁・引き合ったご縁」という在り方で、そのご縁に感謝申し上げる方が、引き寄せの法則により傲慢にならぬ智慧であると考えております。

引き寄せの法則とは、こんな考え方もあるんだな、くらいの距離感が丁度良い
なんだか、引き寄せの法則について、否定的なことを言っているように感じられたかも知れませんが、私は引き寄せの法則そのものを、完全否定しているわけではありません。一つの概念として、ある場面では有用で、それが救いとなる事もあるでしょう。
ただ、引き寄せの法則を鵜呑みにしてしまい、更には周囲に「引き寄せの法則は最高だ!」とまき散らしたり、毒されて傲慢な人になってしまうことを懸念しておるのです。
宗教の話を致しますと、一つの教義を一神教化してしまい、狂信者化して暴走することは危険であることは、宗教の歴史を見ても把握出来ます。
そのために、歴史を紡ぎ受け継がれてきた伝統的教義には、暴走しないブレーキとなる教義も備えておるのです。
スピリチュアルブームや「ザ・シークレット」などの影響で広まった引き寄せの法則も、そのようなブレーキ的な手法や教義も、確立して広まって欲しいと思うわけであります。
我々が「引き寄せの法則の毒」に飲まれないために出来る事は、「引き寄せの法則という概念があり、こういう考え方もあるんだな。」くらいの塩梅で接するという距離感を掴む事ではないでしょうか。
引き寄せの法則は、確かにカンフル剤的な効果効能もあるでしょうから、鵜呑みにせず毒されないための、あなたにとって適切な距離感を探ることが大切であろうと考えます。
何事も偏らず、仏教が説く「中道(ちゅうどう)」を意識した上で、引き寄せの法則なる概念とお付き合いできれば、宜しいかと存じます。
尚、今回の話は、こちらも読んで頂くと、より理解が深まり、毒されない智慧を頂けるかと存じます。
参照:「引き寄せの法則の体験談に観る傲慢」
また、今回の話は自己啓発の毒と、その毒の一つである高揚感についても学ぶ事で、より理解を深める事が出来るかとお見受け致します。
参照:「自己啓発のセミナー危険な実態|大阪での体験談」
参照2:「自己啓発セミナーの断り方の実例」
参照3:「高揚感の意味と使い方の例文から学ぶべきこと」
あなたが、引き寄せの法則とは何かを知り、適切な距離感を把握出来る一助となりましたら、嬉しゅう御座います。
合掌